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勇者は背中から死んでいた  作者: swingout777


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第15話 英雄管理局の帳簿

 聖剣が、近衛騎士レオンを拒んでいた。


 黒花の中庭に立つレオンは、俺たちの手元にある聖剣を見つめたまま動かなかった。


 雨に濡れた黒い外套。

 白い手袋。

 鞘に収められた剣。


 その姿は、王国が誇る近衛騎士そのものだった。


 だが、聖剣の震えは止まらない。


 赤い光が刃に走り、まるで血の記憶が目を覚ましたように脈打っている。


「それを王都へ持ち帰るな」


 レオンは低く言った。


「なぜです」


 俺は聖剣を布で包み直しながら尋ねた。


「これは勇者カイゼル様の遺品です。遺族であるエリシアさんが持ち帰ることに、何の問題がありますか」


「問題しかない」


「王国にとって、ですか」


 レオンの目が鋭くなった。


「葬儀屋。お前は何もわかっていない」


「わかっていないから、調べています」


「調べれば死ぬ」


「それは忠告ですか。それとも脅しですか」


 レオンは答えなかった。


 エリシアが一歩前へ出る。


「レオン卿。兄は、最後にあなたと戦ったのですね」


 黒花が静かに揺れた。


 魔族の子どもニムは、怯えたように石柱の陰へ隠れている。


 レオンはエリシアを見た。


 その顔に浮かんでいたのは、怒りではなかった。


 苦痛だった。


「戦ったとは言えない」


「では、何ですか」


「止めようとした」


「兄を?」


「王都へ戻ることを」


 エリシアの表情が強張った。


「なぜです」


「戻れば殺されるとわかっていたからだ」


 その言葉に、俺は息を呑んだ。


 勇者カイゼルは、王都に戻ったから殺されたのではない。


 戻れば殺されると、レオンは知っていた。


 それでも止められなかった。


 あるいは――。


「あなたは、誰に命じられたのですか」


 俺が問うと、レオンは口を閉ざした。


 やはり、そこは答えない。


 彼は自分の罪よりも、命令者の名を隠している。


「レオン卿」


 エリシアの声は震えていた。


「あなたが兄を殺したのなら、私はあなたを許せません」


「許されるつもりはない」


「なら、話してください。兄を殺すよう命じたのは誰ですか」


 レオンの右手が、白い手袋の上から強く握られた。


 そこへ、別の声が割り込んだ。


「その答えは、私が持っています」


 俺たちは一斉に振り返った。


 魔王城の門のそばに、一人の少女が立っていた。


 年は十六、七ほど。

 旅装束の上から薄い外套を羽織っている。

 だが、その首元に見える紋章で、ただ者ではないとわかった。


 王家の紋章。


 白鷹と月桂樹。


 エリシアが目を見開く。


「ミラ王女殿下……」


 ミラ王女。


 現国王の末娘。

 王位継承順位は高くないが、慈善活動や戦災孤児の保護で民に知られている。


 なぜ、王女が魔王城にいる。


 俺が警戒して身構えると、ミラ王女は両手を上げた。


「敵ではありません。少なくとも、今は」


「どうしてここへ」


 エリシアが問う。


「あなた方を追ってきました。英雄管理局より先に接触する必要があったので」


「英雄管理局より先に?」


「ええ」


 ミラ王女は、レオンを一瞥した。


「レオン。あなたはまだ黙るつもりですか」


 レオンは苦々しく顔を歪めた。


「殿下。ここへ来るべきではありませんでした」


「そうね。王女としては、最悪の選択です」


 ミラは静かに言った。


「でも、王族として何もしない方が、もっと最悪です」


 彼女は俺たちの前まで歩いてきた。


 護衛はいない。


 王女が一人で魔王領に来るなど、常識では考えられない。


 だが、その顔に怯えはなかった。


「ノア・アーベルさんですね」


「はい」


「あなたのお父上の記録簿を、英雄管理局はずっと探していました」


 俺の背に冷たいものが走った。


「なぜ、それを」


「私も探していたからです」


 ミラ王女は外套の内側から、厚い革表紙の帳面を取り出した。


 表紙には、金の羽根と剣。


 英雄管理局の紋章。


「これは、英雄管理局の内部帳簿です」


 エリシアが息を呑む。


「どうして殿下がそれを」


「王宮の会計監査に、王族の署名が必要な項目があります。私は以前から、英雄管理局の支出に不自然な点があると感じていました」


 ミラは帳簿を開いた。


 細かな数字と項目が並んでいる。


 俺は会計には詳しくない。


 だが、そこに書かれた言葉の意味だけはわかった。


『勇者カイゼル国葬準備費』


 その横に日付があった。


 俺は目を疑った。


「これは……」


 エリシアが震える声で言った。


「兄が死んだ日より、前です」


「三日前です」


 ミラ王女は静かに告げた。


「勇者カイゼルが王都に帰還する三日前。まだ公式には魔王との決戦中だったはずの日に、英雄管理局は国葬費用を計上しています」


 空気が凍った。


 黒花の揺れる音さえ、遠くなった気がした。


 国葬準備費。


 勇者が死ぬ前に、勇者の葬儀が準備されていた。


 それはつまり、王国が勇者の死を予期していたということだ。


 いや、予期ではない。


 予定していた。


「兄は……死ぬことになっていたのですね」


 エリシアの声は、ひどく静かだった。


「魔王に殺されたのではなく」


 俺は帳簿を見つめた。


「王国の計画として、葬られることになっていた」


 ミラ王女は頷いた。


「帳簿には、他にもあります。胸部外傷演出用祭具借用費。国葬用喪章増産費。広報詩人への前払い。勇者記念碑の着工準備金」


「胸部外傷演出……」


 俺は思わず繰り返した。


 胸の偽装傷。


 旧式焼き鏝。

 聖属性の魔力焼印。

 見栄えのよすぎる傷。


 あれは、遺体を見てから慌てて作ったものではなかった。


 最初から予定されていた演出だった。


「誰が承認したのですか」


 俺が尋ねると、ミラ王女は帳簿の下部を指した。


 そこには署名があった。


『宰相バルド・ガルヴェイン』


 レオンの顔が、わずかに歪んだ。


 その反応で、俺は確信した。


 レオンが隠していた「あの男」。


 勇者を殺す命令を下した者。


 それは、宰相バルドだ。


 王国の政治を実質的に動かす男。

 国王の信任厚く、英雄管理局の設立にも関わったとされる人物。


「宰相が……兄を」


 エリシアは言葉を失った。


 ミラ王女は帳簿を閉じた。


「王国は、魔王討伐の成功を必要としていました。長い戦争で民は疲れ、税は重く、国境では不満が高まっていた。勇者が魔王を倒し、壮絶に死ぬ物語は、王国にとって都合がよすぎたのです」


「都合がよすぎたから、作った」


 俺は言った。


「勇者様の死を」


 ミラは目を伏せた。


「私は、王族です。王国の罪と無関係だとは言えません」


「殿下が殺したわけではありません」


 エリシアが言うと、ミラは首を横に振った。


「止められなかった罪はあります」


 その声には、年齢に似合わない重みがあった。


「私は王宮の中で、帳簿を見て、疑って、それでも決定的な行動を取れなかった。勇者カイゼルが死ぬまで」


 レオンが低く言った。


「殿下、もう十分です」


「いいえ。十分ではありません」


 ミラはレオンを見た。


「あなたもそうでしょう。勇者を止めようとした。でも止められず、命令に縛られた。だから今も、自分の罪だけを抱えて黙っている」


 レオンは答えなかった。


 その沈黙は、もはや否定ではなかった。


 エリシアはレオンを見つめた。


「あなたは、宰相に命じられたのですね」


 レオンの喉が動いた。


 しかし、言葉は出ない。


 ミラ王女が代わりに言った。


「レオンの妹は、王宮医療院にいます」


「妹?」


「重い病で、王国の治療を受けています。英雄管理局は、その治療記録を握っている」


 俺は息を呑んだ。


 人質。


 レオンが言えなかった理由。


 言えば、まだ生きている者が死ぬ。


 その言葉の意味が、ようやく見えた。


 エリシアの表情が揺れた。


 怒りと、理解したくない理解がぶつかっている顔だった。


「だからといって、兄を刺していい理由にはなりません」


 レオンは目を閉じた。


「わかっています」


 初めて、彼ははっきりと言った。


「わかっている」


 その声は、ひどくかすれていた。


 ミラ王女は俺へ帳簿を差し出した。


「ノアさん。これを持って行ってください」


「俺に?」


「あなたは死者の記録を持っている。勇者の遺体を見た。聖剣の反応も記録した。黒花も、記録石もある。そこにこの帳簿が加われば、勇者カイゼルの死が計画されたものだったと示せます」


「殿下は?」


「私は王都へ戻ります」


 エリシアが驚く。


「危険です」


「王宮の中でしかできないことがあります。国葬の場で、あなた方が証拠を出す時間を作ります」


「信じていいのですか」


 俺は思わず尋ねた。


 王族。


 王国の側にいる人間。


 ミラ王女はまっすぐ俺を見た。


「信じなくて構いません」


 そう言った。


「ただ、死者の記録と同じように、行動だけを見てください」


 その答えは、妙に葬儀屋向きだった。


 言葉ではなく、残された痕を見る。


 俺は帳簿を受け取った。


 重かった。


 父の記録簿とは違う重さだ。


 こちらには、死者の真実ではなく、生者が死を計画した証拠が詰まっている。


 俺は記録紙を取り出し、新たに書いた。


『英雄管理局内部帳簿を確認。勇者カイゼル死亡三日前に国葬準備費計上。承認者、宰相バルド・ガルヴェイン。勇者の死は事前計画の可能性極めて高し』


 ペンを置いた時、遠くで鐘が鳴った。


 王都の方角からだ。


 国葬開始を告げる、朝の鐘。


 残された時間は少ない。


 ミラ王女は外套を翻した。


「王都で会いましょう」


 エリシアが頷く。


「兄の本当の葬儀で」


 レオンは何も言わなかった。


 ただ、聖剣から目を逸らしていた。


 黒花の中庭に、冷たい風が吹く。


 勇者カイゼルの死は、偶然ではなかった。


 魔王との戦いの果てに起きた悲劇でもなかった。


 王国は、勇者が死ぬ前から、勇者の葬儀を準備していた。


 英雄を作るために。


 死者を物語に変えるために。


 そして、その帳簿はいま、葬儀屋である俺の手にある。


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