908:本を読む少女
「この資料の……ここを写しておけばいいか……。」
「あ、セーダイさんまだやってるぅ?」
気さくに入ってくる生徒に、“ここは居酒屋じゃねぇよ”とジロリと睨みながら言うが、子供たちには効果はない。
次々と入ってきて、勝手にオープンデスクに荷物を置いて場所取りをし始める。
「何やってるのそれ?」
「あぁ?地学の先生から、次の授業で使う地層と堆積岩の一覧を模造紙に書き写してるんだよ。」
教師が使う資料の一部作成、これも学校司書の仕事の一つだ。
しかもよりによってあの野郎、夕方にフラッと来て“明日からの授業で使う資料を頼み忘れてまして〜”なんて言いやがって、おかげで久々に定時に帰れると思ったらこれだ。
ただ、生徒達は当たり前のようにやっているものと思って、集団で図書室にやってきていた。
「くそぅ、今日こそは定時で帰れると思ってたのに……。」
「あぁ、地学のデコハゲにやらされてんだ?
セーダイさんカワイソ〜。」
「アイツこっち見るときの視線キモいんだよね〜。」
何ともまぁ、酷いあだ名を付けられているものだ。
まぁ確かに額の幅は広くなっているが、その原因の一部にお前らも含まれてるんじゃねぇかなぁ、と思うが黙っておく。
「俺はこれが終わったらここを閉めるからな?
勉強なりなんなり、用事があるならサッサと終わらせろよ?」
俺の周りに集まっている子供たちにそう声をかけると、“マジかよ、もう少しオマケしてよ”と大阪のおばちゃんのような事を言い出すが、それには耳を貸さない。
要求に応えれば、次々とエスカレートしていくのも経験から知っているからだ。
資料の作成にも目途が立ち、ふと視線を上げると子供たちは何だかんだ言いながらも、集中してノートに何かを書いている。
大体が2〜3人のグループを作って、たまに教え合いながら作業を進めている中で、少し離れたところにポツンと、1人で本を読んでいる少女の姿が目に入る。
少しだけ気になり、俺によく話しかけてきて、今も近くに座っている女生徒に声をかける。
「なぁ、あそこにいるあの子は、君らの仲間なんじゃないのか?」
「え?あぁ。
……何?セーダイさんもあの子が気になるのぉ〜?」
全く、これくらいの子はすぐに色恋に結びつけたがるから困る。
そうではなく、みんなで来ているのに1人浮いているように見えるから気になった、と言っても、彼女の脳内では“気になった”のひと言だけが1人歩きしているようだ。
「あの子はフネちゃんって言ってね、アタシらと同じ学年だけど、クラス違ったはず。
アタシらと違ってアタマ良いし、ここにも別に誘ってないよ?」
これくらいの世代の子は、意外と閉鎖的だ。
学校という閉鎖空間の中に、様々な子を詰め込んで画一的に教育を施している弊害、というのもあるのだろうが、とにかくグループとグループに属していない子の間にも、目に見えない壁がある。
一人静かに本を読んでいるあの子の周りにも、やはり他人を寄せ付けない透明な壁があるようだ。
「フネちゃんね、男にモテるんだよぉ?
こりゃセーダイさんもオトナの魅力を見せないと、あの子をオトせないかもよ〜?」
橋西・船という、やや古風な名前とやはり時代を感じさせる長い黒髪の彼女は、学業の成績優秀、運動はやや苦手、物静かで穏やかな口調と、この学園で男子人気のトップを争う女の子らしい。
ただ、本人はどこか浮世離れした雰囲気を出しており、男子が気安く話しかけられない空気と相まって、狙っていても声をかけられない子も多いそうだ。
“男子に人気がある”というだけでも女子からは嫉妬されることもあり、クラスメイトとしては普通に接していても、親しい友達と呼べる子は少ない、らしい。
「……なるほどねぇ。」
「やっぱり、セーダイさんもあぁいう子の方が可愛く見えたりするの?」
それまで自信満々に彼女のことを話していたのに、突然しおらしく上目遣いで聞かれ、少しだけドキリとするがすぐに呆れた顔をつくる。
「アホ、色恋ばっかり考えてないで、宿題サッサと終わらせなさいよ。」
学校という閉鎖空間では、出会う人間の種類は少ない。
女の子は男の子よりも精神的に成熟が早いから、多分学園内の同世代の男子は子供に見えてしまうだろう。
精神的に成熟している大人といえば、教師や俺のようなのくらいしか彼女たちの世界には存在していないのだろう。
だからこんな中年にも、色目を使ってしまう子もいる。
なんだかなぁ、という気持ちを持ちながら、俺は資料の続きへと戻っていった。
「さて、残るは君くらいだ。
もうそろそろ図書室を閉めようと思うけど、その本借りていくかい?」
何だかんだ、あの後も資料の間違いに気付いて修正していたら、すっかり遅くなってしまった。
生徒たちもみんな帰ったと思っていたが、あのフネちゃんと言われていた子だけが、まだ集中して本を読んでいたのだ。
「あっ、えっ、あっ、ホントだ!
皆さん帰られちゃってますね。」
本当に今気が付いたようにワタワタと慌てる彼女から、年相応の忙しなさを感じて思わず笑ってしまう。
そんな俺を見て、少し不思議そうな顔をしているようだ。
「あぁ、スマンスマン。
実はさっき君の話を聞いてね。
どんな完璧超人な子なんだろうと思っていたから、今の姿が少し意外でね、悪い悪い。」
「そんなことありませんよ、みんなが勝手に私のイメージを作っちゃってるだけです!
私も、もう少し勇気があればみんなの輪に溶け込めるのかなって思っているんですけど……。」
話してみると、少し印象と違っていて面白い子だった。
なるほど、先入観というのは恐ろしいものだ。
先程までは高貴な生まれで高嶺の花のような子に見えていたが、こうして話してみると年相応に面白い子だ。
「んで、どうする?
その本にかなり集中していたから、借りていって家で読んだらどうだい?」
「……いえ、持ち帰っても、兄妹がいっぱいいて、落ち着いて本を読めなさそうですので、また明日、ここで読ませてもらえたらと思います。」
穏やかに笑う彼女は、そう言うと読んでいた本を閉じて本棚に戻す。
帰り支度をして鞄を持ち上げた拍子に、ポロリと何かが落ちる。
“なんだろう?”と思ってそれを持ち上げると、どこかで見たことのある小さなぬいぐるみだった。
「あ、すいません!」
慌てて俺の手から奪い取るようにぬいぐるみを回収すると、鞄へと突っ込むようにしまう。
「あ、あぁ。
まぁ、暗いから気をつけて。」
慌てて帰る彼女の後ろ姿にそう声をかけて、俺も戸締まりを始める。
(さっきのぬいぐるみ、どこかで見たことあるんだよなぁ?)
思い出そうとして思い出せない、そんなもどかしさを抱えたまま、気が付けば戸締まりも終わっていた。




