三話 溢れたもの
さゆは店の前を歩く家族を見ながら、息を吐いた。すると遠くからこちらに向かう人影が視界に入る。
また来たのか。さゆは思った。
今は話したくない。道場巡りした話なんて聞きたくない。放っておいてほしい。
さゆは惣太郎を睨みつけた。
「さゆ! トモシ!……ってどうしたんだ? 何か苦しそうだぞ」
惣太郎はさゆに話しかける。
さゆは黙った。
竜の兄弟だからと疫病神扱いされる度に、さゆは胸の中が重くなるのを感じていた。そんな大人たちに反抗するだけの度胸はあるが、どこかで傷ついている自分がいる。
溜まっていく重みも痛みも、さゆはどうすることもできないでいた。
そんな中で、お手玉を壊された。大人なんて、と思っている自分がいる。
「何でもないです」
さゆは素っ気なく言う。惣太郎はさゆを見た。
「さゆ、これやるよ」
惣太郎は言いながら、さゆに袋を渡した。その袋を開けると、中には三つの色鮮やかなお手玉が入っていた。
「この前、店の前でお手玉遊びやってただろ? 好きなのかなって」
「……何で」
さゆは呆然としたように呟いた。トモシは目を輝かせると、さゆと惣太郎の周りをぐるぐると走り始めた。
「……返します」
さゆはお手玉を惣太郎に押し付けると、箒を動かそうとした。すると惣太郎は、あっち行けと言われた犬のような表情をした。さゆは惣太郎を気まずそうに見た。
「……気持ちはありがたいんですけど……」
受け取っても受け取らなくても悲しそうな顔をするだろうな、とさゆは思った。というか、年上のくせに何であんな犬のような表情をするのか。
「何か……あったのか?」
静かな声だった。さゆは顔を上げると、関係ないでしょう、と言った。言ってから八つ当たりだと気づき、すいません、と気まずそうに頭を下げる。トモシは不安そうにさゆを見た。
惣太郎はさゆの頭を強く撫でると、言った。
「まだお前十二歳だろ? 八つ当たりするの普通だって」
さゆは惣太郎を見た。
「……何で……構うんですか」
惣太郎はさゆを見た。さゆは吐き捨てるように言った。
「私、傷物なんですよ。背中に大きな火傷あるんです。気持ち悪いでしょう? みんな言うんです。気持ち悪い、あっち行け、こっち来るな。……何で近づくんですか、何でいつも話しかけてくるんですか! どんな気持ちで……貴方は私と話してるんですか……!」
惣太郎は目を見開く。さゆは箒を握りしめた。
「大人なんてみんな、竜の兄弟だから、傷物だから関わりたくないんでしょう! 嫌うんでしょう! だったら私も嫌ってやる! みんなみんな大っ嫌い!」
惣太郎は息を吸うと、さゆの頬を優しく触った。
「俺も最初はそうだったよ。お前のこと、竜の兄弟かって思ってた。……でもすぐに、そんな自分が嫌になった。大っ嫌いになった。……だって、お前たちのこと見ちまったんだもん」
さゆは惣太郎を見た。
「真っ直ぐに生きてるから。……俺、今まで甘ったれて生きてた。親に愛されてさ、ただ寝てるだけでも食っていけんだもん。……そんな俺がお前たちと同じ環境で育ったら、俺、きっとひん曲がってたと思う」
何かを言おうとしたさゆ。しかし、次の言葉で言葉は消えてしまった。
「でもお前たちは違うんだ。常に前見てんだ。初めて見たんだ、あんな力強い目。それに気がついたらさ、もう目が離せなくなっちまって。気がつくと、ずっと見ちまってる」
照れ臭そうに惣太郎は言った。
「お前たちを見てるとさ、自分が凄く恥ずかしくなってくるんだ。でもその恥が俺を確かに変えてくれた。俺の背中を押してくれた。お前たちが俺を変えてくれた。俺はそんなお前たちの近くにいる時が、一番幸せなんだ」
惣太郎はさゆを抱きしめた。
「なあ、聞かせてくれよ。お前たちが感じたこと。思ったこと。俺、お前たちの言葉を聞きたいんだ。俺の我儘だけど、でも俺……お前たちと出会って良かったと思ってるから。だから、このままで終わりたくないんだよ」
気がつくと、群青色の眼は涙で濡れていた。
さゆは泣きながら言った。
「ずっと羨ましかったんだ。家族で笑い合う光景が。とどはどこかにいなくなって、たぶんもう死んでる。私には分かる。……だから関係ないのに。もう届かないのに。羨ましいと思う気持ちは止めれない」
さゆは俯く。彼の着物を涙が濡らした。
「竜の兄弟だからって、仲間はずれにされるの嫌だよ。馬鹿にされるのも、やってないことで責められるのも、疫病神扱いされるのも、全部全部嫌だ。言い返すからって、何言っても傷つかない訳じゃないのに」
惣太郎はさゆの背中を優しく撫でる。
「……ずっと昔、お金が珍しく余ったの。だから私、お手玉三つ買った。でも昨日、そのお手玉が燃やされた。ボロボロにされた。……こんなのにも耐えなきゃいけないの、もう嫌だ……!」
さゆはしゃくりあげながら言った。
「でも誰にも言えない。苦しいところを見せれば足元掬われるんだもん……!」
トモシはさゆを見ると、頷いた。
竜の兄弟だから、それだけの理由で差別される。まだ十二の子供が。
そんな重い現実。十二歳の少女が背負うにはあまりにも重すぎる。
トモシはずっと横で、自分の兄弟が傷つく様を見つめていた。彼女を傷つける大人が許せなかった。飛べないのにと馬鹿にされるよりもずっと、激しい怒りを感じた。
彼女の青色の目には無数の涙が隠れている。
そんな事実に誰も気がつかないことに、トモシは怒りすら感じていた。
けれども――この惣太郎とかいう男はどうやら違うようだった。
「言ってくれてありがとな。それと、今まで助けてやれなくてごめん。何もできなくて、本当にごめん」
惣太郎の体は震えていた。トモシは恐る恐る彼を見る。惣太郎の顔は涙で濡れていた。
トモシはさゆの着物を優しく引っ張った。
「……何で、貴方まで泣いてるんですか……」
「友達が傷ついてるって聞いて、苦しまねえ奴なんかいるかよ……!」
惣太郎の声に、さゆの緊張がついに切れた。
しばらく泣きあった後、さゆは言った。
「……こんなこと、初めてなんです。だから……友達で終わりたくないです……」
惣太郎はさゆを見た。そして、腰に巻いていた瓢箪を開けると、さゆを見た。
「義兄弟の契りって知ってるか?」
さゆは惣太郎を見ると頷き、手を出した。盃はないけど、とさゆは涙を拭いながら笑う。
惣太郎は右手に、さゆは両手に瓢箪の水を入れた。
「今日から兄弟だな、俺たち」
さゆは頷くと、互いに軽く手を当てて水を飲み干した。左手の水はトモシが飲む。
人間たちは赤く腫らした目元で互いを見つめた。惣太郎は満足そうに笑った。
「ようやく俺のことちゃんと見てくれたじゃん。羨ましいくらいに真っ直ぐな目えしやがって」
さゆは困ったように笑った。
「さっき曲がったこと言いましたけどね」
「ばっか。あれは立ち止まっただけだ。立ち止まって、もう一度まっすぐ歩き出したんだよ、それって凄いことなんだぜ」
さゆは涙をもう一度拭うと、惣太郎を見る。
「なんだか、胸が軽くなった気がします。……ありがとう、ございます」
礼は良いよ、と惣太郎は笑う。
「お手玉はさ。しばらくは俺が持っとくよ。で、顔合わせた時に遊ぼうぜ。……ところでさ、お前の夢って何? 俺はお前たちみたいになること、だな」
さゆは迷うことなく言った。
「トモシと一緒に、歴史に残る大物になること、です」
惣太郎はそれを聞いて満足そうに頷き、さゆに拳を突き出した。
さゆとトモシは迷うことなく、惣太郎の拳に自分の拳(トモシは翼の先)を当てた。
名前 伊勢惣太郎
年齢 18
得意なこと けん玉
好きな食べ物 さゆたちと食べる蕎麦
ミニエピソード及び補足
寺子屋で先生をやっていたことがあるため、教えるのは得意。結構有名な家の出身だが、三男なために家は継げない。