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第71話 忘却を越えて

水神殿アクア・レヴァリエ――。


世界が、脈打っていた。


ドクン――。


ドクン――。


巨大な鼓動が、空間そのものを震わせる。


湖面は空へと巻き上がり、黒い水が巨大な繭となって神殿を覆っていく。


空が暗い。


いや――。


“記憶”が暗い。


立っているだけで、自分が誰なのか分からなくなる。


「……っ……」


リナは胸を押さえた。


頭の中から、大切なものが零れ落ちていく感覚。


レオンの顔。


仲間たちの声。


フェルと過ごした森。


全部が、水へ溶けていく。


「忘れれば、楽になれる」


リヴィエラの声が響く。


甘く、優しく、まるで救済のように。


「苦しいのでしょう?」


「守れないのが、怖いのでしょう?」


黒い水が、ゆっくりとリナの足元へ這い寄る。


その時――。


ガシッ。


強く、手を掴まれた。


「飲まれるな」


レオンだった。


低く、強い声。


「お前は、お前だ」


その一言だけで、零れかけた記憶が繋ぎ止められる。


リナは、はっと息を呑んだ。


「……レオン……」


レオンは、前を見据えたまま言う。


「忘れるな」


その横顔は、傷だらけだった。


それでも、絶対に折れない目をしている。


その時だった。


ドクン――ッ!!


神殿の鼓動が、一際大きく響いた。


黒い水が爆発的に溢れ出す。


「……っ!!」


エリオスが吹き飛ばされる。


アルが咄嗟に抱き止めた。


「しっかりしろ!!」


だが、水は止まらない。


空気そのものが侵食されていく。


フェルが低く唸った。


『まずい……』


金色の瞳が細まる。


『神殿の核が、完全に目覚める』


『そうなれば、この大陸全体が忘却に沈むぞ』


リヴィエラが、恍惚と目を細めた。


「綺麗でしょう?」


空へ昇る黒い水を見上げる。


「悲しみが消えていくの」


「みんな、苦しまなくて済む」


目を細めたらまま、静かに笑みを浮かべる。


だがーー。


「違う!」


叫んだのは、リナだった。


その瞳に、涙を浮かべながら、


「忘れることは、救いじゃない」


リヴィエラが、ゆっくりと彼女を見る。


「傷ついても」


「苦しくても」


リナは震える声で叫ぶ。


「それでも、大切だったって思えるから!」


その瞬間、リヴィエラの瞳がほんの僅かに揺れた。


まるで、昔、自分もそう願っていたかのように。


だが次の瞬間、黒い感情がその揺らぎを塗り潰す。


「……うるさい」


湖面が爆発した。


無数の黒い槍が、一行へ襲いかかる。


「散れ!!」


レオンが剣を振るう。


アルも飛び出した。


セレフィーナが結界を展開する。


だが――間に合わない。


黒槍が、リナへ迫る。


その瞬間。


「――させない」


静かな声が響いた。


ゴォォォォッ――!!


蒼い水流が、空を裂いた。


黒槍が、一瞬で砕け散る。


全員の視線が集まる。


そこにいたのは、ルシエルだった。


「……ルシエル?」


リナが息を呑む。


彼の周囲に、水が浮かんでいる。


いや。


“従っている”。


青白い光が、彼の身体を包み込んでいた。


その瞳は、深海のように蒼い。


ルシエルは、前を見ていた。


ただ真っ直ぐに、リヴィエラを。


そして――イグニアを。


「……思い出したんだ」


小さく、呟く。


ドクン――。


空気が震えた。


湖全体が反応する。


リヴィエラの瞳が、大きく揺れる。


「……なに……?」


ルシエルの脳裏に、記憶が溢れていた。


燃える村。


泣き叫ぶ人々。


幼いイグニア。


そして――。


黒い水に飲まれていく彼女へ、必死に手を伸ばした自分。


『逃げて……』


涙を流しながら笑った少女。


『生きて…… お兄ちゃん……』


ーーーー


「……違った」


ルシエルの声が震える。


「僕は、守れなかったんじゃない」


血が滲むほど強く、拳を握る。


「君が――僕を守ってくれたんだ」


静寂が落ちた。


イグニアの瞳が、揺れる。


光のないはずのその目に、小さな涙が浮かんだ。


『……っ』


リヴィエラが、初めて苦しそうに顔を歪めた。


「やめ……なさい……」


ルシエルが、ゆっくりと槍を握る。


水が集まる。


湖が呼応する。


守護神獣が、咆哮を上げた。


『グォォォォォッ!!』


黒い侵食が剥がれていく。


蒼い光が戻る。


フェルが目を見開く。


『まさか……』


ルシエルの背後に、巨大な影が現れた。


蒼き龍。


神々しい水の鱗。


空を覆うほど巨大な翼。


神殿すら震える圧倒的存在。


エリオスが、震える声を漏らす。


「龍神……」


セレフィーナも息を呑む。


「古代竜族の……?」


ルシエルの身体が、光に包まれる。


髪が、水のように揺れた。


蒼い紋様が、全身へ刻まれていく。


そして――。


ゴォォォォォォォォッ!!!!


世界を揺るがす咆哮。


水が、空へ昇る。


侵食の黒が、吹き飛ぶ。


そこに現れたのは――。


巨大な蒼銀の龍神。


湖の上空に顕現した、水の神そのもの。


その瞳には、悲しみと怒り。


そして――。


絶対に守るという意志が宿っていた。


リヴィエラが、初めて後ずさる。


「……ありえない」


忘却の魔女の声が、震える。


龍神となったルシエルが、静かに彼女を見下ろした。


『忘れない』


その声は、空と湖を震わせた。


『痛みも』


『涙も』


『君が、僕を守ってくれたことも』


蒼い光が、世界を包む。


侵食された水が、浄化されていく。


イグニアの瞳から、大粒の涙が零れ落ちた。


消えかけていた灯火が――。


今、再び燃え上がる。


忘却に抗うように。


失われた絆を、取り戻すように。


水神殿アクア・レヴァリエ。


その深淵で――。


今、一柱の龍神が目覚めた。


第71話 終わり

最後までお読みいただき、ありがとうございます!


Xでは『白猫フェルと森の薬師』のキャラクターイラストなどを投稿しています。

作品とあわせて楽しんでいただけたら嬉しいです。


X:https://ncode.syosetu.com/n7053ma/ #narou

#narouN7053MA

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