一話 気が強い少女
今のままは嫌だな、と思いながら生きる日々を、赤い髪の少女は送っていた。
薙刀を持って商売をする生活が、その少女にとっては苦痛だった。
赤い髪に群青色の目を持つ少女は、背中が隠れるほどの大きな籠を背負って、真っ赤な橋の上を歩いていた。その後ろを、小さな翼を持つ猟犬ほどの大きさの真っ赤な翼竜が追いかける。
北国らしい、梅の香りがする冷たい風が頬を打った。少女はふと、橋から水を見つめてみた。
大きな池。そんな池の中では、様々な色の金魚が泳いでいた。その中の一際大きな真っ黒な金魚。金魚は竜に向かって冷たい水をかけると、奥深くへと戻っていった。
竜は威嚇するように池を見ると、濡れた顔を少女に見せた。少女は手拭いで竜の顔を拭う。
ここは、〈神国〉の都がある水里。その名の通り何十個の小島から成る里であり、一つの小島の上に漆喰の壁で成り立つ建物が複数置かれ、それらの島を赤い橋が結んでいる。そんな小島の周囲は透き通った水が流れていた。その水の中では鮮やかな金魚が泳いでいる。水は深くはなく、子供たちの膝ぐらいの深さだった。
その町は、巨大な池の中にあった。
時の将軍が、「炎」を恐れて、川の水を町に流したことがこの里の始まりである。
少女は池から目を離すと、竜に微笑んだ。
「仕事じゃ、トモシ」
トモシ、と呼ばれた竜は顔を上げる。そして頷くと、さゆを追いかけた。
それから少しして、水里のとある蕎麦屋。
「お前に食わせる蕎麦はねえよ!」
そんな里にある蕎麦屋で怒声が響き渡った。周りの客たちは顔を上げ、一斉に声のする方を見つめる。
そこにいたのは、深い赤色の髪と群青色の目を持つ少女が立っていた。背中には布に包まれた薙刀が背負われている。少女は眉を顰めると、乱暴に持っていた籠を置いた。重い音が響き渡り、辺りはしんと静まり返る。
店主は少女を見ると、顔を真赤に染めながら籠に目を移した。少女は勢いよく顔を上げると、店主の怒声よりも遥かに響く声で叫んだ。
「何入ってんのか分からないので結構です!」
店主は少女を睨む。少女は店主の髷に向かって籠を投げると、腹に響く声で叫んだ。
「はいどうぞ! お頼みの品物です!」
籠は店主の髷に当たり、中から袋が飛び出した。店主は少女を睨みつけると、近くにあった机を強く叩いた。
「お前なんかからいるか、クソガキ!」
「じゃあ頼むな!」
少女は負けじと声を張り上げる。そして籠を店主からひったくると、注文書を机に叩きつけた。店主は舌打ちをしながら注文書を握る。
「お前が金払うまで居座るから。……ほーら。どんどん客が遠ざかる遠ざかる」
少女は床に胡座をかいて座り込むと、青い目で店主を睨みつけた。
その目は大人すらも怯ませてしまうほどの覇気がこもっていた。
店主は奥から金を持ってくると、それを地面にぶち撒けた。少女は落ちた金を掴むと、胴乱に入れていたちり紙を店主の顔に向かって投げた。店主は顔を酢蛸よりも赤く染める。
「二度と来んな! 竜の兄弟が!」
「一生来ないからご心配なく!」
少女は言うと、店から足音を立てて出ていった。
こんなことは少女にとって、ありふれた日常の一部でしかなかった。
人々よりも高位な存在であり、五行の力を使い、体の大きさを自由に変えられる竜という種族がいる。そんな竜たちと兄弟の契りを結んだ者は、「竜の兄弟」と呼ばれ、差別される存在だった。それは何百年も続き、現在も竜の兄弟は人々の偏見に晒されていた。
その差別は常軌を逸しており、竜の兄弟は普通の買い物をしたり、屋台で食事をすることすら満足にできない。彼らは幼い頃からそんな境遇に置かれていた。
少女もその竜の兄弟の一人だった。トモシという名の竜と契りを結んでいる。
少女はトモシを見ると、空になった籠を担いで歩き出した。
そんな少女を呼ぶ声が背後から聞こえた。
「さゆにトモシじゃないか! おーい!」
顔を上げると、そこには一人の男が立っていた。黒い短髪の男で、赤色の袴を着ていた。男は腰に手を当てると、さゆたちを見る。
「惣太郎さん……でしたっけ。何か用ですか?」
別に普通に浮世話したっていいじゃないか、と男は子供のような口調で言った。さゆは腕を組み、惣太郎を見た。トモシは警戒するように体を低くする。
この惣太郎とかいう男は、七日前からさゆたちに偶然を装ってよく話しかけてきた。武家出身でそこそこ恵まれた環境にいるためか、見た目はただの温厚そうな優男である。
話しかけられるようになったきっかけは大したものではない。
店主が女の子好きなことで有名な店で働いていた時だった。奉公に来た女の子に暴行をしては追い出すような店主らしく、評判が悪い店だった……という話を知った時は既に後の祭りだった。
そういう店で働いていた時、惣太郎に初めて話しかけられた。
店の評判などつゆほども知らなかった当時のさゆは、不思議そうに惣太郎を見ることしかできなかった。
それからさらに数日が経った頃、さゆは別の店で働いていた。偶然前を通りかかった惣太郎に前の店について尋ねられると、彼女は、
「店主に押し倒されたのでトモシと一緒に、ちん棒焼くぞと脅してやりましたよ。そしたら三日も経たずに出てけって言われまして」
と不満そうに言った。
さゆは事実を言っただけだった。しかし、惣太郎はその話を聞いてからさゆたちに頻繁に話しかけるようになった。
今まで大人たちから腫れ物扱いされてきたさゆたちは、惣太郎の行動に慣れることができなかった。馴れ馴れしい奴としか思えず、さらに最近は、裏があるのではと思い始めている。
今までの経験によって、竜の兄弟に話しかける輩など何か裏があることは、痛いほど知っている。
惣太郎は団子を頬張りながら言った。
「道場巡りしてきたんだ。お前たちともいつか行きてえなあ」
道場巡り、とさゆは思わず復唱する。
商いよりも得意なのではないかと、道場巡りみたいなことをよくしていた時期があった。
大体は門前払いを食らい、十の道場に頼み込んでも一つでしかできなかったが、薙刀で刀と対峙したときの間合いなどを確認するのに役に立った。食客になるかという話が出たものの、竜の兄弟だからと認められなかったが。
またある時には護衛の仕事をやった。しかし、その時は結局何も起きなかったからとかいう理由で、報酬を半額された。それ以来二度とやっていない。
さゆは報酬半額の一件を思い出し、眉を顰めた。
それでも――商いよりもずっと手応えを感じた事実は消えない。商いをするよりも、薙刀を振る方が手応えを感じていた。
「……宙ぶらりんの日々を送るぐらいなら……」
さゆは呟く。
惣太郎のように毎日道場巡りができれば、と毎日のように思っていた。正直商いは好きじゃない。無鉄砲で頑固な性格が仇になって、いつも客とは喧嘩ばかりしているのだ。好きになる方がおかしい。
さゆは惣太郎を見た。
彼は武家出身だ。親に、家に恵まれている。帰る場所があって、何かを犠牲にしなくても衣食住が保障されているのだ。
あまりにもさゆと環境が違いすぎた。
決して相容れることなどない。相容れたいとも思わない。仲間なんてもってのほかだ。
「……とにかく。トモシに何かしたら焼きますからね!」
さゆは怒鳴ると、逃げるように惣太郎の前から去っていった。トモシが慌ててその背を追いかけた。
一人の男が役人と話していた。栗色の癖毛が特徴的な、がたいのいい男である。
男は一枚の紙を役人に見せる。役人は渋った顔でその紙を見つめると、首を横に振った。
「竜の兄弟の言葉など聞けるか」
役人は冷たく言うと、男を追い払った。男は役人を見ると、拳を強く握りしめた。
名前 さゆ
年齢 12
得意なこと 木登り、川魚の掴み取り
好きな食べ物 山菜蕎麦、熊鍋
ミニエピソードまたは補足
感情が激昂したりすると方言が飛び出す、ザ・方言女子(たまに通常生活でも出る)。方言は父親の影響。いつも辛子を仕込んだ団子を持ち歩いている。