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第1話 森の傷

エルダウッドの森の奥ーー。


「……今日は多いなぁ」


銀色の長い髪を揺らしながら、一人の少女がしゃがみ込んでいた。


少女の名はリナ。


森で薬を作り、人々の傷や病を癒して暮らす薬師だ。


足元には薬草が群生している。


傷薬の材料になる癒草。


熱冷ましの花。


解毒作用を持つ青葉草。


どれも薬師には欠かせない大切な恵みだった。


「ごめんね。少しだけ分けてね」


リナは薬草へそっと手を伸ばした。


優しく葉を撫でてから摘み取る。


森から恵みをもらう時は感謝を忘れない。


それが幼い頃から教えられてきた薬師の心得だった。


だが――。


最近、この森はおかしい。


昼だというのに薄暗い森。


高くそびえる古木が空を覆い、木漏れ日を細く砕いている。


鳥のさえずりも聞こえる。


風も吹いている。


それなのに、どこか息苦しい。


まるで森そのものが静かに病んでいくような感覚。


村では昔から奇妙な噂があった。


森に入った者の記憶が消える。


昨日まであった道が突然なくなる。


誰もいない場所から声が聞こえる。


大人たちは笑い話だと言う。


だが子どもたちは皆、本気で信じていた。


そして最近になって、その噂は現実味を帯び始めている。


森の魔物が姿を消し、代わりに見たこともない魔獣が現れ始めたのだ。


誰も理由を知らない。


ただ一つだけ確かなことがある。


この森で何かが起きている。


それだけだった。


「フェル?」


リナが呼ぶと、白い影が軽やかに肩へ飛び乗った。


真っ白な毛並み。


金色の瞳。


白猫フェル。


生まれた時からずっと一緒にいる大切な家族だ。


「ニャ」


いつも通りの鳴き声。


けれどフェルは森の奥から視線を逸らさない。


金色の瞳が静かに細められる。


まるで何かを見ているように。


いや――。


何かを知っているように。


『また広がっている』


その声は誰にも聞こえない。


リナにも。


世界にも。


フェルだけが知っている。


森の異変ではない。


世界そのものに刻まれた傷。


それが少しずつ広がり続けていることを。


『まだ気づいていないか』


白猫は静かに目を閉じた。


千年前から続く災厄。


本来なら封じられているはずの闇。


その気配が再び動き始めていることを、フェルは知っていた。


だが今はまだ語らない。


語る時ではない。


「ん?」


その時だった。


ふっと空気が変わった。


鳥の声が遠ざかる。


風の音も薄れていく。


森全体が息を潜めたような静寂。


リナの背筋に冷たいものが走った。


「……何?」


理由は分からない。


だが本能が警鐘を鳴らしている。


何かがおかしい。


その直後――。


ガサッ!


茂みが大きく揺れた。


一度。


二度。


三度。


まるで何かが無理やり押し出されてくるように。


リナの表情が強張る。


フェルの耳がぴくりと動いた。


次の瞬間。


ドサッ!


黒い外套を纏った青年が茂みから転がり出た。


「えっ!?」


リナは慌てて駆け寄る。


青年の胸元は血で染まっていた。


深い傷。


だが、それだけではない。


傷口の周囲が黒く変色している。


まるで闇そのものが肉に食い込んでいるようだった。


「こんなの……」


見たことがない。


薬師としての知識にもない。


青年が薄く目を開いた。


灰色の瞳がリナを映す。


「……ここは」


「エルダウッドの森だよ!あなた怪我してる!」


リナはすぐに薬袋を開いた。


止血薬。


消毒薬。


包帯。


迷いなく手が動く。


薬師として、人を助けるのは当たり前だった。


青年は苦しそうに息を吐く。


「……助かる」


「騎士さん?」


腰の剣に刻まれた紋章を見て尋ねる。


青年は小さく頷いた。


「レオン……王都アルディアの騎士だ」


「どうしてこんな森に?」


しばらく沈黙した後、レオンは低く答えた。


「魔物を追っていた」


その瞬間、フェルの瞳が鋭く細くなる。


『違う』


白猫は知っている。


レオンが追っていたものは魔物ではない。


もっと深い闇から現れた存在。


世界の傷から漏れ出した異形。


本来、この世界に存在してはならないものだ。


「最近、この森はおかしい」


レオンは苦しそうに続けた。


「魔物が増えているんじゃない」


「え?」


「何かに押し出されるように現れているんだ」


リナは息を呑んだ。


その言葉は、森の異変と奇妙に重なって聞こえた。


「とにかく治療しよう」


リナはレオンの肩を支える。


「うちに来て」


「……頼む」


二人と一匹は森の奥へ歩き始めた。


だが、その背を見送りながら、フェルだけは振り返る。


森のさらに奥。


誰も踏み入れたことのない深淵。


その闇の中で――。


ゆっくりと闇に染まった瞳が開いた。


ぞくり、と空気が震える。


まるで世界そのものを見下ろすような視線。


そして、その瞳のさらに奥で揺れる底知れぬ深い闇。


長い眠りから覚めた何かが、確かに目を覚ましていた。


『始まってしまったか……』


フェルは小さく目を伏せる。


リナはまだ知らない。


自分が世界の運命を変える存在であることを。


レオンもまだ知らない。


自分が千年の因果へ巻き込まれていくことを。


そして誰も知らない。


失われた精霊たち。


世界を蝕む闇。


千年前の真実。


その全てが、この森で再び動き始めたことを――。


第1話 終わり

最後までお読みいただき、ありがとうございます!


Xでは『白猫フェルと森の薬師』のキャラクターイラストなどを投稿しています。

作品とあわせて楽しんでいただけたら嬉しいです。


X:https://ncode.syosetu.com/n7053ma/ #narou #narouN7053MA

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