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勇者は背中から死んでいた  作者: swingout777


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第11話 近衛騎士レオンの嘘

 夜明け前の王都は、雨に濡れて静まり返っていた。


 だが、その静けさは眠りではない。


 国葬を前に、街全体が息を潜めているようだった。


 王城前の大広場には、白い布が張られ、喪章をつけた兵士たちが列を整えている。

 勇者カイゼルの棺が通る道には、すでに花が積まれていた。


 民は、英雄を見送る準備をしている。


 けれど俺たちは、その英雄がどう死んだのかをまだ知らない。


 いや、違う。


 死に方はわかっている。


 勇者カイゼルは、背中から刺された。


 問題は、誰が、なぜ刺したのかだ。


 清拭室での襲撃の後、俺とエリシアは勇者の遺体を隠すように整え直した。


 背中の致命傷は無事だった。

 胸の偽装傷も記録した。

 聖銀粉も、黒花も、父の死者記録簿も手元にある。


 だが、国葬まで時間がない。


 俺たちは、近衛騎士レオンを追った。


 彼は葬儀局を出た後、王城へは戻らなかった。


 王都南門近くの古い兵舎。

 かつて遠征軍が出発前に滞在した場所へ向かった。


 なぜ、そんな場所へ行くのか。


 答えは、兵舎の中庭にあった。


 雨に濡れた石畳の上で、レオンは一人、剣を振っていた。


 白い手袋。

 黒い近衛騎士の外套。

 無駄のない足運び。


 剣筋は美しかった。


 だが、どこか苦しそうだった。


 一振りごとに、何かを振り払おうとしている。

 忘れたい記憶を、刃で切り捨てようとしている。


「レオン卿」


 エリシアが声をかけた。


 レオンの剣が止まる。


 彼は振り返らなかった。


「戻れと言ったはずです」


「兄の死に関わる人から、そんな命令は受けません」


 エリシアの声は冷たかった。


 レオンはゆっくりと剣を下ろした。


「あなたは、何を知りたいのですか」


「すべてです」


「すべてを知っても、救われません」


「救われたいのではありません」


 エリシアは一歩前へ出た。


「兄が、なぜ背中から死んでいたのかを知りたいのです」


 レオンの肩がわずかに揺れた。


 俺はその反応を見た。


 この男は、やはり知っている。


「カイゼル様は、魔王の黒槍に胸を貫かれて死んだのではありません」


 俺は言った。


「背中から、細い刃で刺されていた。傷口には聖属性の魔力が残っていた。胸の傷は死後につけられた偽装傷です」


 レオンは何も言わない。


「勇者様の右手には、聖銀粉が残っていました。儀礼用短剣に使われる粉です。そして、あなたは白銀の短剣を持っていた」


「それだけで私を犯人にするつもりか」


「まだ断定はしません」


 俺はレオンの右手を見た。


「でも、あなたの剣の握り方には癖がある。親指で柄を一度なぞる。刃を入れる前に、手首を内側へ少し沈める」


 レオンの目が、初めて俺を捉えた。


「葬儀屋が、剣の癖まで読むのか」


「剣ではありません」


 俺は答えた。


「傷を読みます」


 雨が、三人の間に落ちた。


「勇者様の背中の傷は、刃を入れた者の手首の癖を残していました。迷いなく、深く、心臓へ向けて斜めに入っている。でも、ほんの少しだけ角度が内へ沈んでいた」


 レオンの顔から表情が消えていく。


「あなたが先ほど暗殺者を止めた時、その動きと一致しました」


 沈黙。


 エリシアはレオンを見つめていた。


「答えてください」


 彼女の声は震えていた。


「あなたが、兄を刺したのですか」


 レオンは目を閉じた。


 長い沈黙の後、彼は言った。


「勇者は、魔王に殺された方が幸せだった」


 エリシアの息が止まった。


 俺も、一瞬言葉を失った。


「何を……言っているのですか」


「そのままの意味です」


 レオンは剣を鞘へ戻した。


「魔王と戦い、世界を救い、英雄として死んだ。そういう物語で終われたなら、カイゼルは幸せだった」


「兄の幸せを、あなたが決めるのですか」


 エリシアの声に怒りが滲む。


「背中から刺され、胸に偽りの傷を作られ、国に都合よく飾られることが、兄の幸せだと?」


「真実は、人を救わない」


 レオンは低く言った。


「特に、国を支えている嘘を壊す真実は」


「兄は、その真実を持ち帰ろうとしたのですね」


 レオンは答えない。


 だが、その沈黙が答えだった。


 エリシアの瞳が揺れた。


「兄は魔王領で、何を知ったのですか」


「知らない方がいい」


「またそれですか」


 彼女は一歩、レオンへ近づいた。


「あなたも英雄管理局も、同じことばかり言う。知るな。見るな。黙れ。忘れろ。兄の死を嘘にした人たちは、みんなそう言います」


 レオンは視線を逸らした。


「私は、忘れません」


 エリシアの声が強くなる。


「兄が完璧な英雄ではなかったことも、怖がりながら前へ進む人だったことも、国のためではなく目の前の誰かを守る人だったことも。私は忘れません」


 雨が彼女の頬を伝った。


 それが涙なのか雨なのか、わからなかった。


「だから、勝手に兄を美談にしないでください」


 レオンの顔が歪んだ。


 初めて、仮面が剥がれた。


 そこにあったのは、怒りではない。


 深い罪悪感だった。


「……カイゼルは、戻ってきてはいけなかった」


「なぜです」


 俺が問う。


「魔王領で、何を見たんですか」


 レオンはしばらく黙っていた。


 やがて、かすれた声で言った。


「魔王城だ」


「魔王城?」


「そこへ行け。見ればわかる」


 エリシアが眉を寄せる。


「質問に答えてください。兄はそこで何を知ったのですか」


「私は言えない」


「なぜ」


「言えば、まだ生きている者が死ぬ」


 その言葉には、明らかな恐怖があった。


 レオンは自分の命を恐れているのではない。


 誰か別の人間を人質に取られている。


 そんな響きだった。


「あなたは、英雄管理局に脅されているのですか」


 俺が尋ねると、レオンの目が鋭くなった。


「詮索するな」


「もうしています」


「なら、忠告しておく」


 レオンは俺に近づいた。


 白い手袋の右手が、俺の胸元を掴む。


「死者の傷ばかり見ていると、生者の首が落ちるぞ」


「それでも、傷は見えています」


 俺はレオンの目を見返した。


「あなたは嘘をついている」


 レオンの手に力が入る。


「どの嘘だ」


「勇者様を守ろうとしているふりをしている。でも本当は、勇者様の死を恐れている」


「……」


「あなたは、カイゼル様の遺体を守ったんじゃない。遺体がこれ以上真実を語るのを、自分の目で確かめに来た」


 レオンの拳が震えた。


 殴られると思った。


 だが彼は、手を離した。


「魔王城へ行け」


 それだけ言うと、背を向けた。


「黒花の咲く場所を探せ。カイゼルが最後に剣を下ろした場所だ」


「兄が、剣を下ろした……?」


 エリシアが呟く。


 勇者が魔王の前で剣を下ろした。


 それは、王国の物語とは正反対の光景だった。


 魔王と死闘を繰り広げた英雄。


 そう語られている男が、なぜ剣を下ろしたのか。


 レオンは門の方へ歩いていく。


 その背中に、エリシアが叫んだ。


「レオン卿!」


 彼は足を止めた。


「兄を刺したのは、あなたですか」


 雨音が強くなった。


 レオンは答えなかった。


 ただ、白い手袋の右手を強く握った。


 それだけで十分だった。


 彼は嘘をついている。


 語らないことで、何かを守っている。


 だがその嘘は、勇者を守るためのものではない。


 勇者を殺した夜から、彼自身を縛り続けている鎖だった。


 レオンは振り返らずに言った。


「カイゼルは、最後まで私を友と呼んだ」


 その声は、雨に溶けそうなほど小さかった。


「だから私は、あの男を許せない」


「あの男?」


 俺が聞き返す前に、レオンは歩き出した。


 兵舎の門を抜け、雨の中へ消えていく。


 俺たちはしばらく動けなかった。


 やがてエリシアが、震える声で言った。


「兄は、魔王城で何を見たのでしょう」


「行くしかありません」


 俺は答えた。


「魔王城へ」


 国葬は目前に迫っている。


 だが、勇者の死の理由は、王都にはない。


 黒花の咲く場所。

 勇者が剣を下ろした場所。

 魔王城。


 そこに、王国が隠した真実の入口がある。


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