第38話 大精霊の記憶
神殿最奥の扉が、ゆっくりと開いていく。
ゴゴゴゴ……。
低く、鈍い音を立て、まるで空気そのものが震えているみたいだった。
その先にあったのは、やわらかくて、あたたかい光。
朝がはじまる直前みたいな、やさしい色。
リナは、息をするのを忘れていた。
「……すごい」
思わずこぼれた声が、やけに小さく感じる。
空気が違うのに、知っている。
懐かしさが、胸に満ちている。
見えないはずのものが、確かにそこにある。
精霊たちの気配。
触れたら壊れてしまいそうでの感覚。
すべて懐かしい。
守護精霊の声が、静かに落ちた。
「ここは――大精霊の記憶の間」
アルが、わずかに眉を動かす。
「記憶、ね……」
軽く言ったようで、その視線は鋭い。
エリオスは何も言わず、中央を見ていた。
巨大な水晶。
透き通った光の塊。
そこから、天へと伸びる一本の光。
まるで――世界を支えている芯。
「……あれに?」
リナが小さく呟く。
守護精霊が頷く。
「触れてください」
迷いのない声。
リナの喉が、わずかに鳴る。
「……私が?」
「はい」
揺るぎない声が響く?
「あなたは可能性を持つ者」
「亡き大精霊エーテルの――」
ほんの一瞬の間。
「器」
ドクン。
胸が、大きく鳴った。
フェルが、かすかに息を吐く。
『………』
リナは、ゆっくりと歩き出す。
一歩。
もう一歩。
近づくたびに、鼓動が強くなる。
押し返されるような感覚。
怖い。
本能が、止めようとしてくる。
「……リナ」
エリオスの声。
振り返らない。
「怖いですか」
少しだけ間があって。
「……うん」
正直な声。
それでも――
「でも」
ほんの少しだけ笑う。
「知りたい」
自分のこと。
この力の意味。
なぜ、自分なのか。
逃げない。
もう、決めている。
リナは手を伸ばす。
指先が、水晶に触れる。
その瞬間ーー世界がほどけた。
眩い光を放ち、白くなり境界が消えていく。
音も、重さも、すべて意識が、ゆっくり沈む。
――風。
頬をなでるやわらかな気配。
気づけば、森に立っていた。
光が揺れている。
葉がささやく。
小さな精霊たちが、楽しそうに舞っている。
息をするだけで、満たされていくような場所。
そして、湖のほとりにひとりの女性がたたずむ。
長い銀の髪。
透き通る瞳。
精霊に愛された存在。
「……エーテル」
呼ぶつもりなんてなかった。
でも、自然とこぼれていた。
女性が振り向く。
やわらかく、微笑む。
「やっと……会えたね」
その声に触れた瞬間ーー
理由もなく、涙があふれた。
「ここは……?」
「あなたの心と、私の記憶が重なっている場所」
静かな声。
時間が止まっているみたいだった。
エーテルは歩み寄る。
そっと、リナの頭に触れる。
「ずっと待っていた」
その一言で、胸が締めつけられる。
「リナ」
「あなたは――私の後を継ぐ者」
湖が揺れる。
映し出される光景。
燃える村。
崩れる街。
泣き声。
伸ばされた手。
届かない願い。
「世界は、崩れかけている」
リナの呼吸が浅くなる。
「癒す力が必要」
視線が重なる。
逃げ場はない。
「それが、あなた」
ドクン。
心臓が、強く打つ。
けれど――水面が、黒く染まる。
じわじわと、侵されていく。
大地が裂け、ガラガラと音を立てて空が崩れていく。
すべてが壊れていく未来。
「同時に――」
エーテルの声が、静かに落ちる。
「滅ぼすこともできる」
リナの手が、わずかに震える。
否定できない。
理解してしまう。
それでも、エーテルの目は、優しいまま変わらない。
「力は、ただの力」
「どう使うかは――あなた次第」
その時、空気が軋んだ。
ドォォォォン……
低い振動。
空が、黒く侵食されていく。
さっきまでの光が、削られていく。
エーテルの表情が、わずかに変わる。
「……侵食が、ここまで」
湖が濁る。
精霊たちが、不安そうにざわめく。
静寂が壊れる。
「神殿の奥に封じられていたものが……」
空間が、裂ける。
ギィィィィ……
耳を引き裂くような音。
黒い亀裂。
そこから溢れる、重く腐った魔力。
そして、巨大な影が現れる。
歪んだ輪郭。
幾重にも重なる翼のようなもの。
無数の目。
すべてが、こちらを見ている。
「……光」
「喰らう……」
掠れた声。
言葉というより、欲望に近い。
リナの足が、わずかに下がる。
本能が拒絶する。
エーテルが一歩前に出る。
リナを隠すように。
「……堕ちてしまったのね」
ほんのわずかに、悲しそうに。
「本来は――この神殿を守るもの」
その言葉に、リナの胸がざわつく。
「守る……?」
あの姿が、あの禍々しい存在が。
エーテルは小さく頷く。
「だからこそ――あなたが必要」
振り向く。
その目は、母のようにどこまでも優しい。
でも、それだけじゃない。
「リナ」
「目を覚まして」
世界が、崩れ始める。
光と闇がぶつかり、軋む。
「これは記憶だけじゃない」
「現実と繋がっている」
遠くから声。
「リナ!!」
エリオス。
金属のぶつかる音。
衝撃。
レオンの声。
アルの気配。
「リナを守れ!!」
神殿が悲鳴を上げながら崩れていく。
エーテルが、ふっと微笑む。
「あなたは、もう選んでいる」
胸に触れる。
あたたかい。
「だから――」
言葉は、最後まで紡がれない。
それでもーー
全部、伝わってくる。
「行きなさい」
光が、弾ける。
世界が白に塗りつぶされる。
その中で確かに、残ったものがある。
守りたい、という気持ち。
それだけは、消えない。
意識が引き戻される感覚した。
次の瞬間、神殿の崩れかけた空間の中にいた。
そこにはーー暴れる闇の存在があった。
リナの瞳が、ゆっくりと開く。
その瞳と胸の奥にあるものは、
もう――迷いではなかった。
第38話 終わり
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