表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
勇者は背中から死んでいた  作者: swingout777


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
20/40

第20話 勇者を刺した男

「俺が、カイゼルを刺した」


 近衛騎士レオンの声は、英雄管理局の地下室に落ちた。


 遠くでは、国葬の鐘が鳴っている。


 王城前の大広場では、今ごろ勇者カイゼルの棺が民の前に運ばれているはずだった。


 魔王を討った英雄。

 世界を救った勇者。

 胸を黒槍に貫かれて死んだ男。


 その物語が語られようとしている地下で、真実はあまりにも醜い形をしていた。


 勇者は、魔王に殺されたのではない。


 友に背中を刺された。


 白い手袋を外したレオンの右手は、震えていた。


 剣を握るために鍛えられた手。

 王を守るために誓いを立てた手。

 そして、勇者カイゼルの背中へ儀礼用短剣を突き立てた手。


 エリシアは、床に膝をついたままレオンを見上げていた。


 涙は流れている。


 だが、泣き崩れてはいない。


「なぜ」


 彼女はもう一度、同じ言葉を口にした。


「なぜ、兄を刺したのですか」


 レオンは答えなかった。


 いや、答えられなかったのかもしれない。


 口を開けば、自分の中に残っている何かが壊れる。

 そんな顔だった。


 俺は黒花の花びらを拾い上げた。


 花びらは、勇者の最期を映した後、力を使い果たしたように沈黙している。


 それでも、見せるべきものは見せた。


 勇者の背中。

 白銀の短剣。

 レオンの右手。

 そして、命令する冷たい声。


「レオン卿」


 俺は言った。


「あなたは勇者様を刺した。ですが、命令を出したのは別の人物ですね」


 レオンはゆっくりと顔を上げた。


 目の奥には、疲れ切った獣のような光があった。


「俺が殺した」


「それだけではありません」


「俺の手が刺した。それで十分だ」


「十分ではありません」


 俺は首を横に振った。


「死者の傷は、刃を持った者だけを語るわけではない。その刃がなぜ振るわれたのかも、残っている」


 レオンの顔が歪んだ。


「葬儀屋が、偉そうに」


「葬儀屋だから言っています」


 俺は勇者の記録を胸元から取り出した。


 父の死者記録簿。

 勇者の遺言を残した記録石。

 英雄管理局の帳簿。

 マリナの証言。

 サイラスの証言。

 聖剣の反応。


 それらは、すべて同じ方向を指している。


「勇者カイゼル様の死は、あなた一人の罪ではありません」


 レオンが低く笑った。


 乾いた、壊れた笑いだった。


「慰めのつもりか」


「違います」


 俺ははっきり言った。


「あなた一人に背負わせて、真の命令者を逃がすつもりはありません」


 その言葉に、レオンの笑みが消えた。


 地下室の奥で、サイラスが咳き込む。


 マリナは両手で聖印を握りしめ、俯いていた。


 彼女もまた、偽りの胸の傷を作る儀式に加わった証人だ。


 エリシアは、静かに立ち上がった。


「兄を刺したのは、あなた」


 その声に、レオンは目を伏せた。


「はい」


「でも、兄を殺すよう命じた者がいる」


「……」


「答えてください」


 エリシアは一歩、レオンへ近づいた。


「兄を殺せと命じたのは、誰ですか」


 レオンの右手が震えた。


 白い手袋を外したその手には、古い傷痕がある。


 勇者を刺した時についたのか。

 それとも、その後に自分でつけたのか。


 俺にはわからない。


 だが、その手が今も勇者の血を覚えていることだけはわかった。


「宰相だ」


 ついに、レオンは言った。


「バルド・ガルヴェイン宰相」


 地下室に、その名が響いた。


 エリシアが目を閉じる。


 わかっていたはずだ。


 帳簿にも署名はあった。

 ミラ王女もその名を示した。


 それでも、実行犯の口から聞く名前は重かった。


「宰相は、何と言ったのですか」


 俺が尋ねた。


 レオンは、遠くを見るように視線を落とした。


「魔王城から戻る前夜、俺は呼び出された。遠征軍の伝令用水晶に、宰相の声が届いた」


「勇者様を殺せと?」


「最初は、止めろと言われた」


「止める?」


「カイゼルを王都へ戻すな。魔王領で見たことを話させるな。黒花の記録も、魔王との対話も、すべて処分しろと」


 サイラスが苦しそうに息を吐いた。


「だから……私の記録石を奪おうとしたのですね」


 レオンは頷いた。


「お前が記録を隠していることも、奴らは知っていた」


「なぜ」


「遠征軍の中にも、英雄管理局の目があった」


 俺は背筋に冷たいものを感じた。


 勇者パーティーは、最初から監視されていた。


 父の記録簿にあった通りだ。


『勇者候補カイゼル・レインフォード。監視対象』


 王国は、勇者が真実にたどり着く可能性を想定していた。


 そして、真実を知った時に処理する準備をしていた。


「俺は断った」


 レオンが言った。


「最初は、断ったんだ。カイゼルは友だった。王命でも、友を殺すことなどできないと」


 その声には、言い訳ではない痛みがあった。


 だが、それで罪が薄くなるわけではない。


 エリシアは何も言わず、聞いていた。


「すると宰相は、妹の名を出した」


 レオンの声がかすれた。


「王宮医療院にいる妹の治療記録。薬の管理。治癒師の派遣。すべて英雄管理局が握っていると」


「逆らえば、治療を止めると」


 俺が言うと、レオンは頷いた。


「妹は、もう何年も病床にいる。王国の薬がなければ、ひと月ももたない」


 マリナが小さく息を呑んだ。


 レオンは笑った。


 今度の笑みは、吐き気をこらえるようなものだった。


「卑怯な話だろう。勇者の背中を守るために選ばれた近衛騎士が、妹一人を守るために勇者を刺した」


「兄は、そのことを知っていたのですか」


 エリシアが尋ねた。


 レオンは目を閉じた。


「刺した後に、言った。俺を責めない、と」


 その瞬間、エリシアの顔が歪んだ。


 それは残酷な言葉だった。


 死にかけた兄が、刺した友を責めなかった。


 遺された妹にとって、それは救いではない。


 怒る場所さえ奪われる言葉だ。


「兄らしいです」


 エリシアは震える声で言った。


「本当に、兄らしい」


 そして、レオンを見た。


「だからといって、私はあなたを許しません」


 レオンは静かに頷いた。


「許されるつもりはない」


「あなたの事情も、妹君のことも、今聞きました。それでも、兄は戻りません」


「ああ」


「兄は、あなたを信じて背を向けた」


「ああ」


「その背中を、あなたは刺した」


 レオンの膝が、床に落ちた。


 近衛騎士が、聖女の前に膝をついた。


 いや、聖女ではない。


 勇者の妹の前に。


「俺は、カイゼルを殺した」


 彼はもう一度言った。


「殺したくなかった。だが、殺した。だから、その罪は消えない」


 地下室に沈黙が満ちた。


 遠くの鐘は、さらに大きくなっている。


 国葬が進んでいる。


 王国は、勇者を英雄として飾る言葉を積み上げている。


 その一方で、ここには、勇者の死を知る者たちが集まっていた。


 刺した男。

 偽りの祈りを捧げた女。

 記録を隠した魔術師。

 兄の真実を求める妹。

 そして、死者の傷を記録する葬儀屋。


「レオン卿」


 俺は言った。


「国葬の場で証言してください」


 彼は顔を上げた。


「何を」


「今、話したことをすべてです。勇者様を刺したこと。命じたのが宰相バルドであること。妹君を人質に取られていたこと。胸の傷が偽装されたこと」


「そんなことをすれば、妹は」


「ミラ王女が動いています」


 俺は言った。


「王宮医療院の記録を押さえると言っていました。完全に安全とは言えません。でも、黙っていれば宰相は逃げます」


 レオンは拳を握った。


「俺が証言すれば、俺は処刑される」


「かもしれません」


「カイゼルを殺した男として、民に石を投げられる」


「そうでしょう」


「聖女様にも、許されない」


「はい」


 俺は頷いた。


「それでも、証言しなければ、勇者様はもう一度殺されます」


 レオンの顔が動いた。


「もう一度……」


「魔王に殺された英雄として、王国の物語に閉じ込められる。それは、勇者様が最期に拒んだことです」


 俺は黒花の花びらを見た。


 勇者は死の間際に言った。


 俺を英雄にするな。


 死者は嘘をつけない。


 だからこそ、生きている者が嘘を重ねれば、死者は何度でも殺される。


「あなたは一度、勇者様を殺した」


 俺は言った。


「二度目まで手を貸すつもりですか」


 レオンは、殴られたような顔をした。


 長い沈黙の後、彼は床に置いた剣を拾わず、立ち上がった。


「証言する」


 その声は低かった。


 だが、はっきりしていた。


「国葬の場で、すべて話す。俺がカイゼルを刺したことも、宰相に命じられたことも」


 エリシアは黙っていた。


 許したわけではない。

 救ったわけでもない。


 ただ、必要な証言として受け取った。


 それでいいのだと思う。


 罪は、証言したから消えるものではない。


 だが、黙っていれば真実まで消える。


「行きましょう」


 サイラスが立ち上がろうとして、ふらついた。


 マリナが支える。


「国葬は、もう始まっています」


 遠くから、群衆の歓声が聞こえた。


 勇者の棺が広場に到着したのだろう。


 宰相バルドは、まもなく民の前で勇者の死を語る。


 魔王を倒した英雄の物語を。


 俺は父の記録簿を背負い直した。

 英雄管理局の帳簿を抱え、勇者の記録石と聖剣を確認する。

 黒花の花びらを胸元へしまう。


 死者の証言は揃った。


 あとは、生者が口を開く番だ。


 レオンは白い手袋を拾った。


 だが、それをはめなかった。


 血を隠す布を、もう必要としないというように。


 俺たちは英雄管理局の地下室を出た。


 階段の先には、国葬の光が待っている。


 勇者を刺した男は、その光の中で、自分の罪を語るために歩き出した。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ