第55話 空の崩壊
風の神殿リベル・ヴェント――。
神殿の最奥ーー。
風は、静かだった。
ついさっきまで荒れ狂っていた神殿が、嘘のように息を整えている。
やわらかな風が、リナの髪を揺らす。
「……終わった、んだよね」
小さく零す。
エリオスが、かすかに頷く。
「……はい」
レオンが剣を納める。
「一度、外に出るぞ」
アルが息を吐く。
「やっと一息……って感じか」
誰もが、わずかに緊張を解いた、その瞬間だった。
フェルだけが、空を見ていた。
『……遅いな』
低く落ちる声。
「フェル?」
返事は、なかった。
次の瞬間。
ドォォォォォン!!
衝撃と同時に、空が裂けた。
風の層がねじ切られ、光が歪む。
神殿の外――。
天空都市の空が、“壊された”。
「……なに、今の……」
全員が外へ飛び出し、そして、言葉を失う。
空が、崩れていた。
浮遊島が傾き、橋が砕け、白い街が悲鳴とともに崩落していく。
「……嘘だ……」
ルシエルの声が乾く。
空を埋め尽くす黒い影。
歪な空賊船と、そして、人だったもの。
浮遊島が、都市が襲撃されていた。
「……あれは……」
「……人……?」
エリオスの声が震える。
ルシエルが首を振る。
「違う……あれは……魔獣化……」
空賊たちが、理性を奪われ、魔物へと変えられている。
「……なんで……」
リナの足が止まる。
『奴の……』
『ヴァルディスの禁忌術だ』
フェルが言う。
その時、魔道機関が破壊された巨大な浮遊島が傾いた。
「……ダメ!!」
リナが駆ける。
間に合わない。
その瞬間、風が走る。
「エリオス!!」
エリオスが空へ跳ぶ。
肩の傷はまだ完治していない。
体力もまだ戻っていない。
「フェザーステップ!」
エリオスは、風を纏い落ちる島へ一直線に飛び出し、向かう。
「……させません!!」
轟風が広がる。
「ウィンド・ドーム!」
風の結界を展開させ、巨大な島をたった一人で受け止める。
空気が軋む。
エリオスの骨が悲鳴を上げる。
「……っ!」
そして、落下が止まる。
レオンが動く。
アルも続く。
だが、魔獣化された空賊が多すぎる。
その時、空の頂点に“それ”が現れた。
「……随分と派手にやってくれたな」
静かで、冷たい声だか、どこか愉しげに話す。
全てが、止まる。
魔獣さえ、命令を待つように。
リナが顔を上げる。
そこにいた。
深緑の髪、黒い翼に、闇の風を纏う男。
「……一緒に楽しませてくれよ、なぁ」
ぎらつく視線が、リナを射抜く。
「大精霊の器」
ドクン、と心臓が鳴る。
アルが歯を食いしばる。
「……ヴォルゼア……」
その名前が落ちた瞬間、世界が重く沈む。
「……久しぶりだな」
ヴォルゼアが、懐かしそうにアルを見る。
だが、アルのその隣で、ルシエルが動かなくなっていた。
「……あ……」
視線が、ヴォルゼアに固定される。
呼吸が止まり、音が消え、記憶が開く。
血の匂い。
焼けた家。
倒れている背中。
そして、笑い声。
「……面白いな」
その声だけは、忘れていない。
「全部壊しても、お前だけは残してやる」
あの笑い声の、その男が目の前にいる。
「……っ……」
ルシエルの瞳が、揺れる。
「……お前……」
声が、掠れる。
「……お前だ……」
次の瞬間。
ドクン。
何かが、弾けた。
「――うああああああああああああッ!!!」
絶叫と同時に、風が歪む。
いや違う。
空気そのものが、捻じ曲がる。
ルシエルの身体から、異質な圧が噴き出す。
「ルシエル!?」
リナが叫ぶ。
だが、届かない。
ルシエルの身体は、骨が軋む音を立てる。
そして、皮膚が裂け“深淵”の色が溢れる。
身体が巨大化し、全身が蒼黒に染まる。
「……なんだ、あれ……」
アルが息を呑む。
ルシエルの背中が、膨れ上がる。
それは、巨大な竜の翼。
瞳が完全に変わり、理性が消えた。
『……まずいな』
フェルが低く言う。
『記憶を引き金にしたか』
「……ルシエル!」
リナが手を伸ばす。
だが、振り払われる。
風ではない。
“圧”で。
次の瞬間――
轟ッ!!!!
竜の咆哮。
空が、震える。
魔物も、空賊も、すべてが吹き飛ぶ。
だが、それは“味方”も同じだった。
「ぐっ……!」
レオンが踏みとどまる。
アルが歯を食いしばる。
エリオスの風が乱れる。
「……止まらない……!」
ルシエルは、もう見ていない。
敵も。
味方も。
ただ、破壊する。
都市が、さらに崩れる。
「……どうしよう……このままじゃ……」
リナの声が震える。
「ルシエルも……町も……」
「みんな壊されちゃう……!」
目の前で、守るべきものが壊れていく。
そして、空の上でヴォルゼアが笑った。
「……いい眺めだ」
愉しそうに。
「実にいい」
「壊せ」
「全部」
その一言で絶望が、形になる。
リナは、立ち尽くす。
目の前には、暴走するルシエル。
上には、ヴォルゼア。
周囲は、崩壊する都市。
逃げ場は、ない。
フェルが、静かに問う。
『……どうする』
リナの手が、震える。
それでも、ゆっくりと握る。
「……させない」
けれど、はっきりと小さく。
「ルシエルも」
「この街も」
「全部」
その瞳の奥の覚悟だけは、揺れない。
「助ける……!」
だが、なす術もなく、都市は崩れていく。
そして――。
ここからーー。
本当の地獄が始まる。
第55話 終わり
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