第2話 森の小さな薬屋
エルダウッドの森の奥。
深い木々に囲まれた場所に、小さな家が建っている。
丸太で組まれた素朴な家だった。
壁には乾燥させた薬草が吊るされ、窓辺には色とりどりの瓶が並んでいる。
森の中にひっそりと佇むその家は、まるで森そのものの一部のようだった。
「着いたよ」
リナは振り返り、後ろを歩く青年に声をかけた。
青年――レオンは少し驚いたように家を見上げる。
森の奥に人の住処があるとは思っていなかったのだろう。
「ここが……君の家か」
「うん。薬屋もやってるよ」
リナはにこりと笑い、扉を開けた。
小さな鈴が、軽やかな音を鳴らす。
家の中は、薬草の香りで満たされていた。
乾燥させた葉や花が天井から吊るされ、棚には瓶や小さな壺が整然と並んでいる。
薬師の家――そんな言葉がぴったりの空間だった。
「ここに座って」
リナは椅子を引いた。
レオンは静かに腰を下ろす。
だが、その動作だけでも傷が痛むのだろう。
わずかに眉が動いた。
「少し待ってね」
リナは棚へ向かい、いくつかの瓶を取り出す。
緑色の粉末。
琥珀色の液体。
そして、柔らかい布。
手際よく薬を調合していく。
その動きは慣れていた。
長年この仕事をしてきた者の動きだった。
レオンは黙ってそれを見ていた。
「……慣れているな」
ぽつりと呟く。
リナは肩越しに振り返り、少し笑った。
「森の薬師だからね」
薬を混ぜながら続ける。
「怪我人、けっこう来るんだよ。狩人とか、旅人とか」
「そうか」
レオンは小さく頷いた。
その視線が、ふと窓の外へ向く。
森は静かだった。
風が葉を揺らし、遠くで鳥が鳴く。
だが――
どこか、落ち着かない。
そんな気配がある。
「最近、この森で魔獣は見たか?」
レオンが尋ねた。
リナは少し驚いたように顔を上げる。
「魔獣?」
「王都では問題になっている」
レオンの声は低かった。
「各地で魔獣が増えている」
リナの手が、わずかに止まる。
「この森は……そんな場所じゃないと思うけど」
エルダウッドの森は穏やかな森だ。
薬草が豊かに育ち、動物たちが暮らしている。
危険な魔獣が出るような森ではない。
……少なくとも、今までは。
その時、
「ニャ」
白猫フェルが机の上に飛び乗った。
ふわりと軽い音がする。
金色の瞳が、じっとレオンを見つめていた。
レオンもその視線に気づいた。
「……猫か」
フェルは瞬きもせず、レオンを観察している。
まるで人を見定めるような目だった。
「フェルっていうの」
リナが言う。
「私が生まれてから、ずっと一緒なの」
レオンは静かに白猫を見る。
だが、次の瞬間、少し眉をひそめた。
「……妙だな」
「え?」
「この猫に見られている気がする」
リナは思わず笑ってしまった。
「気のせいだよ」
フェルは黙っている。
金色の瞳が、わずかに細くなる。
(勘のいい人間だ)
その思考は、誰にも聞こえない。
リナは治療を終えた。
「はい、終わり」
包帯を巻き、最後に薬を渡す。
「これ飲んで」
レオンは瓶を受け取る。
少しだけ匂いを確かめる。
薬草の香り。
だが――
それだけではない。
どこか、不思議な感覚がある。
レオンは一口飲んだ。
そして。
思わず目を見開いた。
身体の奥から温かい力が広がる。
傷の痛みが、すっと消えていく。
「……これは」
思わず呟く。
「すごい薬だ」
王都でも、こんな薬は見たことがない。
リナは少し照れたように笑った。
「森の薬草は特別なんだよ」
だが、レオンは気づいていた。
これは薬草だけではない。
何か――
精霊のような力が混ざっている。
その時、フェルが小さく呟いた。
『……精霊の祝福』
もちろん、その声は誰にも聞こえない。
その夜、エルダウッドの森の奥。
闇の中で、赤い瞳が光っていた。
「グルル……」
魔獣。
一匹ではない。
二匹。
三匹。
森の奥から、次々と現れてくる。
そして――
さらに奥、黒い影の中で、誰かが笑った。
「見つけた」
低い声が闇に響く。
「精霊に愛された娘を」
赤い瞳が、森の家の方向を見つめていた。
その頃、家の窓辺で、フェルは外を見ていた。
白い尻尾がゆっくり揺れる。
金色の瞳が、森の闇を見つめていた。
『……早いな』
小さく呟く。
『もう来るとは』
白猫の影が、ほんの一瞬だけ揺れた。
それは猫ではない。
巨大な獣の影。
『面白くなってきた』
森の薬師リナは、まだ知らない。
自分が、
世界の運命に関わる存在であることを。
そして、
白猫フェルの正体も――。
第2話 終わり
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