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勇者は背中から死んでいた  作者: swingout777


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第18話 宮廷魔術師サイラスの失踪

 神官補佐マリナの証言で、勇者カイゼルの胸の傷が死後に作られたことは、ほぼ確定した。


 だが、まだ足りない。


 勇者の背中を刺した者。

 その命令を下した者。

 そして、勇者が魔王領で何を見たのか。


 国葬の場で王国の物語を壊すには、もう一つ、決定的な証言が必要だった。


「サイラス様です」


 祈りの間を出る前、マリナが震える声で言った。


「宮廷魔術師サイラス様なら、もっと詳しい記録を持っています」


「詳しい記録?」


 俺は足を止めた。


 サイラス。


 勇者パーティーの生存者、三人目。


 近衛騎士レオン。

 神官補佐マリナ。

 そして、宮廷魔術師サイラス。


 彼だけが、まだ姿を見せていない。


「サイラス様は、遠征中ずっと記録石を管理していました」


 マリナは言った。


「勇者様が残した記録石のほかに、もう一つ、予備の記録石を持っていたはずです」


 エリシアが顔を上げた。


「兄の記録の続きですか」


「おそらく。魔王城から撤退する前、サイラス様は何かを隠していました。『これだけは王都へ持ち帰らなければならない』と」


 俺は、魔王城で見つけた記録石を思い出した。


 白い手袋が映ったところで途切れた映像。


 もし、その続きがあるなら。


 勇者が誰に刺されたのか。

 誰が命じたのか。

 そして魔王に何が起きたのか。


 すべて残っているかもしれない。


「サイラス様は今どこに?」


 俺が尋ねると、マリナは顔を曇らせた。


「王城東塔の魔術師室にいるはずでした。でも……昨日から姿が見えません」


「失踪した?」


「はい。国葬の祈祷打ち合わせにも来ませんでした。宮廷魔術師が国葬を欠席するなんて、あり得ません」


 エリシアの表情が硬くなった。


「英雄管理局に捕らえられた可能性がありますね」


「高いです」


 俺は答えた。


 証言できる生存者が、国葬直前に姿を消す。


 偶然とは考えにくい。


 レオンは祈りの間の入口で、黙ったまま聞いていた。


「サイラスは臆病な男だ」


 彼が低く言った。


「だが、記録だけは手放さない」


「知っているのですか」


「遠征中、あいつは何でも記録していた。食事の量、天候、魔族の言葉、黒花の分布。カイゼルが笑った回数までな」


 少しだけ、レオンの口元が歪んだ。


 笑ったのではない。


 失ったものを思い出した顔だった。


「なら、サイラス様の部屋へ行きましょう」


 エリシアが言った。


「国葬まで時間がありません」


 俺たちは礼拝堂の裏手から、王城東塔へ向かった。


 表ではすでに、国葬の列が動き始めているらしい。

 遠くから群衆のざわめきが聞こえた。


 勇者の棺が、王城前広場へ運ばれようとしている。


 王国の用意した物語が、始まってしまう。


 東塔の廊下は、人払いされていた。


 魔術師室の扉には封印札が貼られている。


 王宮魔術院の札ではない。

 英雄管理局の封印だった。


「遅かったか」


 俺が呟くと、レオンが剣の柄に手をかけた。


「破るぞ」


「待ってください」


 エリシアが封印札に触れた。


 聖女の魔力が淡く光る。


 札の文字が震え、やがて力を失って剥がれ落ちた。


「兄の名を使った封印です」


 彼女の声は冷たかった。


「勇者の遺品管理権限、と書かれています」


「死んだあとまで、便利に使われていますね」


 俺は苦く言った。


 扉を開ける。


 部屋の中は荒らされていた。


 本棚は倒れ、魔術書は床に散らばり、机の引き出しはすべて抜き取られている。


 壁には焦げ跡。

 床には割れた記録石の欠片。


 誰かが徹底的に探した後だった。


「サイラス様……」


 エリシアが部屋の奥へ進む。


 俺は床に膝をつき、割れた記録石の破片を拾った。


 魔力は抜かれている。


 ただ壊されたのではない。


 中身を吸い出された後、証拠を消すために割られている。


「英雄管理局の仕事ですか」


 エリシアが尋ねた。


「おそらく」


 俺は破片を光にかざした。


「ですが、全部ではありません」


「全部ではない?」


「壊され方が雑です。サイラス様ほどの魔術師なら、本当に重要な記録を机に置いたままにはしないはずです」


 俺は部屋を見回した。


 記録を残す者は、隠す場所にも癖が出る。


 父は無縁納骨堂に記録簿を隠した。

 死者のそばが一番安全だと考えたからだ。


 では、宮廷魔術師サイラスはどこに隠すか。


 魔術師なら魔法陣。

 学者なら書物。

 臆病な記録者なら、誰も触れたがらない場所。


 俺は暖炉の前で足を止めた。


 灰の中に、燃え残った紙がある。


 普通なら処分されたものに見える。


 だが、灰の一部が不自然に丸く盛り上がっていた。


「ここです」


 俺は火かき棒で灰を払った。


 中から、小さな骨壺が現れた。


 エリシアが目を見開く。


「骨壺?」


「宮廷魔術師が実験用に使う動物骨の保管壺でしょう。誰も好んで触れない」


 壺の蓋を開ける。


 中に骨はなかった。


 代わりに、小さな水晶片が一つ入っていた。


 記録石の核だ。


 そして、細く折りたたまれた紙片。


 紙には、震えた文字でこう書かれていた。


『私が消えたなら、英雄管理局地下へ。黒花の記憶は、まだ開ける。魔王は――』


 文は途中で途切れていた。


 最後の文字は、乱れて読めない。


「地下……」


 エリシアが呟く。


「英雄管理局に、地下室があるのですか」


 レオンの顔色が変わった。


「ある」


 俺たちは彼を見る。


「王城西棟の下だ。尋問室と、記録保管庫がある」


「サイラス様はそこに?」


「捕まっているなら、そこだ」


 レオンは苦々しく言った。


「国葬が終われば、記録ごと消される」


 俺は水晶片を握った。


 まだ温かい。


 サイラスは、連れ去られる直前まで記録を守ろうとしていた。


 臆病でも、逃げようとしても、それでも最後に証拠を隠した。


 なら、助けなければならない。


「行きましょう」


 エリシアが言った。


「でも、国葬が」


「国葬の場には、ミラ王女がいます。少しだけなら時間を稼いでくれるはずです」


 俺は頷いた。


「サイラス様の証言が必要です」


 王城西棟の地下へ向かう通路は、レオンが知っていた。


 近衛騎士だけが使う警備用の階段。

 壁の奥に隠された扉を抜け、暗い石段を下りる。


 下へ行くほど、空気が冷たくなった。


 葬儀局の地下とも、魔王城の墓所とも違う冷たさ。


 ここには弔意がない。


 あるのは、隠すための闇だ。


 階段の先には鉄扉があった。


 内側から、かすかな声が聞こえる。


「……やめろ……それは、壊すな……」


 男の声。


 弱っているが、生きている。


「サイラス様」


 エリシアが扉に駆け寄る。


 レオンが剣を抜いた。


「下がれ」


 一閃。


 扉の錠が斬られた。


 中に入ると、椅子に縛られた痩せた男がいた。


 長い金髪は乱れ、片眼鏡は割れ、宮廷魔術師の青いローブは血と埃に汚れている。


 彼の足元には、砕かれた記録石の破片が散らばっていた。


「サイラス様!」


 エリシアが縄を解く。


 サイラスはぼんやりと顔を上げた。


「聖女……様……?」


「しっかりしてください」


 俺は彼の手首を見る。


 拘束痕。

 指先に火傷。

 魔力を無理に引き出された痕がある。


 記録石の内容を吐かせようとしたのだろう。


「記録は……」


 サイラスがかすれた声で言った。


「全部は、渡していません……暖炉の……」


「見つけました」


 俺が水晶片を見せると、サイラスは弱々しく笑った。


「よかった……葬儀屋殿は、死者だけでなく部屋の傷も読むのですね」


「冗談を言えるなら、生きていますね」


「残念ながら……少しだけ」


 サイラスは咳き込んだ。


 エリシアが治癒の祈りをかける。


 淡い光が彼を包んだ。


「サイラス様。兄の記録の続きを持っているのですね」


 サイラスの顔から笑みが消えた。


「はい」


「そこには、何が」


 彼はすぐには答えなかった。


 怯えたように、部屋の奥を見た。


 壁には、英雄管理局の紋章が刻まれている。


 金の羽根と剣。


 記録を支配する者たちの印。


「私は、見ました」


 サイラスは震える声で言った。


「勇者様が魔王に剣を向け、そして下ろすところを。魔王が黒花の根に自分の魔力を流し込み、世界の瘴気を抑えているところを」


 俺は息を呑んだ。


「魔王は、世界を滅ぼそうとしていたのではない?」


「逆です」


 サイラスは唇を震わせた。


「魔王がいたから、世界はまだ保っていた」


 その言葉は、地下室の冷たい空気を裂いた。


 エリシアが呆然とする。


「では、兄が魔王を討てば……」


「世界の瘴気を受け止める者がいなくなる」


 サイラスは俺の腕を掴んだ。


 驚くほど強い力だった。


「ノア殿。国葬を止めるだけでは足りません。勇者様の死因を暴くだけでも足りない」


「どういう意味です」


 サイラスは、血の混じった息を吐いた。


 そして、俺たちに向かって言った。


「魔王は、死んでいません」


 地下室の時間が止まった。


「正確には……死ねなかったのです。黒花の根に、心臓だけを残している。世界の瘴気を抑えるために」


 サイラスの目には、恐怖と希望が同時に宿っていた。


「勇者様は、それを王都へ伝えようとした。魔王を殺した英雄としてではなく、魔王を殺してはいけないと知った人間として」


 遠くで、鐘が鳴った。


 国葬の開始を告げる鐘だった。


 王国は今、魔王を討った勇者の物語を民に語ろうとしている。


 だが、その魔王は死んでいない。


 そして、死なせてはいけない存在だった。


 俺は水晶片を握りしめた。


 勇者の死の真相は、王国の嘘だけでは終わらない。


 世界そのものの危機につながっていた。


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