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第54話 風に還るもの

風の神殿リベル・ヴェント――。


ーー最奥。


ひんやりとした風に導かれるように、一行は奥へと進む。


さっきまでの荒れた気配は消えているはずなのに、胸の奥だけがざわつく。


静かすぎる。


何かが、息を潜めているような気配が漂う。


「……この先です」


エリオスが小さく言う。


まだアルに支えられたまま。それでも、その瞳は風を追っている。


ルシエルは無言で頷き、槍を握り直す。


さっきまでの恐怖は完全には消えていない。


それでも、足は止まらない。


やがて、空間が開けた。


巨大な空洞。


天井は見えず、中央に風の渦が静かに漂っている。


だが、その“中心”が歪んでいた。


「……っ」


リナの息が止まる。


そこにいたのは――風の守護神獣。


本来は蒼く澄んだ風の塊であるはずの存在。


だが、今は濁り、黒い靄が絡みつき、風の流れを歪めている。


翼は重く垂れ、瞳は濁り、呼吸のように風が乱れている。


「……どうして……」


リナの声が震える。


「どうして、この子も……」


セラフィア神殿で見た光景が重なる。


守るべき存在が、歪められている。


フェルが、静かに目を細めた。


『ここまで精霊や神獣、魔物たちを歪められる者は――』


低い声。


そして、一歩前に出る。


『一人しかいない』


空気が、凍る。


レオンの視線が鋭くなる。


アルが舌打ちをする。


「……ヴァルディスか」


名前だけで、場の温度が下がる。


リナは、ゆっくりと息を吸った。


目の前の存在を、まっすぐに見つめる。


「……大丈夫」


小さく、呟く。


「助けるから」


風の守護神獣が、ゆっくりと顔を上げる。


濁った瞳がリナを捉える。


次の瞬間――


ゴォォォォッ!!


暴風が弾けた。


「来るぞ!」


レオンの声。


だがリナは動かない。


一歩、前へ。


「リナ!」


アルの声が飛ぶ。


それでも止まらない。


「この子は……敵じゃない」


手を、伸ばす。


風が裂ける。


触れれば弾き飛ばされる距離。


それでも――


「……風の精霊よ」


声が、静かに響く。


「この子に――還る道を」


淡い光が、広がる。


「風の精霊術式ーー」


今までとは違う。


癒しではないーー。


“解放”の術。


風が、揺れる。


神獣の身体に絡みつく黒が、ざわめく。


『……触れるな……』


低く、苦しげな声。


神獣のものではない。混じっている。


歪められた“何か”。


リナは、さらに一歩踏み込む。


「大丈夫」


「あなたは、ちゃんとここにいる」


手が、届く。


触れた瞬間――


ドクンッ!!


黒が、暴れた。


風が荒れ狂う。


だがリナは離さない。


「……戻ってきて」


声が、まっすぐ届く。


ルシエルの胸が、強く揺れる。


あの時、自分に向けられた言葉と同じだった。


「……自由に、なっていい」


光が、深く染み込む。


黒が軋み、剥がれ、悲鳴のような音とともに、闇が裂ける。


そして――


一気に、ほどけた。


風が、解き放たれる。


澄んだ流れが、空間を満たす。


神獣の身体が、蒼く輝きを取り戻す。


重かった翼が、ゆっくりと広がる。


瞳が、開く。


澄んだ銀色。


『……汝……』


その声は、もう濁っていない。


やわらかく、深い。


『解き放ったか……』


リナは、静かに頷く。


「うん」


「あなたは、もう自由だよ」


風が、やさしく吹く。


神殿全体が、呼吸するように揺れる。


『長き時を経て、ようやく巡りは戻る』


その時――


淡い光とともに、もう一つの存在が現れる。


透き通るような身体。


風の羽衣を纏った、美しい精霊。


風の守護精霊。


『見事です』


穏やかな声。


『風は、再び巡り始めた』


『汝を認めよう』


『大精霊の巫女として』


空気が、変わる。


祝福の風が、降り注ぐ。


リナの髪が、ふわりと浮かぶ。


『あなたは、風の悲鳴を聞いた』


『だからこそ、我らは応えましょう』


優しい声。


そしてーー


守護神獣が、ゆっくりと頭を垂れる。


『我が名は――』


空気が震える。


風が、渦を巻く。


『――ヴェルディア』


その瞬間。


神殿中の風が、一斉に歌った。


ルシエルが息を呑む。


エリオスの瞳が揺れる。


名前。


それは、存在そのもの。


精霊や神獣にとって、


“真名”とは魂そのものだった。


そして――


守護精霊も、微笑む。


『私は、シルフィール』


ふわり、と風が頬を撫でる。


まるで祝福するように。


『我らが名を、あなたへ預けます』


リナの瞳が、わずかに見開かれる。


「……私に?」


ヴェルディアが頷く。


『名を呼べ』


『必要な時、我らは応えよう』


『空を越えようと』


『世界の果てであろうと』


シルフィールが、静かに続ける。


『それが契約』


『それが、“共に在る”ということ』


リナの胸が、熱くなる。


ただ力を与えられるわけじゃない。


信頼を、託されている。


対等な絆として。


「……うん」


リナは、そっと手を伸ばした。


「よろしくね」


その瞬間――


光が、爆ぜた。


ゴォォォォォォッ!!


暴風ではない。


歓喜の風。


神殿中を巡る風が、リナを中心に渦を描く。


髪が舞い上がり、衣が揺れる。


そして――


リナの右手に、淡い風の紋章が刻まれた。


エリオスが目を見開く。


「……契約紋……!」


ルシエルの胸が、大きく鳴る。


風が――リナへ跪いている。


その光景は、まるで神話だった。


ヴェルディアが翼を広げる。


『呼べ』


『我が名を』


シルフィールも微笑む。


『あなたが望む限り、風は共にあります』


リナは、胸の前で手を重ねる。


あたたかい。


風が、心に触れている。


孤独ではない。


繋がっている。


その感覚が、涙が出るほど優しかった。


「……ありがとう」


小さな声。


次の瞬間、神殿全体に光が走る。


風の柱が天へ昇る。


雲を裂き、空そのものを揺らしながら。


その光景を見て、


フェルが静かに目を細めた。


『いよいよだな』


金色の瞳が、遥か遠くを見つめる。


『精霊契約が、世界へ知れ渡る』


レオンが、静かに息を吐く。


アルは苦笑した。


「……とんでもない薬師だな」


そして――。


ルシエルは、その光景を見ていた。


胸の奥で、何かが強く鳴る。


「……すごい」


小さく、呟く。


恐怖ではない。


憧れでもない。


もっと深い、“向かうべき場所”の感覚。


フェルが、わずかに笑う。


『流れ始めたな』


その視線は、ルシエルへ向けられていた。


やがて、風は穏やかになる。


神殿は、完全に静けさを取り戻した。


レオンが背を向ける。


「……行くぞ」


アルも頷く。


エリオスは、かすかに微笑む。


「……終わりましたね」


リナは、最後にもう一度振り返る。


風が、やさしく頬を撫でた。


まるで――。


見送るように。


そして一行は、神殿を後にする。


だが――。


風の神殿リベル・ヴェントーー上空。


誰も気づかない場所で。


風が、わずかに歪む。


「……面白いな」


「次は、どこまで届くかな」


嘲笑う声がする。


嵐は、まだ終わらない。


第54話 終わり

ここまで読んでいただきありがとうございます!


少しでも続きが気になったら、ブックマークや評価で応援していただけると嬉しいです。


次回もぜひ読んでいただけたら嬉しいです!

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