表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
勇者は背中から死んでいた  作者: swingout777


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
16/40

第16話 王女ミラの告白

 ミラ王女は、王都へ戻ると言った。


 英雄管理局の帳簿を俺たちに渡し、自分は王宮の中で時間を稼ぐ、と。


 だが、彼女はすぐには魔王城を去らなかった。


 黒花の中庭に立ち、壁一面に刻まれた死者の名を見つめている。


 人間の名。

 魔族の名。

 兵士の名。

 子どもの名。

 身分も種族も関係なく、ただ死者として残された名前。


 ミラ王女は、その一つ一つを目で追っていた。


「王城には、こういう場所がありません」


 やがて、彼女は静かに言った。


「英雄の名を刻む碑ならあります。戦勝記念碑も、勇者像も、勲章を受けた騎士の名簿もあります。でも……ただ死んだ人の名前を残す場所は、ありません」


 俺は何も言わなかった。


 葬儀屋として、その言葉の重さはよくわかった。


 王国は、死者に意味を与えたがる。


 勇敢な死。

 名誉ある死。

 国のための死。

 神に選ばれた死。


 だが、死者は必ずしも意味のために死ぬわけではない。


 逃げたかった者もいる。

 怖かった者もいる。

 帰りたかった者もいる。

 誰にも知られず、ただ巻き込まれて死んだ者もいる。


 それでも王国は、死者を物語に並べる。


 意味のない死を認めれば、国が掲げてきた正義が揺らぐからだ。


「殿下」


 エリシアが口を開いた。


「なぜ、私たちに協力するのですか」


 ミラ王女は、少しだけ振り返った。


「勇者カイゼルの死が許せなかったからです」


「それだけですか」


 エリシアの問いは鋭かった。


 ミラは目を伏せた。


「いいえ」


 黒花が、足元で小さく揺れる。


「私が怖くなったからです」


「怖く?」


「王国が、です」


 王女が自分の国を怖いと言った。


 その声には、反逆者の熱ではなく、家族の罪を告白するような苦しさがあった。


「私は子どもの頃から、魔王は世界の敵だと教えられてきました。魔族は人間を憎み、黒花は魂を吸い、魔王領は死の土地だと」


 ミラは壁の名前に触れた。


「でも、王宮の奥には違う記録がありました。黒花が瘴気を吸うこと。魔王城が死者の名を残す場所であること。魔王領にも人間の墓があること」


「知っていたのですか」


 エリシアの声が震えた。


 ミラは首を横に振った。


「すべてではありません。断片だけです。幼い頃、父王の書庫で見ました。その時は意味がわからなかった。でも、英雄管理局の帳簿を読むようになってから、少しずつつながったのです」


「なら、なぜもっと早く」


 エリシアは言いかけて、唇を噛んだ。


 責めたいのだろう。


 当然だ。


 兄は死んだ。

 王国の嘘に巻き込まれて、背中から刺され、胸に偽りの傷を作られた。


 ミラがもっと早く動いていれば。


 そう思わずにはいられないはずだった。


 ミラ王女は逃げなかった。


 まっすぐ、エリシアの視線を受け止めた。


「怖かったからです」


 彼女はもう一度、同じ言葉を言った。


「父に逆らうのが。宰相に目をつけられるのが。王宮で孤立するのが。王女という立場を失うのが。私の小さな善意が、何も変えられないまま潰されるのが」


 その告白は、きれいではなかった。


 けれど、だからこそ本当だった。


「私は良い王女でいたかった。孤児院に寄付し、戦災者を見舞い、民の話を聞く、優しい王女でいたかった」


 ミラは自嘲するように笑った。


「でも、それだけでは王国の嘘を止められませんでした」


 俺は父の記録簿を思い出した。


 剣聖アーロン。

 賢者リディア。

 竜騎士バラム。


 美しい物語に変えられた死者たち。


 彼らの死は、一人の悪人だけで作られたものではない。


 命令した者。

 従った者。

 見て見ぬふりをした者。

 疑いながら黙った者。


 沈黙もまた、死者の上に土をかける。


 俺自身も、その一人だった。


「王国は、魔王という敵を必要としていたのですね」


 俺が言うと、ミラは頷いた。


「はい」


 その答えは短かった。


 だが、重かった。


「敵がいれば、民は不安の理由を一つにできます。税が重くても、魔王討伐のためだと言える。兵士が死んでも、世界を守るためだと言える。飢饉が起きても、魔王の呪いだと言える」


「本当の原因を見なくて済む」


「そうです」


 ミラの声は苦かった。


「王国は、魔王を倒したかったのではありません。魔王を必要としていたのです」


 エリシアが息を呑んだ。


「では、兄が魔王を倒してはいけない理由を知ったから……」


「勇者カイゼルは、王国にとって危険になりました」


 ミラははっきりと言った。


「魔王は絶対悪ではない。黒花は呪いではない。戦争は終わらせられる。勇者がそう語れば、王国の物語は壊れます」


「物語のために、兄は殺されたのですか」


「はい」


 ミラの声が震えた。


「そして、その物語を作ってきたのは、宰相だけではありません。王家もです」


 その場に沈黙が落ちた。


 レオンは少し離れた場所で、何も言わずに立っていた。


 白い手袋の右手を、強く握りしめている。


 彼もまた、王国の物語に縛られた一人なのだろう。


 だが、それで罪が消えるわけではない。


「父王は、すべてを知っていたのですか」


 エリシアが尋ねた。


 ミラはすぐには答えなかった。


「知っていたことも、知らないふりをしたこともあると思います」


「それは同じです」


「はい」


 ミラは否定しなかった。


「同じです」


 彼女は深く頭を下げた。


 王女が、聖女に向かってではない。


 勇者の妹に向かって。


「エリシア様。王家の一人として、謝罪します。あなたのお兄様を、王国は利用しました。生きている間も、死んでからも」


 エリシアは唇を震わせた。


 怒ればよかった。

 罵ればよかった。

 兄を返せと叫んでもよかった。


 だが、彼女はそうしなかった。


「謝罪では、兄は戻りません」


「はい」


「私は、王家を許せません」


「当然です」


「でも」


 エリシアは、黒花の中庭を見た。


「兄が命をかけて持ち帰ろうとした真実を、あなたが王宮の中から出すというなら」


 彼女はミラを見た。


「今だけは、協力します」


 ミラは顔を上げた。


 その目には、涙が浮かんでいた。


「ありがとうございます」


「礼はいりません」


 エリシアの声は冷たかった。


「兄のためです」


 その言葉に、ミラは小さく頷いた。


 俺は二人を見ながら、記録紙を取り出した。


 死者の記録ではない。


 けれど、これもまた残すべき証言だった。


『ミラ王女証言。王国は魔王を絶対悪として利用し、民の不安と戦争継続の理由を一つに集約していた。黒花および魔王城の真実を王宮の一部は把握していた可能性あり』


 ペン先が止まる。


 さらに一行を書き足した。


『王家も無関係ではない』


 その文字は、思った以上に重かった。


 ミラは俺の記録を見て、静かに言った。


「それも書いてください。曖昧にしないで」


「本当にいいのですか」


「私は、良い王女でいることをやめます」


 彼女は王都の方角を見た。


「王国を変えたいなら、まず王家が嘘の上に立っていたことを認めなければならない」


 遠くで鐘が鳴った。


 国葬の準備が、最終段階に入った合図だ。


 ミラ王女は外套のフードをかぶった。


「私は王宮へ戻ります。国葬の場で、宰相が勇者の物語を語り始めた時、必ず一度だけ式を止めます」


「一度だけ?」


「長くは無理です。王宮警備も英雄管理局も、すぐに動くでしょう」


「十分です」


 俺は父の記録簿、英雄管理局の帳簿、勇者の記録石、聖剣を確認した。


 そして黒花の花びらを胸元にしまう。


 死者の証言は、揃いつつある。


 あとは、それを民の前に出すだけだ。


 ミラは最後に、レオンを見た。


「あなたも来るのですね」


 レオンは答えなかった。


 だが、逃げるとも言わなかった。


「レオン」


 ミラの声は厳しかった。


「罪を抱えて黙ることは、償いではありません」


 レオンの白い手が震えた。


「わかっています」


「なら、国葬で証言しなさい」


 彼は目を伏せた。


 長い沈黙の後、小さく頷いた。


 エリシアは、その様子をじっと見ていた。


 許したわけではない。


 ただ、必要な証言者として見ている。


 それでいいのだと思った。


 死者のための真実に、きれいな感情ばかりが集まるわけではない。


 怒りも、罪悪感も、恐怖も、後悔も。


 すべてを抱えたまま、それでも前へ進むしかない。


 ミラ王女は魔王城の門へ向かった。


 去り際に、彼女はもう一度だけ振り返った。


「ノアさん」


「はい」


「勇者カイゼルを、王国の英雄ではなく、一人の人間として弔ってください」


「そのために、ここまで来ました」


 ミラは小さく頷き、黒花の中を歩いていった。


 王女の背中は細かった。


 だが、その足取りはもう逃げていなかった。


 王国の嘘を暴くために、王女は王宮へ戻る。


 聖女は兄の真実を取り戻すために、国葬へ向かう。


 近衛騎士は、自分の罪を抱えて沈黙を破る場所へ向かう。


 そして俺は、死者の記録を持って、葬儀の場へ戻る。


 国葬は、もうすぐ始まる。


 だがそれは、王国が用意した美しい物語の終わりではない。


 死者が、本当の名を取り戻すための始まりだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ