一話 「とど」との出会いと別れ
――火は人に恵みをもたらすものであり、炎は人に害をなすもの。
そんな一文を読んだのはいつだったか。男はもう思い出せなくなっていた。
もしそれを正しいとするならば、この町を焼いたのは炎ということになるだろう。
男は黒く焦げた大地を歩く。最初に視界に入ったのは、大きな竜の死体であった。
しかし、その竜はまだ生きていた。
男を見ると竜は彼に向かって飛びかかる。男は息を吐くと、薙刀をその首に突き刺した。
竜は音を立てて倒れ、そのまま動かなくなった。
少し歩くと、もう一つ竜の死体があった。近づくと、翼の生えた蛇によく似ているその竜は既に息絶えていた。そうでなければ困る、と男は思った。また襲われても堪らない上に、彼を殺したのは紛れもない男自身である。殺す時はすぐに終わらせる、という信条に反した行動を取る気はない。相手が竜であるなら尚更だ。
人を殺すよりも竜を殺す方が辛く感じた。
人よりも遥かに高位な存在である「竜」という種族は、かつて人に火をもたらした。その竜たちに仕えるために、男は生きているようなものだった。
その一方で、狂った竜を殺すのも男の役目であった。人に牙を向け、その五行の力を向ける竜は、役目を放棄したということで殺すことになっていた。竜の王がそう決めた。
守るべきものを殺すというのは、気持ちのいい行為ではない。
すると、男の前に一頭の竜が現れた。真っ赤な鱗に覆われた、大きな翼と二本の角を持つ竜である。
竜はその辰砂のような目を向ける。男もまた、同じ目を竜に向けた。
「何かあったのか、エンム」
エンム、と呼ばれた竜は顔を上げると、頷いた。
男はエンムに促されるまま、焼け野原を歩く。
狂った竜たちによって焦土と化した大地は、歩く度に焦げた臭いがした。理性を失い、涎を垂らしながら暴れ、家や人を焼き、壊していく竜は、悪鬼に取り憑かれたようにしか見えなかった。
エンムは立ち止まる。
彼の前にいたのは、竜の死体の前で眠る少女と子竜であった。竜の死体をよく見ると、その長い首には包丁が深く刺さっている。翼は一本がへし折られ、黒く焦げていた。
まさか――この子供たちが?
男は少女の体を揺すった。すると子竜が目を覚まし、男たちの前に翼を鳴らしながら立った。小さな体だが、その口内には赤い炎が見えた。
男は首を横に振ると、少女から手を離した。
すると次はエンムが不満そうな顔をした。エンムは男の着物を引っ張ると、ぐるる、と低く唸る。男は眉を顰めた。
「えか、エンム。この子はいずれ死ぬんせ。助けようなどと考えんじゃねげ」
男は訛った口調で囃し立てた。しかし、エンムは引かない。何か言いたげな目で男を見つめている。
男は深く息を吐いた。こうなるとエンムは押しても引いても動かない。
この国に孤児が何人いると思っているのだろう。その孤児一人一人を助けることなどできやしない。ましてや、今回の一件で親を失った子は他にも吐き捨てるほどいる。
すると、少女がゆっくりと起き上がった。
青い宝玉のような目に、視線が吸い込まれる気がした。
その左目の下には、真っ赤に染まった傷が刻まれている。雪の結晶のようにも見えるその傷は、紛れもなく奴婢の証であった。
男は少女を見た。
「主人は?」
「わかんない……でも、あのおやしきに……」
舌足らずな言葉を聞きながら、男は少女の示す方を見た。
屋敷など見当たらない。あるのは、黒く焼けた瓦礫だけだ。
男は少女を見た。体は痩せ細っており、まるで枯れ枝のようだった。ほぼ裸同然の着物は寒いのだろう。体をずっと震わせている。
奴婢を盗むのは重罪であり、場合によっては斬首ものだ。
主人が死んだならば、その子供に奴婢も遺産として引き渡さなければならない。
分かってはいる。分かってはいるのだが。
竜のキョウダイとなった娘を、いくら奴婢とはいえ引き取る者がいるとは思えなかった。
男は息を吸う。
「僕はアサヒ。彼は僕のキョウダイのエンム。君は?」
少女は顔を上げた。
「なまえない。けど、あのこはトモシ……」
アサヒは少女に手を伸ばした。少女が抗う様子はない。抱き上げ、布がかかっていない背中に手を伸ばす。
明らかに人肌の感触ではないその感触を怪訝に思い、アサヒは少女の背中を見た。大きな火傷がその背中に刻まれている。
「いたくねか?」
「たまに、いたくなるの」
「今は?」
少女は首を横に振る。男は安堵の息を吐いた。
「一緒に、来るか?」
少女は小さく頷いた。
「さゆ」
アサヒは呟く。少女は瞬いた。
「これから、君はさゆだ」
さゆは、さゆ、と何度も呟いた。アサヒはその度に頷いた。
「わたしは、さゆ」
アサヒは最後に強く頷いた。
それから四年が経った冬の日。十二になったさゆは、慣れたように淡々と屋敷の中を歩いていた。
四年前と比べ、背丈は大きく伸び、肉つきもかなり良くなっていた。血色も悪くない。赤い髪は長く伸びていたが、綺麗に切り揃えられ、そして一つに結ばれていた。
しかし、頬の傷は今でも大きく残っている。
さゆの横ではトモシが歩いていた。
猟犬ほどの大きさとなったトモシは、顔が鋭くなっており、鱗も昔に比べて固くなっている。後ろ足も太くなった。
しかし、翼は今でも縮れたままで、左の角が欠けているのも変わっていない。
彼女たちは凛々しく育った。武士らしい顔立ちになっており、その目には力強い光が篭るようになった。
さゆは屋敷の庭に出る。小さな庭である。一本の松が植えられているが、それ以外に木は無かった。朝から降り始めた雪は、地面に薄く広がり、鳥の足跡を浮かび上がらせている。
さゆは白い息を吐き、手を軽く擦った。
この国の冬は驚くほど寒い、と何度も繰り返して言っていた父親の顔が、脳裏に浮かんだ。
アサヒ、エンム。それがさゆたちの父親の名前だった。エンムは竜である。
父は優しい人だった。
奴婢だったさゆに、初めて愛情を注いでくれた人だ。色んな話をしてくれた。色んなことを教えてくれた。たくさん抱きしめてくれた。何度も微笑んでくれた。
「とど……」
さゆは松の下に立つ。土が僅かに盛り上がり、アサヒとエンム、と書かれた札が刺さった場所を見た。とど、とは北の地方で使われる「父親」を表す言葉だった。
アサヒもエンムも、一年前に死んだ。
狩猟大会、と呼ばれた催しによって惨殺された。
竜のキョウダイと呼ばれる者たちに賞金を掛け、殺していくというものである。当然、その牙は該当者であるさゆやアサヒにも向けられた。
竜のキョウダイは家族などを盾にされた挙げ句、処刑場に引き出されて咎人の如く殺された。
アサヒもまた、さゆたちを守るため、エンムと共に処刑されたのだ。
死体はアサヒの友人が奪還し、この屋敷へと持ってきた。そして、ひっそりと庭に埋められた。
さゆは墓を見る。墓石は無いちっぽけな墓を。
少し出かけるからと、さゆたちをこの屋敷に預け、エンムと共に出ていった父親。
「帰ってこないかもしれんけど、捨てた訳じゃねげ」
その言葉が父の遺言となった。
父親は三日経っても帰ってこなかった。もしかして捨てられたのではないか。不安になり始めたさゆの前に、アサヒとエンムの死体が届けられた。守れなかった、申し訳ない、と男が畳に頭を擦り付けて、何度もさゆに土下座した。
さゆは死体を見て、静かに安堵したのだった。
捨てられた訳じゃなかった。
そんな気持ちを抱いた自分が憎く感じ、さゆは父親の死を未だに泣くことができずにいる。
それどころか、泣く資格はないのだと思っている。
名前 アサヒ
年齢 享年29
趣味 特になし→娘たちと遊ぶこと
目の宝玉 辰砂
ミニエピソードまたは補足
方言は師匠の影響。感情のない機械のような男だったが、さゆたちとの出会いで、晩年は穏やかな性格になっていた。




