絶望を抱く朝
朝の空気は、やけに澄んでいた。
いつもと同じ時間。
いつもと同じ道。
いつもと同じつもりで、ベルガモット家の門前に立った。
――だが、違った。
門は静まり返っている。
馬車の気配も、人の気配もない。
胸の奥が、ひどく嫌な音を立てた。
「……カレン?」
名を呼ぶ声は、朝に吸い込まれて消える。
返事はない。
応対に出た使用人の、困ったような表情で察した。
「お嬢様は……すでにご出立なさいました」
「……誰と?」
答えを聞く前から、分かっていた。
それでも、聞かずにはいられなかった。
「レオン様と……学園へ」
視界が、すっと遠のいた。
――二日前。
応接室で、あの男が彼女の唇に触れた瞬間。
泣き崩れるカレンを前に、俺は踏み込めなかった。
――一日前。
門前ですれ違い、彼女は「会えない」と言った。
俺は、それを尊重したつもりだった。
そして、今朝。
「……そう、ですか」
喉が、からからだった。
言葉は丁寧だったはずなのに、どこか壊れていたと思う。
馬車に戻る足取りが、重い。
いや、重いのではない。
何かが、内側から削がれていく感覚だった。
(……迎えに来るのが、当たり前だと思っていた)
いつも、隣にいるものだと。
手を伸ばせば、そこにいるものだと。
だが――
彼女は、もう、俺の隣にはいなかった。
(俺は……何を、していた)
守ると言いながら。
信じると言いながら。
肝心なときに、何一つ、選ばなかった。
彼女が汚れたなどと、思うべきではなかった。
洗う必要など、なかった。
必要だったのは――
俺が、彼女に触れることだった。
離さないと、示すことだった。
拳を、強く握り締める。
爪が食い込み、痛みが走る。
(……もう、遅いのか?)
脳裏に浮かぶのは、
レオンの笑み。
「今日も彼女は甘かったよ」という、あの言葉。
胸の奥で、何かが軋んだ。
――違う。
違う、違う、違う。
カレンは、奪われた。
望んだわけじゃない。
(……俺が、奪われたんだ)
選ばなかった俺が。
動かなかった俺が。
学園へ向かう馬車の中、
窓の外がやけに明るく見えた。
(……取り返す)
その言葉が、胸の底で、初めて重さを持った。
もう、同じ過ちは繰り返さない。
彼女がどこにいようと。
誰の隣を歩いていようと。
――俺は、もう二度と、手を離さない。
朝日は、残酷なほどに眩しかった。




