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第七話:辺境の王道

 辺境の風は、王都とは匂いが違う。


 土と草と、遠くの山から降りてくる冷たい空気が混ざった、どこか剥き出しの匂い。ノアは馬の背から空を見上げながら、久しぶりだと思った。最後にここへ来たのはシリウスとの合同演習で辺境防衛線を視察した時だから、2年近く前になる。


 辺境12か国連合——かつてグランテェリア帝国との戦時に、いち早く竜の国との同盟に手を挙げた人類側の勢力だ。山岳、草原、砂漠と地形も種族も異なる12の領が、共通の利害で束になっている。父王ヒカルの時代に結んだ盟約が、今もここの骨格になっていた。


「懐かしいな」


 隣でライオスが言った。


「兄様は来たことあったんだっけ?」

「ああ。父上の視察に同行した。15の頃だ」

「覚えてるの? そんな昔のこと」


「父上が領主たちと話している間、ずっと退屈で砂を蹴ってた」とライオスは言った。「覚えてるというより、忘れられない」


 街道の先に、辺境連合の迎えが見えてきた。騎馬が10騎ほど、旗を立てて待っている。中央の大きな旗だけが、ガイア家の紋章——大地を割る拳の紋——を掲げていた。


 ノアは列の顔ぶれを遠目に読んだ。ガイアの姿はすぐ分かった。先頭の一番大きい馬に、一番大きい人間が乗っている。それ以外の顔には、知らない顔が混じっていた。ガイア直属の古参ではなく、各領から出てきた新しい世代の顔。歓迎の儀仗にしては、目つきがやや品定めに近い。


(来た)とノアは思った。



 ◇◆◇◆◇



 挨拶は短かった。


 ガイアは馬から降りてライオスと向き合い、「ようこそおいでくださいました、王よ」と言った。声が低く、地面から響いてくるような声だった。60年以上を生きた土の竜の、揺るぎない重さがある。ライオスはその目を正面から受け止めて「ガイア、久しぶりだ」と答えた。堅苦しい返しをしなかったのは正解だと、ノアは思った。ガイアはそういう男だ。


 問題は、その後ろだった。


 各領の新しい領主たちが、ガイアの陰からライオスを測っていた。身長、体格、目の鋭さ——あらゆるものを値踏みしている目だった。


 その中の1人が、半歩前に出た。若い。ライオスよりも若いかもしれない。


「竜の王に申し上げます。かつてヒカル様の御代には、この辺境にも竜の加護が届いておりました。しかし今は魔力も薄く、かつての御力も往時には及ばぬと聞いております。このような時代に、竜の王はいかにして辺境を守られるおつもりか!?」


 物言いは丁寧だった。でも意味は丁寧ではなかった。


 ライオスは、笑っていた。


 不敵な笑い方ではない。相手の言葉をそのまま受け取った上で、それでも揺れない、という種類の笑い方だ。ヒカルがよくやっていたやつだ、とノアは思った。


「いい質問だ」とライオスは言った。「答える前に1つ聞いていいか。貴殿が一番困っていることは、何だ?」


「……は?」

「魔力が薄くなったことで、この辺境で今一番困っていることだ。教えてくれ」


 沈黙が落ちた。それから、最初に口を開いた領主とは別の、年嵩の男が前に出た。


「……水路の魔導ポンプが、今年の春から3割止まっています。麦の収穫が去年の6割を切りそうで——子供たちに食わせる分が……」

「うむ、他には?」

「街道の補修が追いつかないのです。魔法で均していた路面が荒れて、荷車が壊れてしまいます……」

「魔導灯が消えた夜道で、獣に襲われた者が今年3人出てしまいました……」


 言葉が続いた。1つ、また1つ。値踏みの目をしていた者たちが、いつの間にか別の顔になっていた。


「分かった。全部聞いた」


 ライオスは全員の顔を一度ずつ見た。


「ポンプの件、うちの建築家が魔力を使わない機械式の水路を開発している。テラ母様と一緒に研究してきたやつで、今年から実用化が始まった。辺境にも優先的に回す。規模と数は王都に戻ってから調整する」


 領主たちの間に、小さなざわめきが起きた。


「それだけでは足りない。エルフとドワーフの技術者で調査団を作って、この辺境に入れる。地脈の状態から調べて、どこに手を打てばいいか数字で把握したい」

「調査団を辺境に……?」

「嫌か?」


「——いいえ」と年嵩の領主が言った。「ありがたいお話です」


 最初に挑発した若い領主が、ゆっくりと前に出た。「先ほどは、失礼な申し方をいたしました。お許しください……」


「いい質問だったと思ってる」とライオスは言った。「俺がどんな王か、確かめたかったんだろう。それは正しい」


 若い領主は何か言おうとして、口を閉じた。


 重い空気を変えるため、話題を変えるため、ガイアが低い声で差し込んだ。「……テラ様が、そのような研究をされていたのですか?」


「ソイルと一緒に、長年やってきたらしい」

「ほう! テラ様は、お変わりないか?」

「変わらないさ。相変わらずうちの子供たちを追いかけ回してるよ……」


 ガイアが、低く笑った。笑うと、少しだけ年齢が出た。「左様か。……それは何よりだ」


 それだけだった。でもその「何よりだ」の重さが、ノアには分かった。



 ◇◆◇◆◇



 宿に入ったのは日が落ちてからだった。


 領主たちとの夕食は長くなった。ライオスが1人ひとりの話を引き出し、ノアが補足し、時にガイアが古参の知恵を挟む。ライオスは飯を半分残した。食う間も惜しんで話を聞いていた。


 解散になって廊下を並んで歩いていたところへ、ガイアが追いかけてきた。


「シリウス殿は、ご一緒ではなかったのですな」


「王都で軍の指揮を任せてきた。さすがに軍総司令まで連れてきたら仰々しいだろう」とライオスは言った。「ただ——リヒター総帥の墓参りはしたかったと言っていた。次の機会に必ず来ると」


 ガイアは少し黙った。


「……そうか。伝えておきましょう」

「頼む」


 ガイアがノアを見た。値踏みではない。何か遠いものを見るような目だった。


「それにしても、ノア副司令。レヴィア様に、よく似ておられるのぅ。若い頃の」

「……そう?」

「目の鋭さと、立ち方と。リヒターがよく言っておりましたよ。レヴィア様の娘御はいつかとんでもない武人になると。生きていたら、喜んだと思いますよ」


 それは純粋な褒め言葉だった。だから余計に、返し方が分からなかった。


 ノアが黙っていると、ライオスがにやにやし始めた。


「ガイア、ノアがレヴィア母上に似てるって、どのあたりが?」

「に、兄様!」

「うむ。目の鋭さと、声の出し方と——」

「ちょ、ちょっと、うるさいわよ!」


 声が出すぎた。廊下の向こうで宿の従業員が振り返った。


「……兄様こそ、シズクとちゃんと話せてる? あの人溜め込むから」

「話してるさ」

「本当に?」

「してると言ったらしてる!」


 今度はライオスの声が廊下に響いた。2人で顔を見合わせて、同時に口を閉じた。


 ガイアが、ゆったりとした動作で腕を組んだ。


「……お二人ともレヴィア様そっくりですな」

「「違う」」


 声が揃った。


 ガイアは気にした様子もなく、穏やかに笑った。「いや、褒めておるのですよ。レヴィア様は戦場でも、あのように声が大きかった。フレア殿のことになると、特に」


 廊下が静かになった。


「……明日もよろしく、ガイア」とライオスが言った。


「はっ。お任せを」


 ガイアが去った。


 ノアはしばらく黙っていた。レヴィア様そっくり。否定した。でも否定しきれなかった部分が、どこかにある。シリウスのことで声が出すぎるのは、自分でも知っている。それが母親譲りだと言われると——悔しいが、悪い気はしなかった。


「兄様」

「なんだ?」

「今日のライオス兄、よかったよ」


 ライオスが少し黙った。


「剣、抜かなかったしね」

「ああ。父上ならどうしたか、考えながらやった」

「でも父上のやり方じゃなかった。兄様のやり方だった」


 ライオスは返事をしなかった。でも、歩き出した足の音が、少しだけ軽くなった気がした。


 ノアはその背中を見ながら、廊下を並んで歩いた。明日も領主たちと話が続く。水路のことも、街道のことも、魔導灯のことも。剣を使わない、長い仕事だ。


 それが今の王の戦い方だと、ノアは思った。それでいい、とも。


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