第97話 壊れた騎士の記憶
火の神殿アグニ・ゼル――。
グレンディアの裁定が進行する中、世界は三層に分断されていた。
① 黒炎竜の暴走領域
② グレンディアの裁定領域
③ そして――イグニアが触れた“記憶層”
その“歪み”が、戦場全体に広がり始めていた。
ゴォォォォォォォ……ッ
黒炎竜が吠える。
だがその声の中に、微かに“別の響き”が混じる。
(……誰だ……)
(この火を……呼んでいるのは……)
その瞬間だった。
バルグラドの動きが止まる。
「……っ」
初めて、彼の表情から余裕が消えた。
黒鉄の戦斧が、わずかに震える。
リナが気づく。
「バルグラド……?」
セインが目を細める。
「記憶が……揺れてる」
その言葉と同時に、フレイアの“残響”が空間に滲む。
『……まだ、そこにいるのね』
その声を聞いた瞬間ーー。
バルグラドの世界が“割れた”。
⸻
――視界が変わる。
火。
崩壊寸前の神殿。
叫び。
崩れる柱。
そして――
紅蓮の中心に立つ少女。
フレイア。
その姿を見た瞬間、バルグラドの呼吸が止まる。
「……嘘だろ」
彼の声は、戦場のそれではなかった。
人間の声だった。
フレイアは振り返る。
『遅かったわね』
その言葉に、バルグラドの記憶が崩れる。
(守るはずだった)
(この場所を)
(この火を)
(この人を)
だが、そのすべての中心に、黒い“影”があった。
ネメシス。
空間を裂くように現れた“侵食の意志”。
フレイアの声が変わる。
『来てはダメ』
その瞬間、バルグラドは走っていた。
だが、遅かった。
黒炎が“内側”から燃え上がる。
それは外敵ではない。
“侵食”。
記憶の中に入り込む災厄だった。
バルグラドの手が震える。
「……俺は……」
「間に合わなかったのか……?」
その言葉と同時に――
記憶が崩壊する。
⸻
現実。
バルグラドが膝をつく。
ドンッ!!
地面が割れるほどの衝撃。
リナが息を呑む。
「……苦しんでる……?」
セインが即座に否定する。
「違う」
「“思い出してる”」
アルが目を細める。
「何を……?」
セインは短く答える。
「最悪の真実だ」
その瞬間――
バルグラドの紅い瞳が揺れる。
「……フレイア……」
初めて出る“名前”。
その瞬間、黒炎竜が反応する。
ゴォォォォォォォォッ!!
空気が震える。
まるでその名前が“鍵”だったかのように。
バルグラドは震えながら笑った。
「そうか……」
「そういうことかよ……」
彼の視界に、もう一度“記憶”が流れ込む。
フレイアの声。
『あなたは守れなかったんじゃない』
『“壊された”の』
その言葉に、バルグラドの表情が崩れる。
「俺は……」
「騎士だったんじゃねぇのかよ……」
その瞬間――
ネメシスの影が記憶の奥で蠢く。
“侵食”
“改変”
“書き換え”
すべての真実がそこにあった。
バルグラドは笑う。
だがそれは狂気ではない。
壊れかけた理解だった。
「……俺はずっと」
「敵だったのか」
その言葉に、空気が止まる。
リナが息を呑む。
「違う……」
セインが低く言う。
「いや」
「“そうされていた”」
その瞬間――
バルグラドの中で何かが切れる。
黒炎が揺れる。
だが、それは暴走ではない。
“解放”だった。
ゴォォォォォォォォッ!!
炎が空へ上がる。
だがその炎は攻撃ではなく――叫びだった。
バルグラドは空を見上げる。
「フレイア……」
「今度は……間に合うのか?」
その問いに答える者はいない。
だが、フレイアの残響だけが、静かに返す。
『もう一度、選びなさい』
その瞬間――
バルグラドの戦斧が、初めて“握り直される”。
敵ではない。
味方でもない。
だが――“変わる可能性”を持った存在へ。
セインが静かに言う。
「面倒な奴が一番厄介だ」
だがその声には、わずかな変化があった。
拒絶ではない。
観測だった。
戦場はまだ終わらない。
黒炎竜は吠え続けている。
グレンディアは裁定を進めている。
そしてその中心で――
“壊れた騎士”が、再び立ち上がろうとしていた。
第96話 終わり
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