第76話 忘却の底に沈む真実
水の神殿アクア・レヴァリエ――。
浄化の光が消えた後も、神殿は静かに脈打っていた。
ドクン――。
ドクン――。
まるで、“何か”が目覚めようとしているように。
黒い水は、まだ消えていない。
だが先ほどまでとは違っていた。
濁流ではない。
それは、底知れぬ“深淵”だった。
「……浄化、しきれてない……」
リナが息を整えながら呟く。
額には汗が滲んでいた。
四精霊との同時共鳴。
さらに薬師としての術式融合。
今の術は、間違いなく規格外だった。
それでも、核までは届いていない。
フェルが低く唸る。
『当然だ』
『今の神殿核は、“忘却そのもの”だ』
『表面を浄化した程度では止まらん』
その時だった。
ゆっくりと浄化された守護神獣が、顔を上げる。
蒼い瞳。
先ほどまでの狂気は消えていた。
巨大な身体を震わせながら、それでも神獣はルシエルを見つめる。
『……継承者……』
低く、響く声。
ルシエルが目を見開く。
「喋れるの……?」
『本来ならば、もっと早く出会うはずだった』
神獣の声には、長い悲しみが滲んでいた。
『だが、侵食によって全てが歪められた』
守護精霊もまた、静かに降り立つ。
透き通る水の髪。
その姿はまだ不安定だった。
黒い侵食が、身体の奥に残っている。
『千年前……』
守護精霊が、小さく目を伏せる。
『アクア・レヴァリエは、“封印”の神殿でした』
空気が変わる。
アルの瞳が細まった。
「……やはりか」
リナが振り返る。
「アル……知ってるの?」
アルは少し沈黙した。
そして、静かに口を開く。
「千年前、精霊騎士たちは戦っていた」
「虚無神ネメシスを、この世界へ完全顕現させないためにな」
神殿の空気が震える。
守護精霊が続けた。
『アクア・レヴァリエの核は、“記憶”を封印へ変換する神殿』
『本来は、世界を守るためのものだったのです』
「でも……暴走した」
セレフィーナが呟く。
守護精霊は、苦しそうに頷いた。
『リヴィエラは、優しい人でした』
『誰よりも、人々を守ろうとしていた』
黒い水が、ゆらりと揺れる。
『だからこそ、“壊れてしまった”』
その瞬間。
ドクン――ッ!!
神殿核が、大きく脈打った。
全員の視界が歪む。
「……っ!?」
景色が変わる。
神殿が消えた。
代わりに広がっていたのは――。
千年前のアクア・レヴァリエ。
蒼い湖。
白い神殿。
祈りを捧げる神官たち。
そして。
そこにいたのは――若き日のリヴィエラだった。
「……!」
リナたちは息を呑む。
リヴィエラは、笑っていた。
まだ、“忘却の魔女”ではない。
精霊騎士として、人々を守っていた頃。
その隣には――蒼銀の鎧を纏った青年。
ヴァルディス。
さらに、その背後にはーー若き日のアルもいた。
「アル……!」
エリオスが目を見開く。
だが、アルは何も言わない。
ただ、苦しそうに映像を見つめていた。
『核が暴走する!!』
映像の中で、誰かが叫ぶ。
次の瞬間ーー。
神殿中央から、黒い水が噴き上がった。
ゴォォォォォォォッ!!
闇のような黒い侵食。
逃げる神官たち悲鳴。
そして、襲う絶望。
精霊たちも、飲み込まれていく。
神官たちが消えていく。
その地獄の中心でーー。
リヴィエラだけが、泣きながら立っていた。
『やめて……!!』
両手を伸ばす。
必死に、誰かを守ろうとしている。
だが、黒い水は止まらない。
そして――闇の奥から、“声”が響いた。
『可哀想に』
ぞわり、と空気が凍る。
『忘れてしまえば、楽になれる』
黒い闇の中。
虚無神ネメシスが、静かに笑っていた。
『全部、忘れるがいい』
リヴィエラの瞳が揺れる。
『そうすれば――苦しまなくて済む』
「……っ」
リナの胸が締め付けられる。
リヴィエラは最初から壊れていたわけじゃない。
壊されたのだ。
誰よりも優しかったからこそ。
誰よりも、傷ついてしまった。
その瞬間だった。
映像の中で、若き日のアルが前へ出る。
『リヴィエラ!!』
叫ぶ。
必死に手を伸ばす。
だが――。
届かない。
黒い水が、リヴィエラを飲み込んでいく。
涙を流しながら、彼女は最後に笑った。
『……ごめんなさい』
その言葉と共に、映像が砕け散った。
バキィィィンッ!!
現実へ引き戻される。
全員が息を乱していた。
重い沈黙。
その中で――。
ルシエルが、静かに槍を握り締める。
「……違う」
小さく呟く。
「リヴィエラは、最初から敵だったわけじゃない」
守護精霊が、悲しそうに目を閉じた。
『ええ……』
『あの方は、本当は最後まで――』
その時だった。
ゴォォォォォッ!!
神殿最奥から、凄まじい闇が噴き上がる。
黒い水が、空間そのものを侵食していく。
『来るぞ!!』
フェルが叫ぶ。
神殿が崩れ始める。
床が割れる。
湖が逆流する。
そして――。
最奥の闇の中で。
ゆっくりと、“誰か”が立ち上がった。
長い蒼色の髪。
涙に濡れた瞳。
だが、その身体は、黒い侵食へ半分飲まれている。
「……リヴィエラ……」
リナが息を呑む。
忘却の魔女は、静かに顔を上げた。
その瞳には――。
絶望しか残っていなかった。
「……もう、戻れないの」
黒い水が、彼女の周囲で蠢く。
「だから――」
神殿核が、狂ったように脈打つ。
ドクンッ!!
ドクンッ!!
ドクンッ!!
「全部、沈めるしかないでしょう?」
その瞬間、神殿最奥の湖が、真っ二つに割れた。
そこから現れたのは――。
巨大な黒い水の竜。
それはーー絶望そのものだった。
水の神殿アクア・レヴァリエ。
今ーー。
再び千年前の悪夢が始まる。
第76話 終わり
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