第92話 守護精霊フレイア
火の神殿アグニ・ゼル――。
紅蓮と黒炎がぶつかり合う戦場の中心で、空気だけが異様に静まり返っていた。
ゴォォォ……。
黒炎竜の咆哮は、まだ響いている。
だが――どこか揺れている。
イグニアの紅蓮の炎が、その暴走の“芯”に触れ始めていた。
「まだ……届く……」
リナはその光景を見つめたまま、震えるように立ち尽くしていた。
(イグニアが火を変えている)
(なら私は……?)
胸の奥が熱い。
けれどそれは戦う熱じゃない。
ずっと抱えてきた“癒したい”という想い。
その時だった。
『――いい子ね』
声。
空気が止まる。
リナの肩が跳ねる。
「……誰?」
セインが一瞬、目を細める。
「……来るか」
バルグラドが低く笑う。
「ようやく“本体”か」
黒炎の戦場の中央。
紅蓮と黒炎が交差する“隙間”に、光が落ちた。
それは炎ではない。
それは水でもない。
それは――“やさしい火”。
揺れるように、包み込むように、世界に触れる光。
その中心に、ひとりの存在が立っていた。
長い髪。
炎のようで、祈りのような瞳。
だがその姿は、どこか“人間ではない”。
リナが息を呑む。
「……あなたは」
その存在は微笑んだ。
『久しぶりね、光の子』
リナの心臓が跳ねる。
「久しぶり?光……?」
フレイアはゆっくりと手を伸ばす。
その指先から、炎が舞う。
だがそれは燃やさない。
傷つけない。
むしろ――癒していく。
『私はフレイア』
『火の守護精霊』
その名が響いた瞬間、火の神殿が一瞬だけ“静止”した。
黒炎竜が一歩、後退する。
『……フレ……イア……』
かすれた声。
リナはその反応に息を呑む。
「知ってるの……?」
フレイアは一瞬だけ目を伏せた。
『知っているわ』
『全部』
その言葉は重かった。
千年前の気配。
消えない記憶。
だが今は、それを語る時間ではない。
フレイアはリナへ視線を戻す。
『あなたは迷っている』
「……え?」
『“癒す力”を持ちながら』
『“守る力”を持たないと感じている』
リナの胸が締め付けられる。
図星だった。
戦える皆と違う。
自分だけが、いつも“何もできない側”だと思っていた。
フレイアは静かに続ける。
『でもね』
『火は戦うためだけじゃない』
その瞬間――
フレイアがリナの額へ指を当てた。
ドクン。
世界が変わる。
戦場の音が遠ざかる。
炎の中に、もう一つの世界が重なる。
傷ついた人々。
倒れた魔獣。
泣いている誰か。
そのすべてを包み込む“火”。
リナの目が見開かれる。
「これ……は……」
フレイアの声が響く。
『火はね』
『“終わらせる力”じゃない』
『“続ける力”よ』
その瞬間だった。
リナの胸元が光る。
ドクン!!
紅蓮とは違う。
柔らかく、温かく、しかし確かな熱。
光が紋章へと変わる。
リナの身体を包む。
「っ……!」
セインが息を呑む。
「契約が……始まった」
バルグラドが笑う。
「おいおい」
「こっちは覚醒、こっちは契約かよ」
フレイアはリナを見つめる。
『あなたは“癒しの火”』
『そして――“繋ぐ火”』
リナの目から涙が零れる。
「私は……」
「何もできないって……思ってた」
フレイアは優しく笑った。
『違うわ』
『あなたは“終わらせない火”』
その瞬間――
リナの胸元で紋章が完成する。
ゴォォォォォ……!!
紅蓮とは違う炎が広がる。
それは戦場を焼かない。
戦場の“傷”だけを包み込む。
黒炎竜が一瞬、動きを止める。
『……?』
その隙間に、イグニアの紅蓮が深く刺さる。
レオンが叫ぶ。
「今だ!!」
だがその瞬間――
セインが低く呟いた。
「……神殿が“選び始めてる”」
リナは立ち上がる。
その瞳はもう揺れていなかった。
「私は……癒す」
「そして、繋ぐ」
火の神殿が震える。
紅蓮。
黒炎。
そして――優しい火。
三つの火が、初めて同じ空間に並んだ。
フレイアは静かに言う。
『これでいいのよ』
そして――
ふっと消えるように姿が薄れていく。
だが最後に一言だけ残した。
『まだ“核”には触れないで』
その言葉と同時に、
戦場の奥で――。
黒い影が微かに笑った。
第92話 終わり
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