34 迷宮記録よりふかふかベッド
午後になり、探索者協会の前でシエルと合流した。
「さて、シエルちゃん。私の求める最高級ふかふかベッド、売っている店に目星はついているの?」
「そうですね。まずは無難に、品揃えの多い大手家具屋から当たってみましょう。こちらです」
シエルの案内に従い、大通りを外れて脇道へと入る。 見覚えのある道だ。確か、例の喫茶店『最凶』がある通りだった。何気なくその店に目を向けると、看板がとんでもないものに書き換わっていた。
『包丁とんとんとん~料理超たのしいな。あはは~』
「…………」
私は無言で視線を逸らし、見て見ぬふりをした。 あの包丁を振るいすぎた代償が、あんな凄惨な(あるいは愉快な)形となって表れている。その原因の一端が自分にあることは、この際棚に上げておくことにした。
隣を歩くシエルが、不思議そうにその看板を見上げる。
「あのお店、なんだか変な名前に変わりましたね」
「……そうね」
私はそれだけ答えると、歩く速度を少しだけ上げた。
脇道に入り、数本の路地を曲がった先。
「ここです、ここ!」
看板受付嬢が指差した先には、三階建ての立派な構えの店舗があった。 奥には広々とした作業場が併設されており、シエルの話によれば、大抵の家具ならここで揃わないものはないらしい。新品から手頃な中古品まで価格帯も幅広く、時間と金さえ惜しまなければ、一点物のオーダーメイドも可能とのことだ。
「なるほどね。……さて、入りましょうか」
私はシエルを伴い、正面に据えられた木製の両開きの扉を押し開け、中へと足を踏み入れた。
中に入ると、外の喧騒が嘘のような、ゆったりとした空間が広がっていた。 店内は、最新作や季節の推奨品を中心にレイアウトされている。大型のテーブルやソファがゆとりを持って配置されており、まるで一軒の邸宅に招かれたかのような、落ち着いた住空間が演出されていた。
(いいわね。部屋ごと買い取ってしまいたくなるような見せ方だわ)
自分の雑貨屋でも、こうした『探索者用のセット売り』のような商売の形を取り入れようか。そんな風に商売のヒントを得ていると、店の奥から足音が近づいてきた。
「おや、シエルちゃんじゃないか。珍しいね、こんな時間に」
現れたのは、この店の店主らしき小ざっぱりとした身なりの女性だった。
「お久しぶりです、マルタさん」 シエルが親しげに挨拶を交わす。 この店主、マルタという名の女性らしい。
「実は、隣にいる彼女が高級なベッドを探していまして……」
「高級な『ふかふか』ベッドよ」
そこだけは譲れないポイントだ。私は即座に、かつ明確に訂正を入れた。 マルタはこちらをじっと見つめ、客としての質を測るように目を細める。
「こんにちは。ええと……」
「クシナよ」
「クシナさん、ですね。それで、具体的にはどういった『ふかふか』がお望みかな?」
マルタの問いに、私は淀みなく言い切った。
「伯爵の家にあるようなやつがいいわね。いくらするかは知らないけれど、金に糸目を付けるつもりはないわ」
「もう少し具体的に聞いてもいいかね?」
マルタの促しに、私は一度思考を巡らせた。あの感触をどう言葉にすれば伝わるだろうか。
「そうね……。体を預けた瞬間、ベッドに吸い込まれるような心地よさだったわ。素材までは分からないけれど、とにかく高級そうな感じだったわ。圧迫感がなくて、寝返りを打っても体全体に負担がかかるような印象が全くないの。気づけば眠りに落ちていて、夢を見る暇もないほど深い眠りだった。あれは、一種の『悪魔のベッド』ね。目覚めた時に体の痛いところもなく、気分は最高に爽快だったわ」
私は自らの体験を熱っぽく語った。あの一夜の感動を思い出すだけで、また瞼が重くなってきそうだ。
「あはは、クシナさん。まるで本当に伯爵邸で寝てきたかのような語り口ですね」
シエルが場を和ませるように笑う。
「ええ、そうよ。実際に宿泊して使った感想だもの」
「え……?」
シエルが石のように固まった。そんな彼女を余所に、マルタは顎に手を当てて考え込む。
「ふむ、なるほど。伯爵邸の来賓室用として納めている逸品かもしれんな。それなら私のところで発注を受けることが可能だよ」
「ナイスね! それじゃお願いしたいんだけど、できるかしら? サイズはキングサイズで!」
私の景気のいい注文に、マルタは満足げに口角を上げた。
「ああ、わかった。見積書を取ってくるよ」
マルタは仕事場のある奥へと歩いて消えていった。
「シエルちゃん、ありがとう。あなたのおかげで……」
礼を言おうとした、その時だった。
「クシナさん、ずるいです! 私も伯爵邸に泊まりたかったです! なんで呼んでくれないんですか!」
看板受付嬢は、子供のように両腕をぶんぶん振り回して抗議してきた。 この子、だんだん私に対して遠慮がなくなってきていないだろうか。まあ、見ていて面白いから構わないのだけれど。
「はいはい、わかったから。今度一緒に行きましょう」
「絶対ですよ! でも、そんな安請け合いして大丈夫なんですか?」
「たぶん大丈夫よ。あそこには、なぜか私を崇めている大ファンがいるから」
私がさらりと答えると、シエルは理解が追いつかないといった様子で、不思議そうに首をかしげていた。
そうしているうちに、マルタが見積書を手に戻ってきた。
「済まないね。伯爵様に納めているものと同じ素材を揃えて一から仕立てるとなると、三週間はかかるが……構わないかい?」
「ええ、構わないわ。それくらいの手間は当然でしょうし」
私はただの美少女ではない。良質な品のためなら、優雅に待つ余裕さえ持ち合わせている美少女なのだ。
「それで、キングサイズとなると……そうだね。金貨三百枚になるが、いいかな?」
「ええ、もちろんいいわ。白金貨でもいいかしら?」
金貨を三百枚もジャラジャラと数えながら出すのは、スマートではないし何より面倒だ。私の提案に、マルタは少し驚いたように眉を上げたが、すぐに頷いた。
「ふむ、問題ない。助かるよ」
私は白金貨を三枚差し出し、代わりに控えの書類を受け取った。
「では、完成次第、直接クシナさんの店へ届けることにしよう」
「ええ、分かったわ。よろしく頼むわね」
私は足取りも軽く、家具屋を後にした。 三週間後には、あの「悪魔の寝心地」が自分のものになる。想像するだけで、つい顔が綻んでしまうのを止められなかった。
「さて、シエルちゃん。今日は本当に助かったわ。お礼にいくら包めばいいかしら?」
正直なところ、白金貨単位で要求されたら流石に渋るが、常識的な範囲であれば金貨数枚程度、快く支払うつもりだった。
「ああ、そのことですか。金貨はいらないですよ。代わりに伯爵邸の宿泊チケット、約束しましたからね!」
看板受付嬢は、そう言って上機嫌に笑った。
現金なところもあるが、物分かりが良いのは助かる。今日は本当に良い日だ。念願の品は手に入ったし、信頼できる家具屋とも縁ができた。
夕闇が街を包み始め、そろそろシエルと別れようとした、その時だった。 彼女がふと思い出したように、足を止めて私を見た。
「ところで、クシナさん」
「え? なにかしら」
「あのキングサイズのベッド……クシナさんの店に入るんですか?」
――あ。
あまりに、あまりに鋭い指摘だった。




