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第52話 自由な風

風の神殿リベル・ヴェントーー。


神殿の中心――魔導陣の上。


風が、収束していた。


幾重にも折り重なった気流が、ひとつの点へと吸い寄せられていく。


空気は薄く、耳鳴りのような低い唸りが響く。


その中心にいるのは、エリオスだった。


「……エリオス!」


リナの声は届かない。


手を伸ばしても、指先が触れる前に拒むように押し返される。


「……違う」


アルが低く言う。


「これは攻撃じゃない」


レオンが短く頷く。


『試されている』


フェルが目を細める。


ルシエルは無言のまま、ただ震えていた。


風が、さらに締まる。


髪が持ち上がり、衣が裂けそうになる。


その中でーー。


エリオスの意識が沈んでいくーー。


ーーーー


――そこは。


暗く湿った匂い。


水気を含んだ石の冷たさ。


まだ幼いエリオス。


両手は鎖に繋がれ、擦れて、皮膚が裂けている。


痛みは、いつからか感覚を失っていた。


ここがすべての世界だった。


ここしか、知らなかった。


足音ととに鉄の扉が軋む。


「ほう……これが例の子か」


「風の適性があるらしい」


「売れば高くつく」


大人たちは笑いながら、値踏みする視線を送る。


名前では呼ばれない。


人ではない、モノとして数えられる日々。


――ある日。


轟音が、天井越しに落ちてくる。


悲鳴が、土を伝って響く。


「魔物だ!」


「逃げろ!」


足音が遠ざかり、繋がれたまま一人置いていかれる。


やがて、扉が内側へと歪み、木が裂け、鉄が折れる。


歪んだ影が現れ、魔物がこちらを見た。


怖くは、なかった。


そして、そっと目を閉じた。


ーーやっと終われる。


――もう楽になれる。


その瞬間――。


風が、吹き抜けた。


鎖が鳴り、空気が変わる。


「よかった。間に合いました」


目を開けると、そこにいたのは――。


風を纏う魔導士。


グランディ・シルフィード。


ズバッ……!


一閃。


風の刃が魔物が吹き飛ばした。


次の瞬間、鎖へ手が伸びる。


「こんなものを……」


風が走り、鉄が砕けた。


初めて、腕の重さが軽くなる。


初めて、自分の手が自由に動く。


「もう、大丈夫ですよ」


初めてーー。


やさしい眼差しで、声を向けられた。


胸に、まだ知らない風を感じた。


そして、答えられないまま、小さなエリオスが抱き上げられる。


胸に当たる鼓動が、確かに“生きている”と告げてくる。


階段を駆け上がる。


暗闇が薄くなり、光が近づく。


そして、光の先。


次の瞬間、風が頬を撫でた。


初めて見た空は、どこまでも高かった。


白い雲が、ゆっくり流れていく。


そして、風がやさしく、絶えず世界を撫でている。


それは、やわらかく、あたたかい、風。


「……あったかい」


小さなエリオスは小さく呟く。


その零れた声に、グランディが微笑む


「これが――自由な風です」


その言葉が、胸の奥に沈む。


消えないまま、ずっと残る。


ーーーー


暗闇の底で、エリオスは顔を上げる。


「……自由……」


風が、問いかける。


――何のために、風を使う?


「……守るため……」


迷いはない。だが、さらに問う。


――それは、与えられた答えではないか?


風が、一瞬だけ止まる。


エリオスは差し出された手を、思い出す。


初めて名前で呼ばれた日。


いつも、いつも守られていた。


そして――。


自分が誰かの前に立ち、守った瞬間を。


「……違う……」


小さく、しかし確かに首を振る。


「これは……私が選びました」


息を吸う。


胸の奥まで、風が満ちる。


「私は」


「風の賢者グランディ・シルフィードの娘」


「エリオス・シルフィード」


風が、震える。


「私は」


風が、ゆっくり巻き起こる。


「決して止まない――」


「自由な風を、選ぶ!」


その瞬間、圧が弾けた。


光が差し込む。


ーーーー


現実へ――引き戻される。


「……っ!」


エリオスの目が開く。


風が従い、寄り添うように流れている。


『……過去を断ち切ったか』


フェルの声が、静かに差し込む。


『縛られていたものを』


金色の瞳が細くなる。


「……はっきりと聞こえます」


エリオスが、わずかに笑う。


「風の声が」


神殿の奥に、視線が定まる。


見えなかった神殿の“核”が、脈打つようにそこにある。


「……そこです」


一歩、踏み出す。


足元で、風が渦を巻く。


掌に集まり、圧縮され、鋭さを帯びる。


「解き放ちます」


血が流れる腕を、大きく振り抜く。


蒼嵐解放そうらんかいほう


「リベルタス・テンペスト!!」


轟風が、一直線に走る。


空間が裂け、音が遅れて追いかける。


風を裂き、風を超え、脈打つ神殿の核へと届く。


次の瞬間――爆ぜた。


光と風が、同時に解ける。


魔物が霧のように崩れ、束縛されていた気流がほどけていく。


荒れていた神殿が、深く息を吐くように静まっていく。


静寂が落ち、やわらかな風が降りた。


撫でるように、全員の頬を通り過ぎる。


その中心で、風の守護精霊が目を細める。


『……見事』


声はやわらかく、冷たさはもうない。


『汝に与えよう』


風が、優しくエリオスを包む。


『風の加護を』


風が集まり、エリオスの胸のそばで紋章になる。


そして光が、溶けるように身体へと染み込む。


骨の奥まで、風が満ちる。


次の瞬間、指の力が抜ける。


「……あ」


視界が傾く。


傷を負った肩を、無理に動かしすぎて限界だった。


そのまま、身体ごと崩れ落ちる。


だが、その前に腕が支えた。


「……ずいぶん、無茶したな」


アルだった。


低い声だが、その腕は揺れない。


エリオスは、かすかに笑う。


「……すみません」


息が浅い。


それでも。


「でも……届きました」


アルは何も言わない。


ただ、支える力を、ほんの少し強める。


「エリオス!」


リナが駆けつける。


ルシエルはその光景を見つめていた。


ほんの小さく、何かが胸の中へ流れてくる気がした。


一歩、


そして、また一歩。


ゆっくり、エリオスのそばに寄る。


「あ、あの……」


エリオスが、やさしい視線をルシエルに向ける。


「守ってくれて……」


「ありがとう……」


ルシエルの小さな声。


その瞬間、エリオスの胸にあたたかい風が吹いた。


そして、エリオスはくすりと笑う。


「もう、大丈夫ですよ」


やさしい声で向けた。


レオンは何も言わず、ただ見守る。


『風の守護精霊と契約したか……』


フェルが目を細める。


風が、やさしく全員を包んた。


戦いは、終わった。


けれど――。


神殿のそのさらに奥。


風が、わずかに冷える。


嵐は、まだ終わらない。


第52話 終わり

ここまで読んでいただきありがとうございます!


少しでも続きが気になったら、ブックマークや評価で応援していただけると嬉しいです。


次回もぜひ読んでいただけたら嬉しいです!

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