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第93話 忘れられた炎

火の神殿アグニ・ゼル――。


黒炎と紅蓮が交差する戦場の中心で、大地はすでに原形を失っていた。


ゴォォォォォォォォッ!!


黒炎竜の咆哮が空間を震わせる。


だがその動きは、先ほどよりもわずかに乱れていた。


イグニアの紅蓮が“届いている”。


リナの癒しの火が“繋ぎ止めている”。


セインが静かに呟く。


「……まだ落ちてない」


「ギリギリだな」


その時だった。


ドォン!!


バルグラドの戦斧が黒炎竜の横腹を叩きつける。


「暴れんなよ」


軽い口調。


だがその一撃は、山を砕くほどの重さだった。


黒炎竜が呻く。


『ガァァァッ……!!』


その瞬間――


バルグラドの身体が、ほんの一瞬だけ揺れた。


「……っ?」


リナがそれに気づく。


「今の……」


セインも目を細める。


「揺れた?」


バルグラドは何も言わない。


だが――


彼の中で、何かが“割れた”。



視界が変わる。


炎の戦場ではない。


そこは、静かな炎の中だった。


誰かが笑っている。


優しい声。


紅い光。


その中心に――ひとりの女性が立っていた。


フレイア。


バルグラドの瞳がわずかに揺れる。


「……あ?」


声が漏れる。


あり得ない。


この記憶は――消したはずだ。


だが、炎は消えない。


フレイアは振り返る。


『また暴れてるの?』


その声は責めていない。


ただ、少し困ったように笑っていた。


バルグラドの胸が、僅かに痛む。


「……誰だ、お前」


フレイアはゆっくり近づく。


『火は壊すためじゃないって、何度言えば覚えるのかしら』


その言葉に、バルグラドの頭が揺れる。


壊す?


何を?


何を“壊している”?


その時――


黒い影が差した。



現実。


黒炎が戦場を包む。


その中心で、バルグラドが一瞬だけ動きを止めていた。


「……っ」


セインが低く言う。


「今のは……記憶干渉?」


リナが息を呑む。


「バルグラドさん……?」


その呼びかけに、彼は反応しない。


だが――


彼の瞳の奥で、炎が揺れている。


バルグラドは小さく呟いた。


「……フレイア」


その名前が出た瞬間――


黒炎が“ひび割れた”。


ゴゴゴッ……!!


黒炎竜が暴れる。


『ガァァァァァァァァッ!!』


だが、それとは別に。


バルグラドの中でも何かが暴れていた。


「……うるせぇな」


彼は額を押さえる。


「誰だ……この女」


セインが一歩前に出る。


「思い出すな」


その声は鋭かった。


バルグラドが笑う。


「おいおい」


「今さら止められると思ってんのか?」


その瞬間――


黒炎の中から“もう一つの声”が響いた。


『不要だ』


空気が凍る。


ネメシス。


まだ姿は見えない。


だが、確かに“そこにいる”。


バルグラドの瞳から、一瞬だけ色が消える。


「……っ」


フレイアの記憶が、黒く塗り潰されていく。


セインが歯を食いしばる。


「やっぱりか……」


リナが叫ぶ。


「何が起きてるの!?」


セインは短く言った。


「侵食だ」


「ただの暴走じゃない」


「“記憶の上書き”だ」


その言葉に、空気が凍る。


イグニアが震える。


「記憶を……壊してる?」


セインは頷く。


「火の神殿は“記憶”そのものだ」


「だから壊すんじゃない」


「書き換える」


その瞬間――


バルグラドの顔が歪む。


「……やめろ」


初めての“拒絶”。


黒炎が彼の周囲で暴れ始める。


『従え』


ネメシスの声。


『お前は壊すための器だ』


バルグラドが笑う。


だがその笑いは、いつもの狂気ではなかった。


「……器だぁ?」


「ふざけんな」


戦斧を握る手が震える。


その瞬間――


フレイアの声が、もう一度響いた気がした。


『あなたは、壊す人じゃないわ』


バルグラドの目が見開かれる。


「……っ」


黒炎が揺れる。


その隙間に、セインが呟く。


「まだ残ってる」


リナが息を呑む。


「え……?」


セインは静かに言う。


「ネメシスの侵食に“抵抗してる”」


バルグラドの中で――


二つの意志がぶつかり始めていた。


壊すための声。


覚えているはずの声。


黒炎竜が吠える。


『ガァァァァァァァァッ!!』


世界が揺れる。


だがその中心で――


バルグラドは小さく呟いた。


「……フレイア」


その瞬間。


黒炎が、ほんの一瞬だけ“赤”に戻る。



セインが低く言う。


「今だ」


リナが息を呑む。


「今……?」


セインは黒炎竜を見据える。


「この混線状態が唯一の隙だ」


だがバルグラドは笑った。


「やれるもんならやってみろよ」


「俺はまだ――終わってねぇ」


その言葉と同時に、黒炎が爆ぜる。


ネメシスの声が重なる。


『不要な記憶は削除する』


世界が黒に染まる。


だがその中で――


確かに“人間の声”が残っていた。


そしてーー。


黒炎の奥で、確かに誰かが息をしていた。


それは救いではなく――まだ“壊しきれていない証”だった。


ネメシスは、その揺らぎを静かに見下ろしていた。


第93話 終わり

最後までお読みいただき、ありがとうございます!


Xでは『白猫フェルと森の薬師』のキャラクターイラストなどを投稿しています。

作品とあわせて楽しんでいただけたら嬉しいです。


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