70話
シェリーに朝食を給仕されながら、マリーナはぼんやりと考えていた。
(もしかして、あの不思議な存在が、ドロレスから私を守ろうとしてくれているのかしら?)
根拠など全くないにもかかわらず、何故か自然とそう思えるのが自分でも不思議だった。
この日は、ドロレスの妨害がなかったせいで、久しぶりに安心して朝食を取ることができた。だが、どの料理も味付けが濃く量が多かったため、食欲はあってもいざ口にいれると体が受け付けてくれず、どれも少し手を付けただけでほとんど残してしまった。
スープやサラダ、わずかな果物しか口にできないほど、自分の体は弱ってしまったのかとマリーナは落ち込んだが、それと同時に、さぞかし料理長のバルデムが気落ちするだろうと、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
それでも、給仕をしてくれたシェリーは、彼女が久しぶりにスープ以外の物も口に運んだ事を、心から喜んでいた。
不思議な事に、翌日以降も、ドロレスだけがマリーナの部屋に立ち入る事ができなかった。
だが当のマリーナはその事よりも、相変わらず彼女の部屋を訪れる謎の存在の正体が気になって仕方がなかった。
それからわずか数日後、執事のクラウスからドロレスが逮捕された事を聞かされた彼女は、ドロレスがスープに毒を盛っていたと聞かされて、やはりそうだったかと納得した。
いつも食事を取らせまいと執拗に嫌がらせしてきた彼女は、何故かスープだけはしきりに飲まそうとしていたからだ。
シェリーやクラウスたちは、マリーナの体調が良くなってきたのは、毒を盛られなくなったのと解毒剤の効果があったからだと思っているようだが、彼女自身はそうではないと思っている。
初めて不思議な存在に気づいた日から、心地よい温かさに包まれて眠るたびに、体調が良くなってきているという自覚があるからだ。
(解毒剤を飲まされる前から、既に体のだるさや痺れは無くなっていたのだもの。きっとあの不思議な誰かさんが魔法で毒を取り除いて、私の体を治してくれていたのだわ)
そして今、シェリーから子猫の姿をした精霊の事を聞かされた彼女は、いつも部屋に訪れていた謎の存在の正体は、その子猫の姿をした精霊で、間違いなく自分の事を助けてくれているのだと確信した。
(だけど、あの子がこの部屋を訪ねてきていた事を、シェリーに教えてしまって大丈夫だったかしら?)
マリーナのそんな心配をよそに、子猫の姿をした精霊がこの部屋を訪れていたと知ったシェリーは、目をきらきらと輝かせながら部屋中をしきりに見回している。
(あの子は普通の精霊と違って、人目に付くことを恐れているのかもしれないわ。実際に、私が身じろぎした途端に、慌てて逃げてしまった事が何回もあるし‥‥‥)
強い力を持つ高位精霊であるのに人を恐れていて、そのくせ人助けをしようとする臆病な子猫の精霊。
何もかもがちぐはぐな、この不思議な精霊の訪れは、長い間病に苛まれて希望を失っていたマリーナにとって唯一の楽しみになっていた。
気まぐれにこの屋敷に来た時と同じく、いつまた居なくなるかもわからない。けれど、出来る事なら、少しでも長くここに居て欲しい──いつしか彼女は、目を閉じるたびにそう祈るようになっていた。
(きっとこちらから不用意に近づこうとすれば、あの子は怖がって逃げてしまう。下手をすると、そのまま二度と戻って来ない事だってあるかもしれないわ)
そう考えると、シェリーに精霊の訪れがある事を知らせたのは、やはり早計だったかもしれない。
(あの子がどこかへ行ってしまわないように、シェリーにも屋敷の者たちにも、もしあの子を見かけても、気づかないふりをしてもらわなくてはいけないわ。だけど、それを彼らに伝えるのにはどうしたらいいのかしら‥‥‥)
彼女は困り顔になって一人静かに思案しはじめる。
不意にベッドの下から、くしゅっ、というかすかな音が聞こえたのは、その時だった。




