一通の手紙と、早すぎる迎え
朝は、静かに始まるはずだった。
夏の名残を含んだ風が、カーテンをわずかに揺らし、
鳥の声が遠くで混じる。
いつもと変わらない、はずの朝。
そのはずだった。
「お嬢様」
控えめなノックのあと、
メイドの声が、少しだけ強張っているのに気づいた。
「お客様が……早朝より」
嫌な予感が、胸の奥を掠める。
玄関に向かう途中、
まだ整えきれていない心のまま、
カレンは深く息を吸った。
扉の向こうに立っていたのは、
予想通りの人物だった。
レオン。
朝の光を背に、
まるで当然のようにそこにいる。
「おはよう、カレン」
軽やかな声。
昨日の緊張など、なかったかのような態度。
「今日は君に似合うドレスを買いに行こうか」
「……あの」
言葉を選ぶ前に、彼は続ける。
「必要ない? なら、装飾品だな」
こちらの返答を待つ気配はない。
レオンは振り返り、
御者に短く指示を出した。
馬車は、すでに用意されていた。
「迎えに来た。それだけだ」
拒否の余地が、どこにもない。
気づけば、
カレンは馬車に乗せられていた。
向かい合う席。
外の景色が流れていく。
気まずい、はずなのに。
沈黙が重い、はずなのに。
レオンは、まるで雑談でもするかのように、
穏やかな表情で窓を眺めている。
「カレン」
呼ばれて、肩がわずかに揺れた。
「君は、本当に美しいな」
返事はできなかった。
視線を逸らしたまま、
膝の上で指を組む。
すると、
指先が、顎にかかった。
くい、と持ち上げられる。
「俺を見ろ」
低く、命令に近い声。
「……正直に言っても、いいですか」
自分でも驚くほど、
声は落ち着いていた。
レオンは、瞳だけで促す。
「非常に、困っています」
言葉を区切りながら、
はっきりと。
「やめてほしいです」
一瞬、
馬車の中の空気が止まった。
けれど、レオンは笑わない。
「俺は、困っていないが?」
淡々とした返答。
「なぜ、私なんですか」
問いは、ずっと胸にあった。
「さあな」
肩をすくめる。
「運命じゃないか?」
「……何それ」
宝飾店に着いた。
煌びやかな店内。
光を反射する宝石たち。
レオンは迷わない。
「これを」
「あれも」
次々と示され、
並べられていく。
カレンが口を挟む間は、ない。
「この首飾りはいい」
そう言って、
彼は立ち上がり、
自然な動作でカレンの背後に回った。
冷たい金具が、
首元でカチリと留まる。
その瞬間。
髪に、空気が触れた。
口付けられた、わけではない。
けれど、
“近さ”がはっきりと伝わる。
カレンの指先が、震えた。
「似合う」
満足げな声。
明るく、何事もなかったかのように。
「昼食は何が食べたい?」
「……あの」
胸が苦しい。
「帰ります」
声が、少し掠れた。
「体調が……優れなくて」
一瞬、
何かを測るような沈黙。
「……そうか」
あっさりと。
「送る」
拍子抜けするほど、
簡単に引き下がった。
馬車は、再び走り出す。
ベルガモット家の門が見えた時、
ようやく息が戻った。
その頃。
家には、一通の手紙が届いていた。
ベルンハルトから。
「昼に迎えに行く」
短く、けれど確かな文字で。




