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第98話 父の心へ

火の神殿アグニ・ゼル――。


イグニアの放った《聖炎拳》によって、黒炎竜の胸に灯った小さな紅蓮の光。


それは絶望の海に浮かぶ、たった一つの希望だった。


だが――。


その代償のように、黒炎竜の全身から黒炎が暴れ始める。


『ガァァァァァァァァァァッ!!』


苦しみの咆哮。


怒りではない。


悲鳴だった。


まるで竜王自身が、内側から何かに抗っているような。


「父様!!」


ルシエルが叫ぶ。


その瞬間――


黒炎竜の胸に灯った紅蓮が脈打った。


ドクン。


世界が反転する。


気づけば二人は立っていた。


静かな場所に。


「……ここは?」


ルシエルが辺りを見回す。


イグニアも息を呑んだ。


そこは広大な草原だった。


暖かな風。


青い空。


どこまでも続く緑。


戦場とは真逆の世界。


そして――


遠くに、一頭の巨大な白銀の竜が座っていた。


「父様……?」


ルシエルの声が震える。


だが、その姿は黒炎竜ではない。


竜王アルヴァリオン。


優しい瞳を持つ本来の竜王だった。


「来てしまったか」


低く穏やかな声。


懐かしい温もり。


ルシエルの瞳から涙が溢れる。


「父様……!」


駆け出す。


抱きつく。


だが竜王は静かに首を振った。


「駄目だ」


「まだ触れるな」


その言葉に二人は立ち止まる。


竜王の身体は半透明だった。


まるで消えかけているように。


「時間がない」


竜王は空を見上げる。


その視線の先には――


巨大な黒い亀裂。


世界を蝕む闇。


ネメシスの侵食だった。


「父様……何が起きたの?」


ルシエルが尋ねる。


竜王は静かに目を閉じた。


そして語り始める。


千年前。


精霊姫たちが世界を守っていた時代。


竜族もまた、その戦いに加わっていた。


大精霊エーテル。


精霊姫。


精霊騎士。


守護精霊。


守護神獣。


そして竜族。


すべてが一つだった時代。


だが――


ネメシスが現れた。


侵食の神。


絶望の化身。


世界を壊すためだけに生まれた存在。


「我らは戦った」


「だが勝てなかった」


竜王の声が重くなる。


「奴は力で壊すのではない」


「心を壊す」


ルシエルの表情が強張る。


それは今も続いている。


リヴィエラ。


ヴァルディス。


バルグラド。


すべて同じだった。


「竜族の里も……?」


イグニアが震える声で尋ねる。


竜王は頷く。


「襲われた」


その瞬間――


景色が変わる。


燃え盛る里。


倒れる竜族。


泣き叫ぶ子供たち。


そして。


黒炎を纏った騎士たち。


堕精四騎。


ルシエルが息を呑む。


「そんな……」


だが竜王は首を振る。


「違う」


「彼らも被害者だ」


その言葉に二人は目を見開いた。


「え……?」


「奴らは操られていた」


「心を壊され」


「記憶を書き換えられ」


「大切なものを忘れさせられた」


その声は悲しかった。


憎しみではない。


哀れみだった。


「だから私は逃がした」


竜王は二人を見る。


「お前たちを」


「生きてほしかった」


「世界の希望になってほしかった」


ルシエルが泣きながら首を振る。


「そんなの嫌だ……」


「一緒にいたかった……!」


竜王アルヴァリオンは微笑む。


優しく。


父親の顔で。


「知っている」


「私もだ」


その一言でルシエルの涙が溢れた。


その頃――現実世界。


『ガァァァァァァァァァァッ!!』


暴れる黒炎竜を前に、セインは一人立っていた。


全身傷だらけで、血が流れている。


それでも退かない。


「まだだ……」


魔導斧を握り直す。


「あと少し」


「あと少しだけ持てばいい」


黒炎が迫る。


セインは正面から受け止める。


ドォォォォォン!!


吹き飛ばされる。


だが立つ。


再び立つ。


「どうしてそこまでする」


アルが叫ぶ。


セインは苦笑した。


「決まってるだろ」


そして空を見上げる。


「今度こそ守りたいからだ」


千年前。


守れなかった。


見送ることしかできなかった。


だから今度は違う。


その時だった。


バルグラドが前へ出る。


「……どけ」


低い声。


セインが目を細める。


「何のつもりだ」


バルグラドは黒炎竜を見上げた。


そして、初めて戦斧をネメシスの侵食へ向ける。


「気に食わねぇ」


その一言だった。


「俺の記憶を弄びやがって」


紅い瞳に宿る怒り。


だがそれは破壊衝動ではない。


取り戻した感情だった。


「フレイアを」


「勝手に消したのはテメェか」


戦斧が唸る。


轟音。


黒炎が裂ける。


セインが驚く。


アルも。


レオンも。


リナも。


誰も予想していなかった。


堕精四騎。


煉獄の戦鬼。


バルグラドが、初めてネメシスへ牙を剥いた。


そして父の心の中。


竜王が静かに言う。


「行け」


ルシエルとイグニアを見る。


「私はもう大丈夫だ」


「だが世界は違う」


その声は弱い。


それでも力強かった。


「救ってくれ」


「私ではなく――」


竜王アルヴァリオンは微笑む。


そして最後に告げた。


「未来を」


その瞬間、二人の胸に宿る紅蓮が共鳴する。


ドクン。


ドクン。


ドクン。


父から託された想い。


千年を超えた願い。


そして――


救済の時が近づいていた。


黒炎竜の瞳から、一筋の涙が流れる。


誰にも気づかれないほど小さな涙。


けれどそれは確かに――


竜王がまだそこにいる証だった。


第98話 終わり

ここまで読んでいただきありがとうございます!


少しでも続きが気になったら、ブックマークや評価で応援していただけると嬉しいです。


次回もぜひ読んでいただけたら嬉しいです!

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