第50話 涙が滲む槍
天空都市シルヴァリアーー広場。
しばらく、誰も言葉を発さなかった。
小さな少年の泣き声だけが、静かに広場に残っていた。
やがて、ルシエルの嗚咽は少しずつ弱まっていく。
震えていたルシエルの身体の力が、リナの腕の中で抜けていく。
「……ごめん」
小さな声。
「……ごめんなさい」
誰に向けた謝罪なのか、わからない。
けれど、これがこの子の今の精一杯なのだと伝わってくる。
リナは何も言わなかった。
ただ、ゆっくりと背を撫でる。
それでいいーー。
無理に伝えることを、リナは求めない。
やがて、ルシエルはゆっくりと顔を上げた。
涙の跡が残る頬。
けれど、その瞳には、ほんのわずかに光が戻っている。
「……あの」
戸惑うように、言葉を探す。
「風の神殿……案内、できる」
小さな声でつぶやく。
レオンが一瞬だけリナを見る。
リナは静かに頷いた。
「お願いしてもいい?」
「……うん」
その返事は、まだ弱い。
けれど、確かに前を向いていた。
そして、天空都市の白い橋ーー。
リナたち一行は、進んでいく。
足元の雲はゆっくりと流れ、遠くで魔導機関が静かに回っている。
後ろには、王都天空騎士団長カイルとともに小隊が護衛している。
ルシエルは少し前を歩いていた。
時折、振り返る。
そのたびに、誰かと目が合うとすぐに逸らす。
後ろを気にしながら、それでも止まらない。
「……その槍は」
レオンが、不意に口を開いた。
ルシエルの背中が、びくりと揺れる。
そして、ゆっくりと振り返る。
「……父さんの形見なんだ」
槍を握る手に、わずかに力が入る。
「そうか」
短く返事をする。
だがレオンの視線は、槍の重さも、そこに宿る想いも測っているようだった。
「扱えるのか」
その問いにルシエルは少し驚き、そして、俯いた。
風が、少しだけ強くなる。
「……でも、怖いんだ」
かすれた声で言う。
「戦うのが……怖い」
握っていた槍が、わずかに震える。
「父さんは……いつも教えてくれてたけど」
言葉が途中で止まり、それ以上は、続かなかった。
しばらく沈黙が続く。
やがてーー
レオンが足を止めた。
「……構えろ」
短い言葉。
ルシエルが顔を上げる。
意味がわからず、戸惑う。
「え……?」
「槍だ。構えろ」
ただ、当然のように言う。
ルシエルの指が、震える。
それでも――
ゆっくりと、槍を構える。
ぎこちない動き。
だが、その軌道は、どこか洗練されていた。
レオンが、わずかに頷く。
「……来い」
その一言で、空気が変わる。
ルシエルの呼吸が乱れる。
怖いーー。
逃げたいーー。
それでも、一歩踏み出す。
「……っ」
次の瞬間、風が走った。
神速の一閃。
迷いを振り切るように、一直線に突き出された槍。
だが、止まる。
レオンの手が、槍を掴んでいた。
完全に、動きを封じている。
ルシエルの目が、大きく見開かれる。
「……悪くない」
低く、静かな声。
だか、それは否定ではない。
評価だった。
その一言で、ルシエルの中で何かが揺れる。
――昔。
「今のはいいぞ」
そう言って、笑っていた背中。
もう、いないはずの声。
「……っ」
視界が、滲む。
ルシエルは、何も言えなかった。
ただ、震える手で槍を握ったまま。
その頭に――
そっと、手が置かれる。
ーーリナだった。
「ちゃんとできてたよ」
ふっと笑い、やわらかく、やさしい声で言う。
ルシエルの胸にーー。
あたたかく、やわらかい水が流れてきたような感覚がした。
エリオスが一歩近づく。
「大丈夫ですよ」
まっすぐに、ルシエルを見る。
「絶対、守りますから」
迷いのない言葉。
ルシエルは、ゆっくりと息を吐いた。
少しだけーー。
ほんの少しだけ、肩の力が抜けた。
やがてーー。
一行は歩みを再開する。
空の色が少しずつ変わっていき、風が強くなる。
そして、その先にそれはあった。
巨大な神殿。
空へと突き刺さるように聳える、白と蒼の塔。
周囲の風が、明らかに異質だった。
「……ここ」
ルシエルが、小さく呟く。
「風の神殿……」
その瞬間、ざわり、と風が揺れた。
「……ここが」
エリオスが、息を呑む。
「風が……違う」
フェルが小さく笑う。
『当然だ』
『ここは――』
『縛られぬ風が還る場所』
『風の神殿リベル・ヴェント』
歓迎ではない。
拒絶でもない。
何かが、まだ見えない奥でじっと“待っている”。
エリオスの表情が、固まる。
「……呼ばれた」
小さな声で呟く。
リナは、神殿を見上げた。
静かな決意が、その瞳に宿る。
風の神殿リベル・ヴェント。
風は、まだ荒れていない。
けれど――。
嵐は、すぐそこまで来ていた。
第50話 終わり
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
Xでは『白猫フェルと森の薬師』のキャラクターイラストなどを投稿しています。
作品とあわせて楽しんでいただけたら嬉しいです。
X:https://ncode.syosetu.com/n7053ma/ #narou
#narouN7053MA




