第十八話:ミスティの託宣
——アルテミスの神殿跡、指揮所——
「やっほ。久しぶりー、シズク姉様」
シズクは振り返った。
指揮所の入り口に、眼鏡をかけた娘が立っていた。20歳。ヴァルキリアの娘。竜の王家の兄弟姉妹の中で、唯一占いを生業にしている——ミスティだった。
「……どこから入ってきたのよ!?」
「裏口から」とミスティは言った。涼しい顔だった。「神殿の裏に小さい扉があったから」
「それより」とシズクは言った。「今までどこにいたの?」
「色々なところ」
「色々なところって……」
「占いの修業とか、情報収集とか」ミスティは肩をすくめた。「私、王家を離れた身だから。自由に動いた方が使えるでしょ」
シズクは少し間を置いた。
「みんなが大変な時に……」
「だから来たじゃない」とミスティは言った。
「みんなの危機だから駆けつけた。もっと褒めてよ」
「褒めてない」
「褒めてよ」
「褒めない」とシズクは言った。でも、追い返す気にはなれなかった。この妹は、いつもこういう時に現れる。ぎりぎりのところで、必要な場所に。
「マリンたちが捕まってる建物に、衛兵が2人いる」とミスティは言った。声が変わった。「そのうちの1人——左腕に古い傷がある男。占いで見えた。竜の国の出身よ。故郷を追われて教団に入った。でも今、揺れてる」
シズクはミスティを見た。
「それは確かなの?」
「私の占いよ」とミスティは言った。
「どのくらい確かだと思う?」
「……どのくらい?」
「外れたことある?」
シズクは黙った。外れたことは、ない。
「ミレーユが今夜その男を動かそうとしている」とミスティは続けた。「向こうも同じことを察知してるはず。だからフェンリアとソルニアに伝えて。突入した時に、左腕に傷のある男が外に出てきたら傷つけないで。その男は味方になってくれた人間だから」
「分かった」とシズクは言った。ウィンドラに視線を送った。ウィンドラがすでに飛び立っていた。
「ミスティ」とシズクは言った。
「なに?」
「マリンとレオン様のこと、あなたが仕組んだことなんでしょ? だから気になってここに来たの?」
ミスティが少し目を細めた。
「……誰から聞いたの?」
「誰からも聞いてない。でも、知ってた」
ミスティはしばらく黙っていた。それから、少し口角を上げた。
「マリンね、昔ライオスが好きだったの。知ってた?」
「……知ってたわよ」
「シズクに譲って失恋して、しばらく落ち込んでたんだよね。それで私が——」
「全国のイケメン図鑑を持ち込んだ、という話は聞きたくない」
「なんでそれ知ってるの!?」とミスティは言った。
「マリンが教えてくれた」
「あの子、なんでも喋るんだから」とミスティはぶつぶつ言った。「でも結果的には良かったでしょ。レオンとマリンが今どれだけ良い夫婦かは、シズクが一番よく知ってるはずだけど」
シズクは答えなかった。
「レオン様の運命の分岐点が、あのタイミングだった」とミスティは続けた。
「帝国に縛られたまま生きるか、竜の国との縁で世界が変わるか。その瀬戸際に、マリンを引き合わせた。占いで見えたから……」
「だから動いた」
「そ、私はただ背中を押しただけ」とミスティは言った。「2人の縁は本物だった。私はきっかけを作っただけ」
シズクは少し黙った。
「……ありがとう」
「だったら、もっと感謝してよ」
「十分感謝してる」
「もっと!」
「してるってば!!!」
ミスティは満足そうに眼鏡を直した。
その時、ウィンドラが戻ってきた。
「シズク王妃。クロノスから通信です。建物を特定、突入準備完了。マリン様の内側でも動きがあると」
「タイミングを合わせて」とシズクは言った。「今夜動かします」
「フェンリアとソルニアには伝えました」とウィンドラは言った。「左腕に傷のある男は保護する、と」
シズクはミスティを見た。
「ね、役に立った?」
「当然」とミスティは言った。眼鏡の奥の瞳が、どこか遠くを見ていた。「まだ終わってないけど」
◇◆◇◆◇
——帝都南西区、地下牢——
夜が深くなっていた。
ミレーユが扉の前に立った。3度目の接触だった。
「今夜、最後のお話をさせてください」とミレーユは言った。
長い沈黙があった。
「……聞く」
「ヴェルダン卿の屋敷が、今夜崩されます」とミレーユは言った。
「土の六天将が壁ごと崩しに行っています。通商連合の物資拠点も同時に封鎖されます。教団の通信は昨夜から途絶えています。闇の六天将が指揮系統を内側から断ち切ったからです」
沈黙。
「貴方の雇い主は、今夜崩れます」とミレーユは続けた。「崩れた後、生き残った者たちへの処遇は二通りです。教団側として戦った者は裁かれる。竜の国と帝国に協力した者は証人として保護される」
「……でたらめだ」
「でたらめかどうかは、貴方が確認できます」とミレーユは言った。「この建物の外に、今夜、竜族が来ます。来た時に、貴方がどちら側にいるかで、その後が変わります。そして——」
ミレーユは一拍置いた。
「竜の国は貴方の故郷でしょう。今の王は、故郷を追われた者の話を聞く王です」
長い沈黙があった。
金属の音がした。
鍵だった。扉の隙間から、鍵が差し込まれてきた。
「……俺は見なかった」と男は言った。「30分だけ目を離す」
ミレーユは鍵を受け取った。「ありがとうございます」と静かに言った。「貴方の判断は正しい。外に出た時、左腕の傷を見せてください。味方が必ず保護します」
男が少し息をのんだ。「……なぜ、それを知っている?」
「ふふ、竜の国には、色々な人間がいるのです」とミレーユは言った。
マリンが立ち上がった。アルテミスも立ち上がった。
「ミレーユ」とマリンは言った。
「はい」
「すごい!!」
「お褒めいただき光栄です」とミレーユは言った。「ただし、まだ終わっていません。外に出てもクロノス様が来るまで動いてはいけません」
「分かったわ!」
3人は扉を開けた。廊下は暗かった。衛兵の姿はない。
マリンは廊下に出て、天井を見上げた。
地下だ。
でも、外は近い。
その時、廊下の影が動いた。音もなく。
「……来た」とクロノスの声がした。
「クロノス!」とマリンは言った。「早かったね!!」
「リベルが場所を特定したんだ」とクロノスは言った。「外に教団の兵が5人いる。フェンリアとソルニアが処理中だ」
「行きましょう」とミレーユが言った。「マリン様、アルテミス様、クロノス様の後ろに」
クロノスが先に進んだ。影の中を、音もなく。3人がその後ろに続いた。
階段を上がった。扉を抜けた。
外の空気が来た。帝都の夜の、冷たい空気だった。
——帝都南西区、旧倉庫外周——
フェンリアが地面に降り立った瞬間、炎の翼が広がった。
教団の精鋭が5人、倉庫の周囲を固めていた。本物の狂信者の目をしていた。怯まなかった。それでも——相手が悪かった。
「ソルニア!」
「はい!」
フェンリアの炎が前方を薙いだ。ソルニアの光が側面を照らし、逃げ道を塞いだ。炎と光が交差した瞬間、精鋭たちの視界が完全に奪われた。
10秒もかからなかった。
5人全員が地面に伏した。死んではいない。でも、立ち上がれない。
その時、倉庫の扉が内側から開いた。クロノスが先頭に出てきた。その後ろに、マリン、アルテミス、ミレーユが続いた。
そして——もう1人。
左腕に古い傷がある男が、静かに後ろからついてきた。
フェンリアはその男を見た。
男は左腕を少し持ち上げた。傷を見せた。
ソルニアが前に出た。
「貴方が協力してくれた方ですね」
男は小さく頷いた。
「竜の国へ帰りたいなら、帰れます」とソルニアは言った。「ライオス王が話を聞きます」
男は長い間、何も言わなかった。
それから、目を伏せた。
「……頼む」
フェンリアはマリンを見た。マリンはフェンリアを見た。
「フェンリア!」とマリンは言った。
「マリン様」とフェンリアは言った。「お久しぶりです。ご無事で何より」
「ソルニアも!」
「当然です」とソルニアは言った。「マリン様とアルテミス様のためなら、どこへでも参ります」
アルテミスが空を見上げた。星が出ていた。
「お姉様」とアルテミスは小さく言った。
「知ってる」とマリンは言った。「綺麗だよね」
「行きますよ」とミレーユが言った。「感傷は後で……」
「「はい」」と2人は同時に言った。
◇◆◇◆◇
——アルテミスの神殿跡、指揮所——
「シズク王妃」とウィンドラが飛んできた。「マリン様が無事クロノス様たちと合流しました。フェンリアとソルニアが外の制圧を完了しています。協力者の保護も確認しました」
「アルテミスは?」
「もちろん一緒に出てきています」
シズクは少し息をついた。
「ミスティ」
「なーに?」
「占い、当たってた」
ミスティは満足そうに眼鏡を直した。「当たって当然よ」
「……ありがとう」
「だからもっと感謝してって言ったのに」
シズクは答えなかった。でも、少し笑った。
夜明けが近かった。帝都の空が、東から少しずつ明るくなり始めていた。
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