第七話
第七話
第七話
森の中は濃い霧に包まれていた。
白く滲む世界は、先が見えない。
大木の輪郭さえぼやけている。
足元は湿った土がくつに絡みつき、踏み出すたびにぬかるんだ音を立てる。
どこを見ても同じ景色で、方向感覚は無い。
道から外れてしまった。それだけは、はっきりとしている。
その霧の中を駆ける男女が4人。いや、正確には3人であり、もう1人は男の肩に担がれていた。
「なんであいつら追いかけてくるんだ」
セトを背負い走るガイが荒い息の間に叫んだ。
「知るか!」
リンが吐き捨てる様に返す。だがその声に余裕はなかった。
背後から迫るのは異様な光景であった。
人の顔ほどもある巨大な蛍が群れをなして空中を漂いながら迫ってきている。
本来なら幻想的であるはずの淡い光は、今はただ霧の中を不気味にゆらめき、それがいっそうレイン達の恐怖を煽っていた。
低く唸る様な羽音が、霧の中で反響する。
走りながらレインは考える。
大きさは明らかに異常だが、それ以上に違和感がある。
(あの大きな蛍は…本当に蛍なの?…もし本当に蛍ならもしかしたら…)
父の書斎で読んだ本の記憶が蘇る。
蛍は幼虫期に栄養を蓄え、成虫となった時、口はなく幼虫期の栄養のみで生きながらえ、その一生を終える。
つまり。
「あれがもし、本当に蛍だとすると、襲ってくる理由はないはず!」
思わず声に出していた。
「それは本当か!?」
ガイは振り向きざまに叫ぶ。
「じゃあなんで追ってくるんだ!」
リンの疑念は最もだった。
だがレインは、確信に近い直感を抱いていた。
「蛍の成虫は食事しないの」
レインは続けた。
「だから、私たちを襲ってくる理由はない!…誰かが刺激しなければ!」
おそらく、蛍たちが追いかけてくる理由がるとしたら、蔦と同じく誰かが刺激したのだ。
「じゃあどうする!」
リンの声に焦りが混じる。
レインはさらに父の本に書いてあった知識を引き出した。
蛍は昆虫だ。動体視力には優れているが、静止した物体を捉えることに関しては乏しいはずである。
「動かなければ、見えないはず!」
「それを信じろというのか!」
先ほどあったばかりのやつの言うことは信じられないといった様な言い草であった。
「俺は信じるぜ」
それを遮ったのはガイだった。迷いのない声。
「わかった!私も信じよう」
リンも覚悟を決めた様にレインの目を見て告げる。
だがそう言ったものの視界が悪いのはこちらも同じ、大人4人が身を潜められる場所など見当たらない。
(どうする…)
焦りが胸を締め付けたその時。
『――この先に岩がある。そこに隠れよ』
頭の中に声が響いた。
今まで忘れていたが、さっき見た夢の声の主と同じだった。
レインの頭の中にはっきり聞こえた。目の奥がチリチリと熱くなる。そして黒くて大きな岩が頭の中に映った。
(…何、この感覚)
訳が分からないが、走り続けてあまり体力に猶予はない。
「この先に黒い岩がある!その後ろの陰に飛び込んで」
半ば叫ぶ様に告げる。
リンとガイは疑う暇もなく走り続けた。
そして、本当に岩が見えた。
霧の中に、黒く巨大な岩が姿を現した。
それを見て最初に行動したのはガイだった。
「おらよっと」
いつの間にか、ガイの背中にいたセトは岩の影めがけてぶん投げられていた。
セトはそのまま岩へと転がっていった。
呆気に取られる暇もなく、3人は岩の影に一斉に滑り込み身を伏せた。
ブォーーンと大きな羽音が近づく。
息を止める。心臓の音がやけに大きく響く。
光がすぐそこをかすめる。
レイン一瞬身を硬くしたがやがて遠ざかった。
静寂が戻る。
(…はあ。助かった…)
張り詰めた空気が、ゆっくり解ける。
「いててて。何だよこれ」
最初に声をあげて起き上がったのは、まさかのセトである。
投げられた衝撃で目を覚ましたのかもしれない。
状況が分からないのかあたりを見回していた。怪我は無さそうで良かった。
「いやはや。良い投げられっぷりだったな」
急にそう言ってセトの肩に手をぽんっとおくリンであった。
「お前、マジで何言ってんの」
セトは心底、何言ってんだよお前と言いたげな表情である。
そして、その一連の流れを見ていたレインとガイは声を押し殺し腹を抱えていた。
やがて我慢の限界に達した2人は文字通り笑い転げた。
「っ、はははは…!」
「ぶははははははは!」
張り詰めていた緊張が一気に弾けた様に、笑いが止まらない。
やっと落ち着いた2人。否、リンによってうるさいとゲンコツをくらい静かにさせられた。また何か襲ってくるかも分からない状況ではご最もである。
2人はセトに改めて状況を説明した。
「んで、俺はあんたにぶん投げられて起きたワケね」
そう言ってセトはガイを見た。
「あはは。ここまで連れてきてやったったんだから、おあいこって事で!」
「まあ。確かに」
納得したセトを改めて見ると紫の髪と紫色がかった瞳の色をしていた。
なんだかさつまいもみたいだと思ってしまったレインである。
「まあ、そんな訳なんで学校を探しましょう」
そう言いながらレインは立ち上がる。
「行くっていっても場所が分からない」
リンに言われ、レインは答える。
「それはお任せくださいなっ」
レインは自分の胸に拳を当てた。
セトと自己紹介をしている間にまた目の奥が熱くなり、おかしなことが起きた。
『…助けてやろう』
(さっきの声…)
先ほど“誰かが“レインに岩の場所を教えたように、今度は道が見えた。
森の奥へと続く道筋が、頭の中に鮮明に浮かび上がったのだ。
(思い浮かんだってよりは、見せられたに近かったけどね‥‥)
「まあ、さっきの岩のことも当たってたし、レインに俺はついてくぜ」
真っ先に何も聞かず賛成してくれたのはガイだった。
「むう。そうだな。私たちもついていく事にしよう」
少し悩んだ素振りを見せたがリンもレインを信じることにしてくれたようである。
「それでいいのかよ。まあついていくしかないんだけど」
セトは肩をすくめた。
半ば巻き込まれたような言い方だが反対はしていないようである。
「それじゃあ行こうか」
森の中をレインを先頭に歩き、迷いなく進む。
(あれは夢じゃなかった)
木々や岩を避け獣道を通りながらレインは確信した。
(じゃあ、あれは一体誰なの…?)
―――――――――――――――――――――
森をどれぐらい彷徨ったか分からない。時間の感覚は曖昧だった。
だが、霧がわずかに晴れたその先――――――。
それは現れた。
「見えた‥‥!」
重厚な灰色の石で築かれた巨大な城。
城は要塞のように高い壁が周りを囲み、まるで外界を拒んでいるかのようだった。
城壁に近づくと、その威圧感はさらに増していく。
石に刻まれた痕で長い年月を刻んでいることが一目でわかる。
「まさか本当に辿り着けるとは‥」
信じられないといった風につぶやいたのはリンだった。
誰もが同じ気持ちだった。
あの森を抜けてここに立っていること自体が、信じられないといった様子である、
「とりあえず、入り口を探そうぜ」
ガイの言葉に頷き、4人は城壁沿いに進む。
半時計周りに城壁を半周するとやがて門が見えた。
「遅い!」
怒声が飛んできた。
どうやらここで正解だったようだ。
反射程に4人は駆け足で叫び声の主の元へ近づく。
門の前に立っていたのは関所で号令をかけていた男だった。
近くで眺めると正面の大門らしく、荘厳なアーチを描き、精巧な竜の彫刻が施されている。だがその美しささえも、どこか冷たく厳格な空気を纏っていた。
「ふむ。ギリギリ合格だな」
男は腕を組み、4人を見下ろした。
「もう昼だ。締め切る事としよう!」
どうやらレイン達が辿り着いた最後の受験生だったようだ。
(危うく、不合格になるところであった)
4人は顔を見合わせ、同時に安堵の息を吐く。
「ふむ。諸君はそこで受付し、昼食にしたまえ!」
それだけ言い残し、返事をする間もなく颯爽とどこかへ行ってしまった。
「今のは副学長のヴァルド・ゼルディア先生だよ。規律に厳しい人でね」
声の主の方をみると、レイン達より一回り年上だと思われる男が椅子に腰掛け、テーブルの書類を片付けていた。
「はあ‥」
レインはなんだか拍子抜けして気のない返事をしてしまった。
「君たち受験生だよね?ここに名前を書いて受験票を見せてね」
「あ、はい」
慌てて受験票をそれぞれ出した。
口調とは裏腹に手の動きは驚くほど早い。
「じゃあ受付完了。食堂に案内しよう」
すごい仕事の速さだと感心してる間もなく食堂に案内されることになった。
歩き出す足は止まらない。
「あの、あなたのお名前は?」
レインは気まづい雰囲気に弱く、尋ねた。
「ああ俺はね、事務官のベリオだよ」
簡潔な返答だった。
「私はレインヴァルシアです!よろしくお願いします!」
レインは反射的に名乗っていた。
「知ってるよ。君は今回の受験生の中で1番元気そうだ」
どうやら挨拶は不要だったらしい。
レインは物腰柔らかそうなベリオに聞いてみたいことがあった。
「あのー、関所からここまで来れたのは何人ぐらいなんでしょうか?」
ベリオの後に続き歩きながらレインは聞いた。
「そうだなぁ。書類自体は100枚以上来てたけどこの城にたどり着いたのは君たち合わせてちょうど30人だね」
ベリオという男は表情を崩さず答えてくれる。
それを聞き1次試験でそんなに振り落とされたのかと驚きを隠せないレインだった。
「あの、ここに来るまでにみた蔦と蛍のようなモノに襲われたのですが、あれは何ですか?」
間髪入れずに今度はリンが質問した。
「君たちは運がいいね。戒めの蔓と巨大蛍、その二つにしか遭遇しなかったのか」
レイン達にとっては2つもである。
ベリオは説明を続けてくれた。
「あれはね、この地を守る、守護者のようなものだよ。簡単にいうと竜が快適に暮らせるようにするためのお掃除屋さん。竜の暮らしを脅かそうとするもの達を排除するのさ」
「まあ、基本的にこちらが何もしなければ無害とみなされてあちらも何もしてこないけどね」
良かったとレインは胸を撫で下ろす。レインの読みは当たっていたようだ。
「まあでも襲われてたら命はなかったかもね」
全然大丈夫じゃないじゃないか。
「ってことは命を落とした受験生もいるということですか??」
レインは気になり思わず聞いてしまった。聞かずにはいれなかった。
「大体の受験生は、大事に至る前に上級生達によって保護されるよ。中には助からない受験生もいるけどね」
やはり、噂の通り亡くなる者も少なからずいるようだ。だが、保護されるというのは聞いたことが無かった。
上級生というのは最初に見た青年2人のことだろうかとふと思い出した。
気づいたら大きな扉の1つの前に来ていた。
「さあ、ここが食堂だよ。あそこでお膳を受け取って。」
中は思ったより広く、薄暗いためか吊り燭台が何個も天井に並んでいた。
遅い昼食の時間だからか人はまばらだ。
「教師陣や騎士とは違う席を選んで座ってね。」
ベリオが淡々と説明する。
「あと、君たち1番最後だから早くご飯食べた方がいいよ」
それは早く言って欲しかったと4人全員思ったであろう。
4人は顔を見合わせ次の瞬間、一斉に動いた。
慌てて食事を受け取り、適当な席に座りご飯を味わう前に飲み込んだ。




