四話 蕎麦屋
さゆたちと惣太郎は行きつけの蕎麦屋である「しろべえ」の前に立つ。
この蕎麦屋は竜の兄弟を差別しない、唯一の店だった。
店主も気前が良く、何よりも蕎麦が美味い。そのため、さゆもトモシも惣太郎もこの店が好きだった。
しかし、竜の兄弟がいるとかいう理由で客は来ない。そのため常に閑古鳥が鳴いているのだが。
席に着くや否や、惣太郎は天ぷら蕎麦一つと叫んだ。さゆは山菜蕎麦と狐蕎麦を頼んだ。
「さゆは仕事終わりで、惣太郎殿は道場巡り後って感じかい?」
惣太郎は店主の言葉に、顔を上げて頷いた。その直後、鍋から天ぷらの揚がる音がした。
しばらくして店主はさゆたちに蕎麦を運ぶ。運びながら、彼は言った。
「そういや、竜の兄弟だけの集団を作るって言っていた男が、役人と言い争いになったらしいな。もしできれば凄いことになるだろうよ」
「それは悪人にとって最悪の知らせだな。竜の兄弟に敵う人間なんていないだろ」
惣太郎は天ぷらを齧ると言った。さゆは顔を上げる。トモシもお椀から顔を離した。
「参加したいです! 私たち、大物になるんですから!」
さゆは勢いよく立ち上がった。
「まぁまぁ落ち着きな、さゆ。幕府からの許可が降りないそうだぞ」
店主に宥められ、さゆは静かに座る。惣太郎がこちらを見ているのが視界に入り、さゆは思わず顔を赤く染めた。店主は惣太郎を見る。
「アンタは次の隊士募集で、浪士隊に応募すんだって? 受かるといいな。頑張れよ」
惣太郎は頷いた。浪士隊とは、〈神国〉の警察組織である。緋色の羽織を着て活動することが多く、彼らの強さに憧れて入隊する若者が跡を絶たない。
さゆも隊士募集に行こうと思っている。ただどこかで、竜の兄弟だから選ばれないだろう、とは思っていた。
平気で差別をしてくるような組織なんてこっちから願い下げだ、とも思っているが。
「にしても、何かが動く予感がする話だな」
惣太郎は店主に言った。店主は頷いた。
すると、店の外で人影が動いた。店主は顔を上げる。さゆは蕎麦を啜りながら、外に耳を欹てた。
――ここなら竜の兄弟でも入れるらしいが……。できたての蕎麦、一回は食べたいだろう?
――マイは別にそんなことないけど。……そんなに蕎麦が食べたいの? ただ、入店拒否はどうにもならない。
――でも一昨日あたり、竜とその兄弟が入っていくの見たんだよ。
――なら入って確認すればいい。この時間が無駄。追い出されたらその時はその時。
男と女の声だった。トモシが顔を上げ、暖簾に近付いた。
それと同時に暖簾を掻き分けて、男女が入ってきた。男は栗色の癖毛が特徴的な、たくましい体つきの男だった。女の方は黒い短髪で、赤色の目を持っていた。その目はどこか涼しげである。
トモシは急に入った彼らを見て飛び上がると、素早くさゆと惣太郎の間に入った。
男はトモシを見た。
「おや、こんにちは。立派な翼だなあ」
女は頷いた。すると惣太郎が勢いよく立ち上がった。
「分かりますか! トモシの翼が!」
興奮冷めやらぬ様子にトモシは若干鬱陶しそうにしつつも、どこか嬉しそうだった。さゆは男を見た。
「いらっしゃい」
店主が言うと、男は弾かれたように言った。
「天麩羅蕎麦一つお願いします」
「じゃあマイは鴨蕎麦で」
店主は頷くと、厨房に入っていった。さゆは男たちを見る。
入るの躊躇ってましたよね、とさゆが言うと、男は罰が悪そうに笑った。
「ああ、今までこういう店に入ったことなくてな。ついつい躊躇ってしまった。申し訳ない……」
男は申し訳なさそうに言うと、さゆを見た。そうだろう、と奥から満足げな声が聞こえてきた。
「感謝はさゆとトモシにしな。彼女たちのおかげだよ」
さゆとトモシは手(トモシは翼)を挙げた。私がさゆです、とさゆは言いながら男たちを見る。
「俺も二人のおかげで偏見が無くなったんですよ」
惣太郎は自慢げに言った。男はへえと言うと、顎を触る。女はさゆとトモシを見た。
食べ終わったさゆたちを見送ると、宗久たちの前に蕎麦が置かれた。
「何だか不思議な感じ。店に入ったら普通に頼んだ物が来る、不思議ね。宗久」
それが当たり前だと言いながら、宗久は影を見た。影から黒い獣が飛び出す。影の正体は巨大な唐獅子だった。竜の爪と金色の目をしている。獅子は宗久を見る。宗久は頼んでいた蕎麦を獅子に見せると、食べるぞと言った。
その横では藍色の毛を持つ六本足の馬が出てきた。その頭には三日月型の赤い角が生えていた。
獅子は不思議そうに椀を見ると、顔を突っ込んだ。馬はその横で慣れたように蕎麦を頬張っている。
「お蕎麦食べるの初めて。宗久は?」
「俺は二度目だな。まぁでも。初めての蕎麦はかけ蕎麦のくせに冷めて伸び切ってたから、温かいかけ蕎麦は初めてだ。うん、汁が濃くて旨いな。天ぷらも香ばしいし」
宗久の言葉に店主は思わずありがとよと叫んだ。宗久は頭を下げる。
「そういや、さゆとは話したんですか?」
店主は宗久たちに話しかける。
「さゆ?……あぁ、あの赤髪の女の子ですか?」
マイの言葉に店主は頷いた。後で聞くつもりだったのに、とマイが小さく呟く声が、宗久には聞こえた。
「あの子、面白いでしょう?」
まるで親のような口調に、宗久は微笑みながら頷いた。
「そうですね。芯の強そうな子だと思いましたよ」
「そうでしょう。あの子、よく色んな店の店主と口喧嘩してるんです。まぁ原因は店主の方にあることが多いんですがね。……さゆっていう子は、大人にも怯まないし、真っ直ぐなんです」
マイは店主を見ると、汁を啜る。
「もしも、竜の兄弟だけの浪士隊を作るなら。彼女たちを入れて損はないと思いますよ」
店主は宗久に微笑む。宗久は賄賂に釣られない、とマイは不満そうに天ぷらを齧った。宗久は苦笑した。
先日、宗久は役人と言い争いをした。きっかけは宗久が提出した紙を目の前で破られたことだった。その言い争いをおそらくこの店主は見ていたのだろう。
「賄賂も何もなくても、彼女たちのような者はどの集団にも必要だ」
宗久は言いながら店主を見る。
「大人に怯まない点がいい。子供にしか分からない視点を伝えてくれるから」
宗久は蕎麦を啜った。店主は微笑む。
「あの子はね。昔からずっと、『大物になる』ことを目指してるんですよ。自分たちを虐めた大人を見返してやるって。トモシと二人で道場破りに何度も行ったそうです。……門前払いを食らいそうになっても、負けるのが怖いのかと怒鳴ったりして、何とか試合してもらったとか」
「宗久みたいな子。宗久も煽ったりして試合してた」
マイの言葉に宗久は苦笑した。
「お前も一緒になってやってただろう。マイの煽りもなかなか凄かったぞ」
「マイだけじゃなかったわ。矩幸やカガシも一緒だった」
マイは空になった器を見る。
「さゆ」という名の少女と関わった者たちは、どうやら竜の兄弟に対して、一般とは違う視点を持つようだった。
不思議な子だと思う。年相応に笑い、喧嘩もするが、彼女はどこか大人びていた。話し方や振る舞いも堂々としている。
「何だ、気になったのか。彼女たちが」
マイはそうかもと呟いた。宗久は空になった器を置くと、外を見た。店主は器を受け取る。宗久は金を払い、マイたちを見た。
「あ、飴、買い忘れた」
袋を見ながら呟くマイに、宗久は買ってこいと言葉をかける。
そこで宗久たちは、何やら外が騒がしいことに気が付いた。
焦げた臭いが鼻をつく。
「……何の臭いだと思う?」
宗久はマイに問う。マイは黙って顔を上げた。
視界に入ってきたのは、真っ黒な煙だった。
名前 乃木宗久
年齢 24
得意なこと 料理、裁縫
好きな食べ物 出汁の効いた卵焼き
ミニエピソード及び補足
丁髷を結おうとしたが髪のクセが強すぎて失敗しまくったせいで、一時期坊主頭だった。