910:図書室の放課後
「……んでさ、あの体育教師の黒ダルマがさ、俺のことを見て“いいから髪を染め直してこい”とか言ってさぁ〜、地毛だって何回言っても聞いてくれねぇしさぁ〜。」
今が表向き閉館時間で良かった。
子供たちの賑やかな談笑は止まらない。
まぁ、俺が強く言わないでいるのも原因ではある。
規則通りの対応をするなら、騒がしくしているのを強く諌め、退出を促すべきだろう。
だが、俺はそこまでする気はない。
そこには、色々な感情がある。
図書室という空間を、もっと身近に感じてもらいたい。
本に囲まれながら楽しい時間を過ごすことで、それが無意識だとしても、本に対して良い感情を持ってほしい。
繁華街の危険な場所に行って危険な遊びをするくらいなら、ここで楽しい青春を過ごしてほしい。
これは偽らざる本心だ、間違いない。
だがまぁ、それだけでもない。
彼らの雑談は意外に有用だ。
この学園内で何が起きているのか、どういう心理でいるのか。
そういうモノが、勝手に収集出来る。
これがもし、俺が子供たちに聞いて回るようだったら、ここまであけすけな話は聞けない。
“何かを探ろうとしているオトナ”として、見えない線が引かれてしまう。
どうやら体育教師はセクハラまがいの指導をしているらしいこと、地学の教師はあだ名は酷いが、意外と子供たちから好かれていること、音楽の教師は気に入った男の子には評価が甘いのに、気に入らない女の子の評価が厳しいこと、そして国語の教師は文字に興奮する変態らしいと噂されていること。
……なんだそれ?
ま、まぁ、そういう感じで教師の評価もそうだし、生徒間の情報も漏れ聞こえてくる。
「あ〜あ、アンタも顔がもう少しマイト様みたいに顔が良ければなぁ。」
「あ、聞きましたセーダイさん、コイツこんなこといっつも言ってきているんスよ!
俺があんな貴公子になれるわけないじゃないッスか、ねぇ?」
たまに、同じ名前を聞かされる。
ハマ・マイトという学生の名だ。
なんでも家がハマ・グループという上場企業の金持ちお坊ちゃまで、容姿端麗、学力トップ、運動神経も抜群、というザ・貴公子のような生徒がいるらしい。
女の子たちからちょっとしたアイドル扱いをされていて、ファンクラブもあるとかいう噂だ。
「ハハハ、人はどうなるかわからないからな。
君だって、もしかしたらそのマイト君?を抜かすような大物になるかも知れないよ。
学生でいるうちに、知識を蓄えてしっかり運動すれば、そこそこいい男になるんじゃないかな?」
「ほぉら、セーダイさんマジ神じゃね?
俺だって将来有望ってことだろ?」
「菓子ばっか食って口の軽いお前じゃ、マイト様みたいになるのはまだ無理だね〜。」
“あぁ、自分にももしかしたらこんな可能性があったんだろうか”と、少し遠い目をしながら彼らを眺める。
学生時代の自分はどんなんだっただろうと思い返していると、図書室の扉が音を立てて開いた。
「……チッ。
何だ、いねぇのか。」
1人の男子生徒が俺たちを含めて図書室内を見回し、目的の人物がいなかったのか、何やら呟くとそのまま扉を閉めて去っていった。
誰か探していたのかな?と、閉まった扉を見ているとクスクス笑う声が聞こえた。
「ざぁ〜んねん、ミノリちゃんが目当てじゃなかったみたいね〜。」
「ちょっと!止めてよ!」
見れば、モジモジと顔を赤らめて小さくなっている女の子と、先ほど男の子をからかっていた女の子が、標的を変えたのかニヤニヤと笑いながら机に肘をついて、小さくなっている子を見ている。
「……??」
「セーダイさん、さっきの男の子はナカジ、ハラキ・ナカジって言って、マイト様ほどじゃないけど、結構女子から人気あるんだよ〜!
でも、さっきみたいにちょっと行動とか乱暴なところがあるからさぁ〜。
アタシは違うかな〜って思うんだけど、そうじゃない子も多いんだよね〜。
ね〜、ミノリちゃん?」
事情がわからず、何を言っていいか悩んでいる俺に、ニヤニヤ笑いの女の子が助け舟を出してくれる。
なるほど、この真っ赤になって縮こまっているミノリと呼ばれている少女は、あのナカジという男の子の事が好きなのか。
いや、まだ完全に好き、というわけではないのかも知れないが、それでも強い好意は持っている、というところか。
これくらいの年頃だと、少し良いかなと思っているくらいでも、周りから囃し立てられて好きになっていく、ということもあるだろう。
情報だけは与えられたが、俺はまだこのミノリちゃんやらナカジ君やらの事は何も知らない。
そういう時に先入観で一緒になって囃し立てることは良くない。
あくまでも生徒にはフラットな感情で向き合わないと、だ。
「色恋は、人から囃し立てられて決めるもんでも無いしな。
それに、俺はさっきのナカジ君?に関しては何も知らないからな。
周りの評価がどうであれ、“いきなり来ていきなり帰った”くらいしか、まだ彼のことを何もわからないよ。」
半分は嘘だ。
あの一瞬でも、人を観察できる。
無造作に扉を開け放つ、無遠慮に周囲を見渡す、目的がなければ悪態をついて去る、しかしちゃんと扉は閉めるところから悪意はやや低い……。
そうやって、俺は今まで人を見てきた。
俺でも見抜けない悪意は、マキーナが見抜いた。
そのマキーナも沈黙している今、あの子からそこまでの悪さは感じない。
まぁ、良さもあまり感じていないから、言うなれば“ノーデータ”というところか。
ただまぁ、本とは縁のなさそうな人種だなぁとは思ったくらいか。
「そ、そうですよね。
どんな人か、ちゃんと話さないとわからないですよね。」
ミノリちゃんと呼ばれた子が、何やら1人で納得……いや、言い聞かせるように呟いている。
「彼にも、本って楽しいとか、ここが居心地のよい場所だって思ってもらえたら嬉しいんですが……。
もっと気軽に読める本があったら、ここに誘えるのかな……。」
「あ、そうだセーダイさん、ここラノベとかねぇの?」
ミノリの言葉を聞いてかそうでないかはわからないが、唐突に男の子が声を上げる。
“あるわけねぇだろ”と言いながらも、俺は面白いアイデアだなと思っていた。
究極的に言うならば、聖書だって人類最古のファンタジー小説だ。
そこに教訓や導きが盛り込まれているだけで、ライトノベルと大して変わらないのではないか。
こういう閃きもあるから、この時間はやはり貴重だ。
そんなことを思いながら、俺はアイデアを頭のなかに巡らせていた。




