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勇者は背中から死んでいた  作者: swingout777


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第12話 魔王城は墓所だった

 魔王城へ行く。


 そう決めた瞬間から、俺たちは王国の外側へ足を踏み出したことになる。


 王都の人々にとって、魔王領は死の土地だ。


 黒い空。

 腐った大地。

 人間を喰らう魔族。

 近づくだけで魂を吸われる黒花の群生地。


 子どもの頃から、そう教えられてきた。


 だが、黒花が呪いではないと知った今、その話をそのまま信じることはできなかった。


 レオンは言った。


 魔王城へ行け。

 黒花の咲く場所を探せ。

 カイゼルが最後に剣を下ろした場所だ。


 勇者が、魔王の前で剣を下ろした。


 その意味を確かめるため、俺たちは古い兵舎に残されていた遠征軍の転移陣を使った。


 国葬まで、残された時間は半日もない。


 王都にいれば、英雄管理局に捕まる。

 ならば、真実がある場所へ行くしかない。


 転移陣は、魔王領の外れにある廃砦へつながっていた。


 光が収まった時、俺の鼻を刺したのは腐臭ではなかった。


 湿った土の匂いだった。


「ここが……魔王領」


 エリシアが呟く。


 空は灰色に曇っている。

 大地には黒い草が生え、遠くには枯れた森が広がっていた。


 たしかに明るい土地ではない。


 だが、王国で語られる地獄とは違った。


 風は冷たい。

 けれど、毒を含んでいるわけではない。

 土は黒い。

 けれど、死んでいるわけではない。


 むしろ、何かを抱え込んでいるように見えた。


 俺たちは、父の記録簿と黒花の花びらを抱え、魔王城へ向かった。


 道は残っていた。


 勇者パーティーが通った道だろう。

 焼けた旗の残骸。

 折れた槍。

 砕けた馬車の車輪。


 戦いの痕跡はあった。


 だが、妙だった。


 遺体がない。


 魔王領で倒れた兵士は、魔族に喰われる。

 そう聞かされてきた。


 ならば、この道には骨の一つくらい残っていてもおかしくない。


 だが、何もない。


 ただ、道の脇に小さな石が積まれていた。


 一つ、二つではない。

 等間隔に、いくつも。


 俺は足を止めた。


「これは……墓標です」


 エリシアが振り返る。


「墓標?」


「石の積み方が、無縁墓と同じです。名を刻めない死者のために、石を三つ重ねる」


 俺はしゃがみ、石の前の土を見た。


 掘り返された痕がある。

 人の手で丁寧に埋め直されていた。


 敵に殺された兵士の遺体を、誰かが埋葬している。


 ここは魔王領だ。


 王国兵の墓を作る理由など、魔族にはないはずだった。


「魔族が、埋めたのでしょうか」


 エリシアの声には戸惑いがあった。


「そう考えるしかありません」


「でも、魔族は人間の死体を――」


 言いかけて、彼女は口を閉じた。


 食らう。


 そう言おうとしたのだろう。


 俺も同じことを教えられてきた。


 だが、目の前にあるのは食い散らかされた遺体ではない。


 名も知らぬ兵士のために積まれた、粗末だが確かな墓だった。


 さらに進むと、黒花が咲き始めた。


 最初は一輪。

 次に三輪。

 やがて、道の両側を埋めるほどに増えていく。


 黒い花びらは、風に揺れても不気味ではなかった。


 むしろ、静かだった。


 死者のそばで、眠りを守っているように見える。


 俺の胸元に入れた花びらが、かすかに温かくなった。


 進め。


 そう言われているようだった。


 魔王城は、谷の奥にあった。


 だが、それは王国の絵物語に描かれるような禍々しい城ではなかった。


 鋭い塔も、燃える門も、血で染まった城壁もない。


 黒い石で造られた巨大な建物が、静かにそこに立っていた。


 城というより、霊廟に近い。


 壁一面に、名前が刻まれている。


 俺は近づき、文字を読んだ。


 魔族の文字だ。

 俺には読めない。


 だが、その隣に刻まれた王国文字は読めた。


『王国歩兵 ミゲル』


『王国弓兵 サラ』


『魔族守備兵 ガルド』


『名不明の子ども』


 俺は言葉を失った。


 王国兵と魔族の名前が、同じ壁に並んでいる。


 敵味方の区別なく。


 身分も種族もなく。


 ただ、死者として。


「ノアさん……」


 エリシアの声が震えていた。


「これは、何ですか」


「墓碑です」


 俺は壁に触れた。


 冷たい石の表面に、いくつもの名前が刻まれている。


「この城は、死者の名前を刻む場所です」


 魔王城。


 人間を呪う魔族の巣。

 世界を滅ぼす悪の玉座。


 そう教えられてきた場所は、墓所だった。


 俺たちは門をくぐった。


 中庭には、黒花が一面に咲いていた。


 その中央に、剣が一本立てられている。


 王国兵の剣だ。

 折れて、刃は半分しか残っていない。


 その横には、魔族の斧が置かれていた。


 どちらも、墓標として並んでいる。


 俺は膝をついた。


 土は柔らかい。

 最近まで誰かが手入れしていた痕がある。


 ここは放棄された城ではない。


 誰かが、今も死者を弔っている。


「魔王は……」


 エリシアが呟いた。


「本当に、死者を弔っていたのでしょうか」


 俺は答えられなかった。


 だが、葬儀屋としてならわかる。


 この場所にあるものは、恐怖ではない。


 弔意だ。


 粗末な石。

 刻まれた名前。

 黒花で囲まれた墓。

 武器を墓標にする作法。


 それは、死者を物語に変えるためのものではない。


 死者を死者として残すためのものだった。


 王国の国葬とは、まるで違う。


 勇者カイゼルは、明日の正午、王都で美しい英雄として飾られる。


 胸の偽りの傷を見せられ、魔王と相討ちになった物語にされる。


 だが魔王城には、敵兵の名前まで刻まれている。


 誰かに都合のいい死ではなく、ただ死んだ者の名が残されている。


 胸が痛くなった。


「カイゼル様は、ここを見たんだ」


 俺は言った。


「だから、剣を下ろした」


 エリシアは黒花の中庭を見つめていた。


「兄は、魔王がただの怪物ではないと知ったのですね」


「おそらく」


「そして、それを王国へ持ち帰ろうとした」


 俺は頷いた。


「だから殺されたのかもしれません」


 その時だった。


 中庭の奥で、黒花が揺れた。


 風ではない。


 誰かがいる。


 俺はエリシアの前に立った。


 黒花の群れの向こうから、小さな影が現れた。


 子どもだった。


 灰色の肌。

 額に小さな角。

 黒い瞳。


 魔族の子どもだ。


 年は十にも満たないだろう。


 その子は、俺たちを見て怯えたように身を縮めた。


 手には、小さな木札を抱えている。


 俺はゆっくりと両手を上げた。


「何もしない」


 言葉が通じるかわからなかった。


 だが、子どもは逃げなかった。


 エリシアが、そっと前へ出る。


「その木札は?」


 子どもは少し迷ったあと、木札をこちらに向けた。


 そこには、拙い王国文字で名前が書かれていた。


『カイゼル』


 エリシアが息を呑んだ。


「兄の……」


 魔族の子どもは、小さな声で言った。


「勇者の墓、作るって……魔王様、言ってた」


 俺は聞き間違いかと思った。


「魔王が?」


 子どもは頷いた。


「勇者は、敵じゃないって。最後に、みんなを助けようとしたって」


 エリシアの顔が歪んだ。


 泣きそうになった。


 それでも、彼女は泣かなかった。


「兄は、ここで何をしたのですか」


 子どもは中庭の奥を指さした。


「あそこで、剣を置いた」


 黒花の奥。


 そこには、巨大な扉があった。


 半分崩れた石扉。

 その前に、聖剣で刻まれたような傷が残っている。


 だが傷は、扉を壊すためのものではなかった。


 途中で止まっている。


 勇者は、確かに剣を振り上げた。

 そして、振り下ろすのをやめたのだ。


 子どもが続けた。


「勇者、魔王様に言った。俺は、間違えてたって」


 エリシアの肩が震えた。


 俺は胸元の黒花の花びらを取り出した。


 花びらは、今までになく強く熱を帯びている。


 その表面に、薄い光が浮かんだ。


 映像が、かすかに滲む。


 黒花の中庭。

 聖剣を下ろす勇者カイゼル。

 その前に立つ、巨大な黒い影。


 魔王ゼルグレイス。


 そして勇者の声。


 ――俺たちは、倒すべき相手を間違えていた。


 映像はすぐに消えた。


 だが、もう十分だった。


 魔王城は、悪の城ではなかった。


 死者の名を刻む墓所だった。


 そして勇者カイゼルは、そこで初めて、自分が信じてきた王国の物語を疑ったのだ。


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