潔癖症を解決
翌朝、私は魔法少女の格好のまま王城に向かった。
昨日雪さんを送り届けた時、アースラ王子から「明日迎えに来ていい」と言われていたのだ。
(いや、正確には「明日来い」だったけど)
城門の前で立っていると、すぐにアースラ王子が現れた。昨日と同じ白いスーツ。金髪が朝の光に輝いている。
「来たか」
「お邪魔します」
アースラ王子は私を一瞥してから、先に歩き始めた。私は後に続く。
廊下は広くて静かだ。二人の足音だけが大きく響いている。アースラ王子は何か言おうとして、やめた。また言おうとして、やめた。
(どうかしたのかな)
「あの、昨日はありがとうございました」
「別に。たまたま通りかかっただけだと言っただろう」
「それでも助かりました」
アースラ王子は何も答えなかった。横顔を盗み見ると、何か考えているような顔をしている。
(いつもと違う気がするけど……気のせいかな)
私はそれ以上気にしないことにした。
廊下の角を曲がったところで、向こうから人が歩いてくるのに気づく。黒髪に涼しげな目元。白い軍服を纏った長身の男性。
(あの人は……)
「アースラ」
男性が立ち止まった。アースラ王子も足を止める。
「兄上」
(第一王子!?)
私は咄嗟に俯いた。魔法少女の格好だからバレるはずがない。バレるはずはないけど、なんとなく目を合わせたくなかった。
ロイス王子はちらりと私を見る。
「その娘は?」
「こいつは医務室で預かっている例の女の見舞いだ」
「そうか」
ロイス王子は私の横を通り過ぎようとして、ふと足を止めた。
(ひー!あんまり見ないでッ)
「……」
「兄上?」
「いや、なんでもない」
ロイス王子は一瞬不思議そうな顔を浮かべるも、そのまま歩き去った。
(たぶん、バレてないよね?……)
「行くぞ」
アースラ王子に促されて、私は足を動かした。
※※※※
雪さんの部屋に通されると、ベッドの上に雪さんが起き上がり、窓の外へ視線を向けていた。昨日よりずっと顔色がいい。薄紫色もほとんど消えている。
「雪さん!よかった……!」
「大袈裟ね」
「大袈裟じゃないですよ!昨日どれだけ心配したか……」
「うるさい」
私は雪さんの隣に腰を下ろす。雪さんはしばらく黙ってから、視線を窓の外に向けたまま言った。
「昨日、手を握ってたでしょ」
「あ、気づいてましたか」
「気づいてたわよ」
「すみません。嫌でしたよね」
「……別に」
雪さんは窓の外を見たまま、小さな声で続ける。
「握っててくれた方が、楽だったから」
「雪さん……」
「一回しか言わないから」
雪さんはこちらを向いた。眉間にシワを寄せたまま、でも真剣な目で。
「ありがとう。昨日は」
「どういたしまして」
「もう言わないから」
「わかりました」
二人でしばらく黙った。窓から差し込む朝の光が、雪さんの黒髪を柔らかく照らしている。
(よかった。本当に、よかった)
※※※※
数刻後―王城の執務室にて。
ロイスは書類を手に取りながら、さっきの廊下の場面を思い返していた。アースラが連れていたピンクの衣装の娘。
(どこかで……)
「兄上、さっきからどうかしたんだ?」
顔を上げると、アースラが怪訝そうな顔でこちらを伺っている。
「いや。さっきの娘のことを考えていた」
「はぁ!?どうしてだ!」
「後ろ姿を、以前どこかで見た気がして」
アースラは深く息を吐いて、少し間を置いてからそっけなく言った。
「人違いだろう」
「そうかもしれん」
ロイスは書類に目を戻した。でも、頭の片隅にその後ろ姿が引っかかって離れない。
しばらくして、ロイスはふと口を開いた。
「アースラ」
「なに?」
「お前、最近様子がおかしいぞ」
「気のせいだろ」
「そうか?」ロイスは書類から目を離さないまま、口の端をわずかに上げた。「さっきの娘、随分と気にかけているようだが」
「……別に、たまたまです」
「ほう」
「偶然が重なっただけです」
「ほう」
ロイスはようやく書類から顔を上げた。そして意地悪そうな顔を浮かべながら弟の方をじっと見る。
「俺があの娘を探し続けているのを、お前は非効率だと言っていたな」
「言いました」
「本当は分かっているのではないか?」
アースラは何も言わなかった。
ただ、僅かに視線を逸らす。
「……そんなんじゃない。俺はただ……恩人が気になっているだけ。それだけだ」
「そうか」
ロイスは静かに微笑んだ。それ以上は何も言わない。その様子を見たアースラは不機嫌そうに書類を手に取り直したが、文字が頭に入ってこなかった。
(違う。あれは恩人への感謝だ。それだけだ)
そう思いながらも、あの魔法使いの姿が頭から離れなかった。友人の傍で、一心不乱に看病していた後ろ姿。声をかけようとして、かけられなかった。
(なんで声をかけられなかったんだろう)
その答えを、アースラはまだ知らなかった。
※※※※
その夜、ボロ小屋に帰ると妖精さんが待っていた。
「遅かったわね」
「雪さんのお見舞いに行ってました」
「様子はどうだった?」
「回復してました。よかったです」
私は椅子に腰を下ろした。ロッソとテールが膝に乗ってくる。二匹を撫でながら、私は妖精さんを見た。
「相談があるんですけど」
「なにかしら」
「雪さんを正規ルートに戻す為に、潔癖症を克服させたいんです。方法を一緒に考えてもらえませんか」
妖精さんは少し考えてから頷いた。
「いいわ。でも、焦らない方がいい。雪さんのペースに合わせて」
「わかってます」
「それと」
妖精さんの声が少し低くなった。
「あなた自身の事も、ちゃんと考えなさい。雪さんの事ばかりじゃなくて」
「……はい」
私は膝の上のロッソとテールを見つめた。
自分の事。正規ルート。第一王子と結ばれる。
(わかってる。わかってるけど)
今はまず、雪さんだ。
(雪さんを助けてから、考える)
そう心の中で決めて、私は目を閉じた。
※※※※
数日後。
「というわけで、潔癖症克服作戦を開始します!」
ドワーフの家のキッチンで、私は五人に向かって宣言した。カリフ、フーラ、マロン、ミミ、ゴンゾが一列に並んでいる。雪さんはというと、腕を組んで壁にもたれ、不満そうな顔をしていた。
「正規ルートに戻る為ですよ!」
「……わかってるわよ」
渋々ながらも、雪さんは参加してくれている。それだけで十分だ。
「まずカリフさん、お願いします!」
「はい!」
カリフが張り切って前に出た。手には新しく開発した洗剤と、ピカピカに磨かれた調理器具一式。
「食材と調理器具を全部この洗剤で洗います。雑菌除去率99.9%です!」
「99.9……」
雪さんの眉間のシワが少し和らいだ。数字に弱いらしい。
カリフが食材と調理器具を丁寧に洗い上げると、ミミが食材を綺麗に並べた。
「ゆきさまが好きそうな食材、選びました」
「……ありがとう」
雪さんが小さく呟くと、ミミの耳が赤くなった。
「では!」
私はエプロンを締めて、キッチンに立つ。
「シンデレラ、何をするの」
「寿司を握ります」
「す、すし!?」
「前世にあった食べ物です。素手で作るんですよ」
雪さんの顔が曇り、青ざめる。
「す、素手ですって……?」
「そうです。でも、カリフさんの洗剤で手も洗いますから!」
カリフが洗剤を差し出した。私は念入りに手を洗い、雪さんに見せる。
「ほら、綺麗でしょう?」
「……まあ」
私は薄く切ったライ麦パンに燻製肉とチーズを乗せ、素手でくるりと握った。小さくて丸い、それっぽい形のなんちゃって寿司の完成だ。
「へいおまち!」
「何が『へいおまち』なの」
「板前の掛け声です」
雪さんはじっと寿司を見つめた。
フーラとマロンが固唾を飲んで見守っている。ゴンゾは腕を組んで静かに待っている。ミミは壁の陰からそっと覗いている。カリフは洗剤を握りしめたまま祈るような顔をしている。
「……」
雪さんは手を伸ばした。
つまみ上げて、口元に近づける。
「……っ」
直前で止まった。
「大丈夫ですよ」
「わかってる!」
「雪さん」
「うるさい、わかってるって言ってるでしょ!」
雪さんはもう一度口元に近づけた。また止まる。
(焦らないで待とう)
私は何も言わなかった。五人も黙って待っている。キッチンがしんと静まり返った。
雪さんの手が、微かに震えていた。
「……っ、もう!」
雪さんは勢いに任せて目を瞑って、口に入れた。
誰も息をしていない気がした。
雪さんはゆっくりと噛み続ける。
そして――飲み込んだ!
「……あら、美味しいじゃない」
「雪さん!!」
「やったー!!」とフーラが飛び上がった。
「すごい!すごいですゆきさま!」とカリフが洗剤を放り投げた。
「ゆきさまー!」とマロンが突進しようとして、
「近づかないで!」
「えへへ」
ゴンゾは何も言わなかった。ただ、静かに目を細めて頷く。ミミは壁の陰で、こっそり涙を拭いていた。
「なによ、大袈裟ね」
雪さんはそっぽを向いた。でも、耳が真っ赤だ。
(よかった)
私は胸の奥で、そっと息を吐く。
一歩、前に進んだ。
雪さんを助けられるかもしれない。その実感が、じわじわと広がってくる。
だけど同時に、胸の奥に小さな棘が刺さった。
(私は、どうするんだろう)
正規ルートに戻る。恐らく第一王子と結ばれる。
何故だか頭の中に金髪王子の顔が浮かぶけど、すぐに打ち消した。
(今は、雪さんの番だ)
「シンデレラ」
「なんですか?」
「もう一個、握って」
雪さんがぶっきらぼうに言った。
「へいおまち!」
「だから何なのよ、その掛け声」
キッチンに笑い声が広がった。




