907:図書室の日常
<勢大、朝ですよ。>
マキーナのモーニングコールに、渋々目を開けて上半身を起こす。
剣と魔法のファンタジー世界でなければ、大体がこれだ。
毎日決まった時間に起きて決められた場所に行き、そして日が落ちるまで右往左往する。
まぁ、ファンタジー世界でも“良い依頼を受けるには夜明けと共に起きてギルドの掲示板に行かなければ、リスクとリターンが見合っていない依頼か薬草採取くらいしか残っていないから、どちらが良いとも別に言えないかもしれないが。
「保障は何もないが、ある程度時間的に自由が利くか。
時間的制約は厳しいが、色々と生きていく上で保障があるか。
まぁ、難しい問題だな。」
<哲学的な思想も良いですが、現在時刻は7時29分ですよ。>
マキーナの言葉を聞いて、慌てて時計を見る。
時計の針は正確に、今7時30分ちょうどになる瞬間だった。
「バッッ!!
お前、8時15分から朝礼じゃねぇか!!」
<7時にも起こしましたよ?
しかし勢大が“もう少し寝かせろ”と言っていたんです。>
クソッ!全く記憶にない!!
だが、今はそんな言い争いをしている時間すら惜しい。
全力で身だしなみを整えて着替えると、鞄を掴んで家を飛び出す。
「あ!?鍵したっけか!?」
<しましたよ。>
人間とは不思議なもので、日常で習慣化されたものは脳を経由せずに体が記憶するらしい。
やはり鍵をしたかの記憶が曖昧だが、マキーナが言うなら無意識で鍵をしていたのだろう。
こういう時、マキーナがいると鍵を確認しに戻る必要がなくて助かる。
<私を便利グッズか何かと勘違いしていませんか……?>
その質問に意識を回す暇すら惜しい。
ともかく急いで職員室の扉を開くと、何とか朝礼前には間に合ったらしい。
「田園さん、ギリギリですよ?
我々は生徒の規範となるべき立場なのですから、もう少し規律正しい生活をお願いします。」
朝から髪を七三分けにビシッと決め、神経質そうに眼鏡をずり上げながら、主幹教諭が俺を見て小言を言う。
それに愛想笑いで対応しながらも、心の中では“ならここに俺の席を用意しろよ”と毒づく。
そうなのだ。
学校司書、という役職になったはいいが、学校側から見れば“教員外職員”という扱いらしく、職員室に俺の席は無い。
図書室の一角に専用の待機所があり、それが本来の俺がいるべき場所だ。
とはいえ朝礼には参加必須のため、こうして朝礼のためだけに職員室に立ち寄る必要があるのだ。
「……というわけで、最近、近隣住民から当校生徒と思われる男子グループや男女が、ゲームセンター等の遊戯施設に出入りしている姿を目撃され、苦情が出ています。
先生方には、業務終了後も帰宅前の見回り等、生徒達が良からぬ行為に及ばないよう、見つけ次第厳しく指導をお願いします。
それでは、本日もよろしくお願いします。」
朝礼と言っても、今日の全体スケジュールの確認と、校長からのありがたい訓示で終わる。
内容にさして変化は無いが、こうして訓示をする事で“責任は果たしている”と言わんばかりだ。
この15分のために、わざわざ急いだのかと思うとげんなりするが、それでもこれがなければもっといい加減な仕事をしてしまいそうだ。
まぁ余計な事を考えてもいられない。
俺はまた鞄を持つと、急いで図書室に向かう。
ある意味で、ここからが本当の戦場だ。
まず急いで室内を換気する。
ただ、換気しすぎても本にはよろしくない。
ちょうどいい塩梅を見極めつつ、室内エアコンに切り替える。
そして検索用PCを起動し、子供たちが使いやすいように検索アプリを立ち上げておく。
それが終われば、教員が使う予定の資料や本を、先生ごとにまとめておいて、ようやくひと息つける。
「田園さん、資料集めておいてくれました?」
早速教員が取りに来るが、見れば、図書委員の子と一緒だ。
「お、ありがとうございます。
ホラお前たち、この本を教室まで運んでくれるか。」
ちょっとだけ、“良いなぁ”と思ってしまう。
こういう肉体労働をさり気なく子供たちにやらせるとは。
まぁ、それくらいの方が長く学校勤め出来るのかも知れないが。
そんな事を考えながら、次に仕入れる本を予算とにらめっこしながら選んでいると、1時間目の授業が終わったらしい、聞き慣れた鐘の音が聞こえる。
「……今日も、来るか……?」
冷や汗と共に、耳を澄ます。
遥か遠くから、複数のパタパタという足音が聞こえてくる。
「勢大さん、この本返しに来たよ!」
「勢大さん、この本の続き入荷した?」
「どうしよう勢大さん、本濡らしちゃった!」
「この間の本面白かったから、続きあるなら教えてよ!」
「早く返却したいんだけど!次の授業始まっちゃう!」
それはもう、戦争だ。
いや、戦場の補給部隊にいた時に、これと似たような風景を体験したことがある。
軍票片手に娯楽品を求める兵士たちと、この子たちは同じくらいの勢いを放っている。
「わかったわかった、順番、順番に並べ。
返却だけならそっちの返却棚に並べろ、後で全部返却日時も入れておくから!」
「あ、これ読みたかった続きじゃん!ねぇセーダイさん、これアタシが今日の日付入れておくからこのまま借りていい!?」
とにかく子供たちは自由だ。
ルールなどお構いなし、自分たちで新しいルールを作ろうとする。
そんな波を押し留め、そして受け流しつつ、ラッシュを乗り越える。
次の休み時間も同じように乗り越えるし、そしてもっと激しいラッシュという名の“昼休み”という時間にも襲われる。
昼休みは少し時間が長いからか、子供たちもここまで殺気立ってはいない。
ただ、“昼休みに本を返せばいいや”と思う子も多いので、純粋な物量が跳ね上がる。
そうして怒涛の午前を乗り越えても、まだ午後が残っている。
やはり間に挟まる休み時間のラッシュを乗り越えつつ、ためていた返却の処理や棚戻し、更には破損した本の修理や、新しい本の受け入れや管理と、恐ろしいほどの肉体労働だ。
俺の前任が腰を痛めて現在療養中ということらしいが、それも納得のハードワークだ。
「あ、良かったー!
今日も開けてくれてるんですね。
今日は、何時まで開けてて……くれますか?」
「表向きは完全下校の夜7時までだな。
……まぁ、俺の仕事はそれじゃ終わらんだろうけどな。」
本来なら、夕方の5時前には閉館するのだが、とてもじゃないが仕事が終わらない。
そのため、仕事が終わるまでの間、図書室を開けっ放しにしていたのだが、“家に帰ると勉強できない”という子供もチラホラいるらしく、こうして夕方にフラッと現れては、俺が帰るまでの間勉強をしていくのが、小さな習慣になっていた。
「良かった、今度、皆にも言っていいですか?
“運が良ければ、静かな環境で家に帰る前に勉強できるよ”って。」
この仕事、夕方5時以降の対応は“青少年に文学を広めるための司書のやりがい”として、自発的な業務外活動になり残業代は出ない。
下手に約束すると、確実に俺自身の首を絞める。
「ま、まぁ、開いてない時は諦めてくれ、って、納得してくれるならな。」
潤んだ上目遣いの瞳で見られてしまうと、強く断れない。
ため息をつきそうになるのを堪えながら、俺は引き攣った笑顔を浮かべていた。




