序章
男が一人、静かに書を書いている。元々そんなに文章は得意ではないが、それでも書かなければならないものがあった。
外は吹雪の音がする。竃の中は明るいが、それでも手の先は悴んだ。
ふと物音がし、男は顔を上げた。そして息を吐くと、目の前で寝ている愛娘たちを見た。横で眠っていた竜が顔を上げ、くるると喉を鳴らした。たくましい後ろ足に、前足と同化した大きな翼を持つ、馬ほどの大きさの竜だった。
男は竈の中に書いていた物を入れる。そして愛娘を起こした。
深い赤色の髪に、深海のような群青色の目をした娘だった。その横では、角が片方欠けた、小さな翼の竜が眠っていた。娘は男を見ると、竜を起こす。
その竜は娘と同じ色の目をしていた。
「とど……?」
娘は呟くと、男を見た。
男は優しく笑うと、愛しそうに娘と子竜を抱きしめた。
「さゆ、トモシ。……君たちはこっから寒う思いをたくさんけんと思うせ。でもな……その胸にあん灯火は、絶やしちゃいかんげな」
男は言うと、娘たちを離した。娘は不思議そうに男を見た。
「死にゆく男は、火ん内に生きた証を残すんせ」
すると、小屋の中に役人が複数名入ってきた。
役人は男と竜を見た。そして外に出るように促す。娘は父親にもう一度抱き締めるように頼んだが、つらさげね、と言われただけだった。
それから数ヶ月後、娘は父親の死を何となく悟った。
数年後の冬。その年の冬も厳しかった。
娘は父親と昔住んでいた家に入る。すっかり朽ち果てた小さな家。鼠が軒下を走り回り、腐った木は傾いている。娘は影を見た。すると、影から一人の竜が飛び出す。
竜は蛇というよりも翼の生えた蜥蜴に近い。ただし、その前足と同化したその翼は小さく縮んでいた。様々な赤色の鱗に覆われており、その目は娘と同じ深い青色をしている。頭に生えた小さな二つの角は、左側に生えている方は大きく欠けていた。大きさは猟犬ほどの大きさだった。
「トモシ。火ん内せ」
娘は竜に言う。トモシと呼ばれたその竜は、顔を上げると頷いた。
娘はふと竈を見た。白い石でできた竈は煤で黒く汚れている。
――火ん内に生きた証を残すんせ。
父親の最後の言葉を思い出し、火の気の消えた竈を見る。屈んで中を覗けば、黒くなった木の実の殻が辺りに散乱していた。
娘は竈の中に手を伸ばす。しばらく中を弄っていると、手が何かを掴んだ。
「何ねえ……こんは」
娘は手が掴んでいるものを見て呟いた。
それは一冊の日記帳だった。
父はこんなに筆まめだったか、と娘は首を傾げる。少なくとも父親が何かを書いていたという記憶はない。ただ、表紙の文字は確実に父のものだった。
「とど……一体、私に何を残そうとしてね?」
黒い殻だらけの日記帳を見ながら、娘は呟いた。娘は何枚か紙を捲ってみた。
――松の下なる鹿や、伊芽の海なる魚は店に売らるることはあらず。いずれのもの、焼けばこそあしきものになれ。
娘は息を吐くと、壁にかけてあった赤い薙刀を掴んで顔を上げた。そして、近くの籠に入れてあった木の実を手に取る。
その木の実を殻ごと磨り潰し、それを竈の中に入れ、油をかけた。
勢いよく火が飛び出し、竈の中を赤い光が包む。
せめてこの火が消えるまで。
娘は火に当たりながら目を瞑る。
三日後、娘は火の気の消えた竈に背を向け、竜と共に歩き出した。