96話
「君の言う通りかもしれないな。あの時、彼女があんなにも思い詰めていた事に気がついていれば、きっと事件は起こらなかった。だから、皆が不幸になったのは確かに俺のせいで――」
だが、アイカは即座に彼の言葉を否定する。
『いいえ。それは違います!事件が起こったのは決して宰相様のせいではありません。幼馴染の令嬢は、嘘を吹き込まれた時に事実を確かめる事も、凶行に及ぶのを自分の意思で思い留まる事もできたはずなのに、そうしませんでした。彼女が不幸になったのは、あくまで彼女自身の選択の結果であって、あなたのせいではありません』
そうきっぱりと言い放った。
「だが、俺を庇って傷ついた護衛騎士は?ノアはどうなんだ?彼らは俺のせいで事件に巻き込まれたんだぞ?」
『護衛騎士であるならば、その任に就いた時点で主を守って命を失う覚悟はとうに出来ていたはずです。だからきっと、宰相様を守れた事を誇りに思う事はあっても、憎む事はなかったでしょう。主であるあなたがそんな風に考えるのは、護衛騎士としての彼の誇りを踏みにじる事になりませんか?』
『‥‥‥仮に、もし君の言う通りだとしても、ノアは──あいつがあんなに痛くて怖い思いをしたのは──あんなにも惨い死に方をさせてしまったのは、完全に俺のせいだろう?‥‥‥きっとノアは、俺を恨んでいるだろうな‥‥‥』
アイカは、そう言って顔を強張らせる彼を痛ましく思う。あなたが自分を責め続ける必要は無いのだと、どうしたらこの優しい人にわかってもらえるのだろう?
彼女は慎重に言葉を選びながら語りかけた。
『ノアさんは、あなたを恨んでなんかいないと思います。それどころか、薬のせいで混乱して訳がわからないままあなたを襲ってしまった事を、ずっと心の中で嘆いていたのではないでしょうか』
「まさかそんなこと、あるはずがない――」
『そうだよー。あの時、あの子は泣いてたのー』
『大好きなご主人を傷つけてしまった、って心の中でいっぱい泣いてたー』
『苦しいよ、こんなことしたくないよって、ずっと叫んでたー』
『命が尽きる瞬間まで、あの子はずっと悲しんでたのー』
レイザックの考えを否定し、アイカの言葉を裏付けるように、屋敷の精霊たちが口々に叫ぶ。
「そんな、では、本当にノアは――」
レイザックが苦しそうに息を吐きながら顔を歪ませる。
『あなたを傷つけてしまった事を悲しみながら死んだノアさんが、自分のせいで大好きなあなたが猫嫌いになったと知ったら、きっとますます悲しみます。それではノアさんがあまりにも可哀そうです‥‥‥』
そう言って、アイカが手足を揃えて座ったまま、レイザックを仰ぎ見る。奇しくもそれは、ノアが生前、彼によく見せていた仕草だった。
「そうか。確かにそうかもしれないな‥‥‥」
その姿をノアに重ねたレイザックが、泣き笑いのような顔になる。
「‥‥‥ずっと忘れていた――ノアが俺に何か言いたい時は、決まって今の君みたいに、座ったままで俺の顔をじっと見上げて来るんだ。そして俺が気づいて目を合わせると、あいつは嬉しそうに鳴きながらすり寄って来て――」
そこまで言いかけたレイザックの瞳から、一筋の涙が流れ落ちる。
「──ああ、そうか。俺は猫が嫌いになったのではなく、猫を憎くて恐ろしい存在だと思い込むことで、無意識に自分の記憶からノアを締め出そうとしていたのだな」
猫と接する事がなければ、愛猫ノアとの悲惨な別れや、自分のせいで彼を死なせてしまったという罪悪感を思い起こさずに済む。レイザックは猫嫌いになる事で、無意識に辛い記憶から自分の心を守ろうとしていたのだろう。




