化け物の真実
ミミからお菓子をもらったのは、三日前のことだった。仕立て屋の帰り道、雪さんと別れた後に小さな手が袖を引っ張ってきた。振り返ると真っ赤な顔で小さな包みを差し出すミミの姿。
「これ…よかったら」
「わ、ありがとう!」
「ゆきさまと一緒に作ったの。だから、衛生面は…その、大丈夫だと思う」
包みを開けると、丸くて小さなクッキーが並んでいた。一口食べると、素朴な甘さが口の中に広がる。
「美味しい!」
「ほ、本当に!?」
「本当に!雪さんと作ったの?」
「うん。最初は嫌がってたけど…私が材料を全部洗ってから渡したら、一緒にやってくれた」
(雪さん…)
そのクッキーはあっという間になくなった。だからお礼を持っていこうと思ったのだ。
※※※※
休日の昼過ぎ、私はお土産の焼き菓子を抱えてドワーフの家を訪ねた。扉をノックすると、中からどたどたと足音が聞こえてくる。
「だれだれ?」
「シンデレラです」
扉が勢いよく開いた。
「シンデレラだー!!」
フーラが満面の笑みで飛び出してきた。続いてマロンが、ゴンゾが、カリフが、ミミが顔を出す。ミミだけは少し恥ずかしそうに手を振っている。
「今日はゆきさまいないよ?」
「知ってます。皆さんに会いに来たんです。お土産も持ってきました」
「わーい!」
五人に招き入れられてリビングに腰を下ろすと、すぐに距離感の近いマロンが隣にくっついてきた。
「マロン、なかよし!」
「仲良しですよ」
「えへへ」
ゴンゾが「マロン、くっつきすぎだ」と注意したけど、マロンは全く気にしていない。この子は本当に一生こうなのだろう。
お土産の焼き菓子を広げると、五人が目を輝かせる。街で売られている流行りのマカロンだ。
「わあ!」
「きれい!」
ミミだけが少し遠慮がちに、それでも嬉しそうに眺めていた。
「ミミちゃん、食べてね」
「…うん。ありがとう」
お茶を囲みながら、話が弾んだ。カリフが新しい研究成果を嬉々として見せてくれた。洗剤の改良版らしく、瓶にびっしりとメモが貼られている。
「雪さんに使ってもらいましたか?」
「うん!この前、床掃除してる時に使ってくれてた!」
カリフは目を輝かせながら言った。
「前の漂白剤より効き目があるって言ってくれて……僕、嬉しくて三日間寝れなかった」
「寝てください」
「えへへ」
マロンがすかさず割り込んできた。
「ゆきさまね、この前笑ってたよ!」
「それは本当!?あの雪さんが……」
「うん!フーラがこけたら、一瞬だけ笑ってた!すぐ真顔に戻ったけど」
「僕は痛かったんだけどね」とフーラが苦笑いした。
「でも、ゆきさまが笑ってくれたから別にいいや」
(雪さん、笑ってたんだ)
ゴンゾが静かに口を開いた。
「最近、怒鳴られる回数が減った気がする」
「言われてみれば」とフーラが頷いた。
「近づくと怒られるのは変わらないけど」とカリフが苦笑いした。
「マロンだけは毎日怒られてるね」とミミが小さな声で言った。
「えへへ」
「なんで嬉しそうなの」
「だってゆきさまに構ってもらえるから!」
(この子の感性は独特だ)
ミミが少し俯いてから、ぽつりと言った。
「昨日ね、ゆきさまがお菓子を作ろうって言ってくれたの」
「え、雪さんから言ってくれたの?」
「うん。私が材料を準備してたら、声をかけてくれて。一緒に作ったら、美味しいって言ってくれた」
ミミの耳が赤くなっている。
「最初は怒られると思ってたけど…ゆきさまって、一緒に作るなら食べてくれるんだって」
(雪さんなりの歩み寄り方だ)
文句を言いながらも、ちゃんと前に進んでいる。それがなんだかとても雪さんらしかった。
「皆さん、雪さんのこと大好きなんですね」
「大好き!」とマロンが即答した。
「大好きです」とカリフも頷いた。
フーラとゴンゾも静かに頷いた。ミミは俯いたまま、こくりと頷いた。
「怒られてばかりだけど」とゴンゾが言った。「ゆきさまがここにいてくれるだけで、なんか…家が明るい気がする」
「わかる!」とフーラが元気よく言った。
私は温かい気持ちで五人を見回した。
(雪さん、こんなに愛されてるよ)
そう思った瞬間だった。
窓の外で、何かがざわりと動いた。
※※※※
「マジックイーター!」
路地の奥に、見慣れた紫色の影が揺れている。
ドワーフ達はベッドの下や、ソファの影に慌てて隠れ始めた。
「皆さんは中にいてください!」
私はガラスの靴を鞄から取り出して両足にはめ、右足を三回叩いた。虹色の光に包まれ、ピンクのミニスカートドレスへと変身する。
裏口から飛び出すと、マジックイーターは私の姿を見るなりお得意の光線を放ってきた。
「っ!」
咄嗟に横に跳んで避ける。着地してすぐに炎を放った。
―聖者ノ炎!
直撃したけど、ひるんだだけだ。相変わらず硬い。
(引き離さないと、ドワーフ達に被害が出る)
私はマジックイーターを引き付けながら、じりじりと路地から街の方へ誘導した。マジックイーターは私を追って移動してくる。
(よし、このまま)
―聖者ノ炎!
再び炎を放ちながら後退する。気づけば随分と街の近くまで来てしまっていた。
(まずい、人がいる)
人通りを避けながら戦うのは難しい。マジックイーターは構わず光線を放ってくる。一発が石畳を抉り、破片が飛び散った。
「っ、危ない!」
その時、背後から足音が聞こえた。
「遅くなった。何があったの」
雪さんだった。買い物袋を持ったまま、マジックイーターを冷たい目で見ている。
「雪さん!ドワーフの家の近くに出たから引き離して…」
「わかった。頑張って」
「また見てるだけですか!?」
雪さんは腕を組んだ。私は諦めて再び炎を放つ。
その時だった。
「きゃあ!」
声のした方を振り返ると、マジックイーターの光線を避けようとした私の背後にミミが、いつの間にか後を追ってきていたらしく、路地の角で転んでいた。
「ミミちゃん!」
避けるために捻った身体は戻せない。光線はミミに向かって真っ直ぐと跳んで行く。間に合わない。
次の瞬間、私は目を疑った。先程まで腕を組んで静観していた雪さんがミミの前に飛び出していたからだ。
そして真っ赤なリンゴを前方に構え、雪さんの身体は虹色の光に包まれた。光が収まると純白のミニスカートドレス姿の雪さんが風を纏う。
雪さんは跳んできた羽虫払うかのように、嫌な顔で光線を手の甲を使って弾いた。
「っ…気持ち悪い。お返しよ」
構えた手をマジックイーターに向けた。
―果実ノ猛毒
黒い霧が空間を埋め尽くし。マジックイーターの動きが鈍くなった。
「今よ!私に魔法を使わせたんだから、きっちり仕留めてよね」
「わかった!」
―聖者ノ炎!!
渾身の炎が、動きの止まったマジックイーターに直撃した。内側から光が溢れ出し、全身がぼろぼろと崩れていく。
ガアアァアアア!
そのまま灰となって消えた。
「…やった」
私は大きく息を吐いた。雪さんも変身を解いて、ゆっくりと息を整えている。
「雪さん、ミミちゃんを庇って…」
「うるさい。たまたまそこにいただけよ」
(やっぱりそう言う)
「ミミちゃん、大丈夫?」
「う、うん。ごめんなさい、ついてきちゃって…」
「気をつけてね」
ミミは雪さんをちらりと見た。雪さんは顔を逸らしている。
「ゆきさま、ありがとう」
「…別に」
その時だった。
「雪さん!」
雪さんの顔色が変わった。白い肌が、じわりと薄紫色に染まっていく。
「っ…なに、これ」
雪さんは自分の手を見つめた。手の甲から腕にかけて、薄紫色が広がっている。
「雪さん!?」
雪さんはそのまま膝をついた。顔が青白い。苦しそうに胸を押さえている。
「雪さん!しっかりして!」
「大丈夫…ちょっと、眩暈が」
大丈夫じゃない。全然大丈夫じゃない。
もしかして毒魔法の影響!?
身体に触れるのは嫌がるだろうから、何もできずに私がおろおろしていると、そこに突然、1台の馬車が止まった。窓から見えるのは金髪碧眼の白いスーツ。
(アースラ王子!?)
「シンデレラ……か?何があった」
「わ、わかりません!彼女が突然倒れて……」
アースラ王子は馬車から降りると素早く雪さんの状態を確認してから、私を見た。一瞬だけ何かを考えるような顔をしたが、すぐに御者に向かって叫んだ。
「城に戻る!医者を呼べ!」
※※※※
城の寝室に運ばれた雪さんは、医者の診察を受けた。
私はベッドの傍らで、雪さんの手をそっと握っている。普段の潔癖症の彼女ならすぐ振りほどこうとするはずだ。だけど返ってくる力は弱い。薄紫色の肌も完全には治っていなかった。
「大丈夫ですよ、絶対」
雪さんは目を閉じたまま、小さく頷く。
しばらくして部屋にお医者さんが入ってきた。
「原因は不明です。見たことのない症状で…」
「治療法は?」
「現時点では…申し訳ありません」
私は唇を噛んだ。
医者が部屋を出ると、静寂が戻ってきた。雪さんの寝息だけが聞こえる。
「大丈夫ですから」
誰に言っているのかわからなかった。雪さんにか、自分にか。
「おい」
振り返ると、扉の近くにアースラが立っていた。部屋に入りかけて、止まっている。
「彼女の容態はどうだ?」
「少し落ち着いてきました。ありがとうございます、助けていただいて」
「いや、たまたま通りかかっただけだ」
会話をそこそこに、私は雪さんの方へと向き直し、冷えたタオルで額を拭う。
「雪さん……しっかり!」
アースラは何か言おうとして、口を開きかけて、また閉じた。
私は雪さんの額の汗をそっと拭いた。髪が乱れていたので、指で整える。苦しそうな顔が少しだけ和らいだ気がした。
「…」
アースラ王子は何も言わない。
ただ、部屋の入口に立ったまま、こちらから視線を逸らせないでいる。
私はその視線に気づかないまま、雪さんの傍に寄り添い続けた。
※※※※
雪さんの容態が落ち着いたのを確認してから、私は城を後にする。夜道を一人で歩きながら、さっきの雪さんの顔が頭から離れない。薄紫色に染まった白い肌。苦しそうに胸を押さえる姿。
(早く治療法を見つけないと)
「シンデレラ」
立ち止まる。
振り返ると、光の粒が集まって妖精さんの姿になった。いつもの灰色の髪に青いコート。でも今日の顔は、いつもと違う。
「妖精さん…今日はどこにいたんですか。雪さんが」
「知ってる」
「知ってるなら来てくださいよ!」
「ごめんなさい」
妖精さんは深々と頭を下げた。それからゆっくりと顔を上げて、真剣な目で私を見た。
「話さないといけない事があるの。本当は言っちゃ駄目なんだけど……あなたには何故だか言わなきゃならない気がして」
「何ですか?」
「マジックイーターの正体よ」
夜風が吹いた。
「あれはね…正規のルートから外れたヒロインの……魔法少女の成れの果てなの」
「…」
「魔法を使い続けると、少しずつ人間でなくなっていく。雪さんの肌の変色は、その始まりよ」
私はしばらく、何も言えなかった。
成れの果て。
―あの紫色の化け物が。
―魔法少女の。
―雪さんが、いつか。
「タイムリミットは?」
「わからない……個人差もあるから」
「逃れる方法は」
「正規のルートに戻ること。白雪姫なら毒リンゴを食べて王子に目覚めさせてもらう事よ」
私は俯いた。夜道の石畳が滲んで見える。
怖い。怖いに決まっている。雪さんがあの化け物になるなんて。
だけど。
(雪さんを化け物にさせてたまるか)
顔を上げた。
「わかりました」
「シンデレラ…」
「雪さんを正規ルートに戻す方法を考えます。妖精さんも協力してくれますよね?」
妖精さんは少し目を細めてから、静かに頷いた。
「もちろんよ」
夜道を歩きながら、私はぐっと手を握りしめた。
怖い気持ちは、まだある。じわじわと、足元から這い上がってくるような怖さがある。
だけど今は、それより大事な事がある。
(絶対に、雪さんを守る)
星空の下、私は一人で歩き続けた。
ん……ちょっと待って。ということは私も――




