三人の距離
新学期が始まって数日。
学園の空気は、夏季休暇前と同じようで、どこか違っていた。
違和感の正体を言葉にできる者は、少ない。
正確には――気づいているのは、カレンとベルンハルトだけだった。
レオンは、あまりにも自然にそこにいた。
廊下でも、教室でも、昼食の席でも。
まるで以前からそうであったかのように、当たり前の顔で会話に混じり、隣に立つ。
周囲の生徒たちは、軽く噂をするだけだ。
「夏休みに仲良くなったんだって」
「留学生って、意外と気さくだよね」
それだけで終わる。
――そう見えてしまうほど、レオンの振る舞いは“馴染んで”いた。
カレンは、胸の奥に小さな棘を抱えたまま、平静を装っていた。
ベルンハルトは、その横で、静かに、しかし確実に神経をすり減らしている。
「カレン」
放課後前、レオンが何気ない調子で声をかけてきた。
「合同の件、少し相談したい」
その一言に、カレンの肩がわずかに強張る。
「あ、えっと……」
言葉を探す間も与えないように、レオンは続けた。
「放課後な。図書室か、調合室。どっちがいい?」
選択肢は二つ。
だが、逃げ道はない。
(人の目が多い方が……)
「……図書室、ですかね」
カレンがそう答えると、すぐ横からベルンハルトが声を挟んだ。
「俺が相談を受けよう」
一瞬、空気が止まる。
しかしレオンは、ほんの一拍置いただけで、楽しげに笑った。
「いいね。じゃあ三人でだな!」
軽く手を叩くような仕草。
「カレン、後で迎えに行く」
それは決定事項のような口ぶりだった。
ベルンハルトは何も言わなかった。
言えなかった、という方が正しい。
……。
放課後の図書室は静かだった。
高い天井、整然と並ぶ書架。
紙の匂いと、微かなインクの香り。
三人は同じ卓についた。
レオンは椅子に深く腰掛けると、ため息まじりに言った。
「はー……前に振った女子がさ、やたら絡んできて困るんだよね」
カレンは顔を上げる。
「私を巻き込まないでください」
低く、はっきりした声。
「しっ」
レオンは人差し指を唇に当てた。
「ここ、図書室だろ?」
その仕草が、妙に様になっているのが腹立たしい。
カレンは視線を逸らそうとして――
その瞬間、レオンと目が合った。
じっと、逃がさない視線。
レオンの口元が、わずかに緩む。
(……なに、この人)
胸の奥がざわつく。
その拍子に、カレンの手元からペンが落ちた。
カラン、と乾いた音。
「あ……」
屈んだカレンと、同時にレオンも手を伸ばす。
わざとだと、後になって思うほど、狙いすました動き。
指先が、触れた。
ほんの一瞬。
それでも、はっきりと分かるほどの接触。
カレンはびくりと肩を跳ねさせ、すぐに手を引いた。
「……っ」
レオンは何事もなかったかのようにペンを拾い上げ、卓に置く。
そして、何食わぬ顔で紙にペンを走らせ始めた。
ベルンハルトは、その一部始終を見ていた。
何も言えない。
声を荒げれば、ここでは不利になる。
だが、胸の奥で、何かが軋む音がした。
(――触るな)
言葉にならない感情が、静かに、確実に積もっていく。
カレンは、視線を落としたまま、深く息を吸った。
この場にいること自体が、もう限界に近い。
それでも、席を立てない。
レオンは相変わらず、余裕のある態度で資料をめくっている。
ベルンハルトは、無意識のうちに、卓の下で拳を握り締めていた。
三人は並んでいる。
形の上では、何の問題もない。
だが――
その距離は、決して均等ではなかった。
見えない歪みが、静かに広がっていく。
それに気づいているのは、
まだ、この場にいる三人だけだった。




