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第79話 リヴィエラの涙

水神殿アクア・レヴァリエ――。


ーー神殿最奥。


崩壊しかけた世界の中心で、忘却の魔女リヴィエラは、ひとり膝をついていた。


黒い水が、彼女の身体を蝕んでいる。


ゴォォォォォ……。


侵食は、まるで生き物のようだった。


苦しむ彼女を、さらに深く沈めようとしている。


「……ぁ……」


リヴィエラの指先が震える。


その背後では、黒き水竜が暴れ続けていた。


神殿核と繋がった侵食の化身。


守護神獣の成れの果て。


『ァァァァァァァァァッ――!!』


咆哮だけで空間が割れる。


水晶の壁が砕け散った。


だが、リヴィエラは、その咆哮すら聞こえていないようだった。


ただ、泣いていた。


「……ごめんなさい……」


掠れた声。


「ごめんなさい……」


何度も、壊れたように繰り返す。


その姿を見て、リナの胸が強く痛んだ。


敵じゃない。


もう、そんな風には見えなかった。


これは――。


千年間、“忘れなければ壊れてしまう痛み”を抱え続けたネメシスの被害者だ。


フェルが低く告げる。


『侵食が、リヴィエラの心へ完全に食い込んでいる』


『このままでは、神殿核と共に消えるぞ』


「そんな……!」


リナが顔を上げる。


その時。


リヴィエラが、ゆっくりこちらを見た。


涙で滲んだ、水色の瞳。


「……来ないで」


小さな声。


「私に、近づかないで……」


黒い水が、彼女の周囲で渦巻く。


『忘れろ』


『沈め』


『また失うぞ』


闇の声が響く。


侵食が、彼女へ囁き続けていた。


「嫌……」


リヴィエラが頭を押さえる。


「やめて……」


苦しそうに呼吸を乱しながら。


それでも彼女は、黒い水竜を抑え込もうとしていた。


壊れながら、傷つきながら、今なお誰かを守ろうとしていた。


その姿に、アルが静かに目を伏せる。


千年前、誰よりも優しかった精霊騎士。


仲間を守るため、最後まで戦っていた。


彼女は、本当はずっと変わっていなかった。


「……リヴィエラ」


アルが、低く呟く。


その声に、彼女の肩が震えた。


「……アル……?」


懐かしい名前。


忘れたかったはずの過去。


けれど、その声だけは、胸の奥へ届いてしまう。


「どうして……」


涙が零れる。


「どうして、まだ……そんな顔で、私を見るの……」


アルは答えなかった。


ただ、苦しそうに目を細める。


その代わりに――。


リナが、一歩前へ出た。


「リヴィエラ」


リヴィエラは、ゆっくり顔を上げる。


リナは、真っ直ぐ彼女を見ていた。


怖がりもしない。


憎みもしない。


ただ、悲しそうに。


「もう、ひとりで頑張らなくていいよ」


その瞬間だった。


リヴィエラの瞳が、大きく揺れた。


「……え……?」


黒い水が、激しく荒れ狂う。


『信じるな』


『また飲み込まれる』


『また全部失う』


侵食が叫ぶ。


だがリナは、止まらなかった。


薬瓶を握る。


そこへ、四精霊の光が集まり始める。


風。


水。


火。


光。


優しい光だった。


「苦しかったよね」


リナの声が響く。


「忘れなきゃ、生きていけなかったんだよね」


リヴィエラの呼吸が止まる。


誰にも言われたことがなかった。


闇の飲まれてからは、ずっと1人だった。


そして、闇に底に落ちた。


だから。


忘却へ逃げるしかなかったのに。


「でも――」


リナは、涙を浮かべながら笑った。


「それでも、生きててくれてありがとう」


その言葉で何かが、壊れた。


「――ぁ……」


リヴィエラの瞳から、大粒の涙が溢れ出す。


「ちが……」


声が震える。


「私は……いっぱい……壊して……」


「いっぱい、奪って……」


「許されないのに……!!」


叫びと同時に。


黒い侵食が爆発した。


ドォォォォォォンッ!!


黒い濁流が、神殿全体へ溢れ出す。


「リナ!!」


レオンが叫ぶ。


セレフィーナが結界を展開。


エリオスが風を放つ。


ルシエルが龍槍を構えた。


だが――。


リナは逃げなかった。


侵食の中へ、一歩踏み込む。


「リナ!?」


ルシエルが目を見開く。


黒い水が、リナへ襲いかかる。


その瞬間。


ボゥッ!!


紅蓮の聖炎が、侵食を焼き払った。


「……行って」


イグニアだった。


小さな拳へ、聖炎を纏っている。


震えている。


それでも、前を向いていた。


「リナ……たすけて……」


その言葉に、リナは強く頷いた。


そして――。


リヴィエラへ、手を伸ばす。


「大丈夫」


薬瓶の光が、優しく広がる。


「もう、終わったよ」


触れた瞬間だった。


バァァァァァァァッ――!!


眩い光が、神殿中を包み込む。


侵食が悲鳴を上げる。


黒い水が、次々と蒸発していく。


守護精霊の瞳から、黒が消えた。


守護神獣の咆哮も、静かになっていく。


そして――。


リヴィエラの身体を覆っていた闇が、ゆっくり剥がれ落ちた。


「……あ……」


光の中で、彼女の身体が小さくなっていく。


長い髪が縮む。


大人の姿が崩れていく。


やがて。


そこにいたのは――。


ひとりの、小さな少女だった。


蒼色の髪。


怯えた瞳。


千年前、まだ精霊騎士だった頃より、幼いリヴィエラ。


少女は、自分の手を見つめる。


震えていた。


「……こわい……」


小さな声。


「また……壊しちゃう……」


誰にも触れられないように。


怯える子どものように、身体を抱き締める。


その時だった。


静かな足音が響く。


全員が振り返る。


そこにいたのは――。


エレノアだった。


薄紫色の髪を揺らしながら、ゆっくりリヴィエラへ近づいていく。


リヴィエラの瞳が揺れた。


「こないで……」


震える声。


「わたし、いっぱい……」


だが。


エレノアは、少女の前へ跪いた。


そして。


そっと、抱き締める。


リヴィエラの瞳が、大きく見開かれた。


「……え……」


エレノアは、優しく微笑む。


涙を浮かべながら。


「大丈夫」


温かい声だった。


「今度は、ひとりにしません」


「ともに、背負っていくのです」


その瞬間ーー。


リヴィエラの中で、最後まで凍っていたものが、崩れ落ちた。


「――ぁ……」


嗚咽が漏れる。


次の瞬間少女は、声を上げて泣いた。


アルが震える声で呟く。


「……やっと、泣けたな」


その言葉に、リヴィエラの中で、最後まで張り詰めていたものが崩れ落ちた。


まるで千年間、ずっと我慢していたみたいに。


泣いて。


泣いて。


泣き続けた。


その涙と共に――。


水神殿を覆っていた黒い侵食が、静かに消えていく。


やがてーー。


崩壊しかけた神殿へ、朝日が差し込んだ。


蒼い湖が、光を取り戻していく。


忘却の神殿だった場所へ。


ようやく、“夜明け”が訪れようとしていた。


第79話 終わり

ここまで読んでいただきありがとうございます!


少しでも続きが気になったら、ブックマークや評価で応援していただけると嬉しいです。


次回もぜひ読んでいただけたら嬉しいです!

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