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第45話 静かな誓い

王都アルディアーー。


巡礼出発まで――あと1日。


城の朝は、穏やかだった。


いつもと変わらない光が差し込み、いつもと同じように人が行き交う。


けれど、どこかが違う。


音の奥に、わずかな張りつめた気配。


誰も口にはしないのに、“明日”を意識している空気。


まるで、嵐の前のような静けさだった。


中庭の端で、リナは一人、空を見上げていた。


高く、澄んだ空。


どこまでも続いていく青。


その向こうへ、行く。


そう思うだけで、胸の奥がわずかに軋む。


「……」


言葉にならない。


ただ、呼吸だけが少し浅くなる。


怖くないわけじゃない。


むしろ、怖い。


知らない場所。


知らない敵。


失うかもしれないもの。


それでも、視線は逸らさなかった。


逃げたくないと、思っている自分がいる。


「……行くんだ」


小さく、こぼれる。


決意というには、まだ揺れていて。


それでも、確かに前を向いた言葉だった。


『迷っている顔だな』


肩の上。


フェルの声。


いつもと同じ調子。


けれど、その奥にあるものが、少しだけ違う。


リナは、空を見たまま、わずかに笑う。


「分かる?」


『分かる』


短い返答。


それだけで、見透かされていると分かる。


少しだけ、息を吐いた。


「怖いよ」


風が、頬を撫でる。


逃げ場を探すみたいに、言葉がこぼれる。


「でも……」


指先が、わずかに震える。


それを見られたくなくて、ぎゅっと握る。


「行かなきゃって、思う」


静かな告白。


誰にでもなく、自分に向けた言葉。


フェルは、少しだけ間を置いた。


そして。


『一度進めば、戻れん』


その声音は、低く、深い。


いつもの軽さが消えている。


『人としての生き方と』


『世界を背負う者の道は、違う』


その言葉が重く胸に落ち、ゆっくりと沈んでいく。


ドクン。


心臓の音が、やけに大きい。


『それでも行くか』


逃げ場のない問いに、リナは目を閉じた。


浮かぶのは、壊れていく景色や泣き声。


そして、いつも隣にいる仲間たち。


そのすべてを、守りたいと思った瞬間。


その全部が、胸に重なる。


ゆっくりと、目を開く。


「……うん」


声は、小さい。


でも、揺れていない。


「それでも、行く」


フェルは、わずかに目を細める。


その表情は、どこか遠い。


『そうか』


それだけ。それ以上は、何も言わない。


ただ、静かに空を見上げた。


風が、少し強く吹いた。


そしてーー訓練場。


乾いた音が、規則的に響く。


レオンの剣は振るうたびに、空気が裂ける。


無駄のない動き。迷いのない軌道。


それでも、その奥に焦燥が滲む。


「……まだまだ足りない」


かすかな声。


守ると決めたものに、届いていないと分かっている。


だから、振るう。


何度も、ただ、それだけを繰り返す。


額に落ちる汗も、拭わないまま。


そしてーーその少し離れた場所。


アルは壁に背を預け、目を閉じていた。


風が、頬を撫でる。


懐かしい感覚。


遠い記憶。


「ヴォルゼア……」


その名が、静かに落ちる。


かつての仲間。


共に戦った日々。


だが今は――。


ゆっくりと目を開く。


そこにあるのは、もう迷いではない。


「俺が……全部終わらせる」


短い言葉。


それだけで、十分だった。


ーー午後。


セレフィーナが、リナの隣に立つ。


足音は、ほとんどしなかった。


気づけば、そこにいた。


白いドレスが、光をやわらかく受けている。


「同じ空でも」


静かな声。


「向かう先で、すべてが変わります」


リナは、答えられなかった。


ただ、その言葉を逃さないように聞く。


「あなたは、“大精霊の巫女”」


その呼び名が、胸に落ちる。


まだ、馴染まない。けれど、否定もできない。


「ですが――」


わずかな間。


その沈黙が、やけに長い。


「それで終わる存在ではないでしょう」


リナの指先が、わずかに動く。


「……え?」


セレフィーナは、ゆっくりと視線を向けた。


その瞳は、揺るがない。


「いずれ、また選ぶ時が来ます」


静かに逃げ道を与えない声音で。


「世界か」


「それとも――」


言葉は、そこで途切れる。


けれど続きは、言わなくても分かるような気がした。


「今はまだーー進みなさい」


風が二人の間を抜け、その言葉だけを残した。


そしてーー夜。


城は、深い静けさに包まれていた。


リナは一人、バルコニーに立つ。


空には、無数に光る星。


遠くて届かないはずなのに、どこか近くに感じる。


「……きれい」


小さな声。


その時、ふわりと、光が集まり始める。


ひとつ。


またひとつ。


精霊たち。


呼んでいないのに。


ただ、そこに在るように。


リナの周りを、静かに舞う。


手を伸ばす。


触れる。


あたたかい。


やさしい。


拒まない光。


胸の奥が、強く鳴る。


ドクン。


ドクン。


もう、揺れていない。


それは、選んだあとの音だった。


遠く夜の中に、巨大な影が浮かぶ。


空船。


風を受ける帆。


明日、そのすべてが動き出す。


『……準備は整ったな』


フェルの声。


リナは、静かにうなずく。


「うん」


もう、後ろは見ない。


風が、背中を押す。


フェルが、目を細める。


『さて――』


その声は、どこか楽しげで。


そして。


深い。


『始めるとしよう』


第45話 終わり

最後までお読みいただき、ありがとうございます!


Xでは『白猫フェルと森の薬師』のキャラクターイラストなどを投稿しています。

作品とあわせて楽しんでいただけたら嬉しいです。


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