雪さんの出発
「そんな……記憶を失うって!」
妖精さんからそう聞いた時、私はしばらく言葉が出なかった。
「正規ルートに戻れば、ルートから外れていた間の記憶は消えるの。魔法少女だったこと、魔法を使えたこと……そして」
妖精さんは申し訳なさそうな顔を浮かべて、少し間を置いた。
「関わった人間の記憶も」
雪さんは無言だった。腕を組んで、窓の外を見ている。表情は変わらない。でも、指先が少しだけ強く腕に食い込んでいた。
(雪さん……)
「……ドワーフ達の記憶は?」
「彼等は正規ルートの存在だから、消えないわ」
「そう」
それだけ言って、雪さんは黙った。
私も何も言えなかった。
雪さんが私のことを忘れる。魔法少女だったことも、一緒に練習したことも、キッチンで笑ったことも、全部消える。
「シンデレラ」
雪さんが私を見た。
「なに残念そうな顔してるのよ。別にいいでしょ、私の記憶なんだから」
「……雪さん」
「泣きそうな顔しないで。みっともない」
「泣いてませんよ!」
私は思わずツッコんでしまう。すると、雪さんの口角は少し上がった気がした。
「決めたわ。やる」
「……はい」
「後悔しないから。あなた達とはお別れね」
それだけ言って、雪さんは立ち上がった。
※※※※
翌日――森の外れ。
私は草むらに身を潜めて、じっと様子を伺っていた。雪さんは木の切り株に腰かけてある人物を待っている。腕を組んで、いつも通りの無表情だ。
しばらくして、森の奥から足音が聞こえてきた。
現れたのは腰の曲がった老婆。大きな籠を抱えていて、中には真っ赤なリンゴが山盛りになっている。
老婆は雪さんの姿を見るなり、盛大にため息をついた。
「……はあ」
(開口一番ため息って……)
「今日も来たわよ」
「見れば分かるわ」
「……今日はどう?」
「どうって何が?」
「リンゴよ、リンゴ。食べる気になった?」
雪さんはじっとリンゴを見つめる。
「……気持ち悪い」
老婆は疲れ果てた顔で俯いた。もはや驚きもしない。これまでもこんなやりとりが何度も続いていたのだろうと、私は思わずため息をついた。
(この老婆、完全に諦めてるのね……というか、毒リンゴ以外の選択肢は無かったの?)
老婆はリンゴを一個取り出して、差し出す。完全に義務感だけでやっているように、気だるそうに。
「美味しいよ〜……」
「……」
「ですよね」
(ですよね、じゃないでしょ!)
老婆はリンゴを籠に戻した。それからよっこいしょと腰を伸ばして、帰ろうとする。
「待って」
老婆が振り返ると、雪さんが立ち上がっていた。
「……今日、もらうわ」
老婆の動きはピタリと固まる。
「……は?」
「だから、もらうって言ってるの」
「……ですよね」
「ですよね、じゃないでしょ。お一つ貰えるかしら?」
「いや、だって……え?本当に?」
老婆は震える手でリンゴを差し出した。雪さんが手が伸ばし、豪快に鷲掴みにして受け取った。私は草むらの中で息を呑む。
「……え、受け取った。受け取った!?」
老婆は目を見開き心の声を大にして口に出した。
雪さんはリンゴをじっと見つめる。老婆も、草むらの中から見ている私も固唾をのんで雪さんの顔を伺う。
「……っ」
雪さんは目を閉じて――リンゴに齧りついた。
「食べたあああ!!」
老婆がガッツポーズを決めながら叫んだ。
(喜びすぎ……私も嬉しいけど)
雪さんはゆっくりと目を閉じて、膝から崩れ落ちる。私は草むらから飛び出して駆け寄ろうとしたけど、老婆が先に身体を支えた。
「……長かった……ついに……ついに!」
老婆はそう呟きながら、雪さんをそっと地面に横たえた。その時、老婆の姿がゆっくりと変わっていく。腰が伸びて、しわが消えて、若い女性の姿が顕になる。確か――正体は継母の女王さんなんだっけ?
女王は雪さんが完全に意識を失っているのを確認すると、満足げにスキップを踏みながら去っていった。私は背中が見えなくなるのを確認してから、眠る雪さんの傍に駆け寄った。
白い肌。長い黒髪。整った顔立ち。
(綺麗だな。私なんかより余っ程)
その後ドワーフ達を呼びに行き、皆で雪さんを運んだ。私と違って彼らはこの先の展開を知らない。雪さんが本当に死んだと思って大泣きしている。
※※※※
数日後、私はいつものようにドワーフ達に挨拶をして、家にお邪魔させてもらっている。理由は王子様が迎えに来るのを見届けたいから。
雪さんは仮死状態のまま外で寝かされており、豪勢な棺には綺麗な花がたくさん添えられ、ミミとマロンは傍らで相変わらず大泣きしている。
すると、何やら森の奥から小枝や落葉を踏み鳴らす気配があった。
(もしかしてついに王子様が!?)
私が家の窓からそーっと覗くと、紫色の影が揺れていた。
―マジックイーター!?
一体じゃない。二体、三体。
(無防備な雪さんを狙ってる!?こんな時に……)
私はガラスの靴を鞄から取り出して両足にはめ、右足を三回叩いた。虹色の光に包まれ、ピンクのミニスカートドレスへと変身する。
「雪さんには指一本触れさせない!」
三体が一斉に光線を放ってきた。
「っ!」
咄嗟に横に跳んで一発を避け、残り二発は炎で相殺した。
―聖者ノ炎!
一体目に直撃させる。ひるんだ隙に二体目に炎を放つ。
だが三体目が雪さんの方に向かっていった。
「させない!!」
―聖者ノ炎!!
渾身の炎が三体目を直撃した。内側から光が溢れ出し、灰になって消えた。残りの二体も続けて仕留める。
息が上がっている。膝が笑っている。
でも、雪さんの傍には近づけさせなかった。
(よかった。まさか正規ルートに戻ってもマジックイーターが狙いに来るだなんて……全く油断できないな)
私は雪さんの隣に戻って、膝をついた。
「大丈夫ですよ。ちゃんと守りますから」
雪さんは眠ったまま。いつものような軽口もない。
それから何日ほど経ったか数えられなくなった頃。森の奥から、馬の蹄の音が聞こえてきた。
※※※※
現れたのは若い王子だった。
白馬に乗って、凛とした顔で雪さんとドワーフ達を見下ろす。それから馬から降りて、静かに膝をついた。
私は少し離れた木の陰に身を潜める。
王子は眠る雪さんの顔をしばらく見つめてから、そっとキスをした。
しんと静まり返った森に、鳥の声だけが響いている。
しばらくして、雪さんの指先が動いた。
瞼がゆっくりと開き、王子と視線を合わせる。
雪さんは起き上がり、王子の手を取った。二人で立ち上がる。王子が何か言って、雪さんが小さく頷いた。
―イケメンの手は平気なんだ……
そう思いつつも、なんだか視界が霞んできた。雪さんよかったね。
すると、不意に雪さんが振り返り、
木の陰に隠れて泣いてる私と――目が合った。
(雪さん……)
こちらを見た雪さんは口角を上げて一瞬だけ、片目を閉じた。
ウィンク?
―雪さん、まさか記憶が!?いや、そんな筈は
雪さんは王子の手を取って、森の奥へと歩いていく。黒髪が木漏れ日に揺れて、やがて姿は見えなくなった。




