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第80話 夜明けの帰還

水神殿アクア・レヴァリエ――。


ーー神殿最奥。


涙を流し続ける幼いリヴィエラを中心に、黒い侵食は静かに崩れ始めていた。


ゴォォォォォ……。


まるで長い悪夢が終わっていくように。


黒い水が、少しずつ光へ溶けていく。


「……消えていく……」


エリオスが呆然と呟く。


水晶の壁を覆っていた黒が剥がれ落ち、濁っていた湖面へ透明な蒼が戻っていく。


空気が変わっていた。


重苦しい絶望ではなく、優しく澄んだ水の気配。


その時――。


『ァ……』


静かな声が響く。


全員が顔を上げた。


神殿中央ーー。


黒き水竜だった守護神獣が、ゆっくりと身体を起こしていた。


もう、その瞳に黒い侵食はない。


深く澄んだ、蒼。


神聖な水の光だった。


同時に――。


黒く濁っていた守護精霊の身体からも、闇が完全に消えていく。


透き通るような水色の髪。


水で編まれた衣。


静かに微笑む、その姿はまさに神殿を守護する大精霊だった。


リナが、小さく息を呑む。


「……綺麗……」


守護精霊は、ゆっくりとリナへ視線を向けた。


その瞳は、とても優しかった。


『精霊に愛されし薬師』


澄んだ声が、神殿へ響く。


『あなたが、“忘却”を終わらせてくれたのですね』


リナは、慌てて首を振る。


「わ、私は……みんながいたから……」


だが、守護神獣が静かに歩み寄る。


巨大な身体。けれど、もう恐ろしさはなかった。


まるで主を見つめるように、穏やかな瞳でリナを見る。


そして――。


巨大な額が、そっとリナの前へ下がった。


「え……?」


フェルが目を細める。


『認めたか』


その瞬間、守護神獣と守護精霊、両方の身体から蒼い光が溢れ出した。


バァァァァァッ――!!


神殿中へ、水の紋様が広がる。


リナの左手が熱を帯びた。


「……っ!」


淡い光が刻まれていく。


それは、水の紋章。


蒼い波紋のような、美しい精霊紋だった。


守護精霊が微笑む。


『あなたと、水の契約を』


『必要とあらば、我らを呼びなさい』


『あなたの願いに、水は応えるでしょう』


その瞬間、リナの脳裏へ、二つの名前が流れ込んだ。


蒼い湖。


水の歌。


千年の祈り。


『我が名は――』


守護神獣が、静かに目を閉じる。


『アクアリオン』


続いて、守護精霊が優しく微笑む。


『そして私は、セレスティア』


その名前を聞いた瞬間。


神殿中の水が、美しく輝いた。


リナは、胸へ手を当てる。


「……アクアリオン……セレスティア……」


大切な名前を受け取るように。


そっと、呟いた。


すると、守護神獣アクアリオンが、小さく喉を鳴らした。


まるで安心したように。


その姿に、リナは思わず笑みを零す。


その一方で――。


エレノアは、幼いリヴィエラの手を静かに握っていた。


リヴィエラは、まだ怯えている。


けれど、もう独りではない。


「……ほんとうに……いいの……?」


震える声。


「わたし……また……」


「ええ」


エレノアは、優しく微笑む。


「一緒に帰りましょう」


「今度は、独りで背負わなくていいのです」


その言葉に、リヴィエラの瞳から再び涙が零れた。


小さな指が、ぎゅっとエレノアの服を掴む。


まるで、迷子の子どものように。


その姿を見ながら、アルは静かに目を閉じた。


千年前。


救えなかった仲間。


届かなかった手。


ずっと胸へ刺さっていた後悔。


けれど――。


「……終わったな」


小さな呟きだった。だが、その声はどこか穏やかだった。


リナが振り返る。


アルは、少しだけ笑っていた。


悲しみを抱えたまま、それでも、前へ進めるような笑顔だった。


その時――。


ルシエルが、ふと立ち止まる。


「……母、様……」


エレノアの背中を見つめながら、掠れた声を漏らした。


イグニアも、小さく震えている。


薄紫色の髪。


優しい声。


温かい手。


胸の奥で、失われていた記憶が少しずつ繋がっていく。


エレノアが振り返った。


その瞳には、涙が浮かんでいた。


「……ルシエル」


「イグニア」


その呼び方だけで。


二人の胸が、大きく震える。


懐かしかった。


ずっと忘れていたのに。


どうしても失いたくなかった温もり。


イグニアの瞳から、ぽろりと涙が零れ落ちた。


「……かあ、さま……?」


その瞬間、エレノアは堪えきれず二人を抱き締めた。


「……っ……!」


ルシエルが目を見開く。


温かい。


泣きそうになるくらい。


懐かしい。


「ごめんなさい……」


エレノアの声が震える。


「ずっと……守れなくて……」


ルシエルは、ゆっくり目を閉じた。


そして――。


震える腕で、母を抱き返す。


イグニアも、小さな手でエレノアへしがみついた。


崩壊しかけていた水神殿へ。


優しい朝日が差し込む。


蒼い湖が、光を取り戻していく。


長い夜が、終わったのだ。


だが――。


その時、フェルが静かに神殿の奥を見つめた。


金色の瞳が細まる。


『……まだ終わってはおらん』


全員が振り返る。


神殿最奥。


完全に浄化されたはずの神殿核。


その中心で――。


小さな“黒い火種”だけが、静かに揺れていた。


ゴォ……。


まるで、消えない怨念のように。


フェルが低く呟く。


『ネメシスの侵食は、水だけではない』


『次は――火だ』


その瞬間ーー。


遠く離れた南方。


紅蓮の空が、一瞬だけ世界を染めた。


まるで、新たな災厄の目覚めを告げるように。


水神殿の戦いは終わった。


けれど――。


世界を巡る旅は、まだ終わらない。


次なる舞台はーー灼熱と炎の神域。


火の神殿アグニ・ゼル――。


そこでは既に、


“炎”が、泣いていた――。


第80話 終わり

最後までお読みいただき、ありがとうございます!


Xでは『白猫フェルと森の薬師』のキャラクターイラストなどを投稿しています。

作品とあわせて楽しんでいただけたら嬉しいです。


X:https://ncode.syosetu.com/n7053ma/ #narou

#narouN7053MA

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