902:理想郷への入口
「やぁ、何から何まで本当にすみません。」
「良いんじゃ良いんじゃ、お前さんも良くしてくれたからの。
ささやかで悪いが、儂らからの餞別じゃ。」
くたびれた布で編まれた背嚢には、数日分の保存食と水。
それと、数枚の銅貨。
気付けば、この村に転がり込んでからひと月近く経とうとしていた。
一宿一飯の恩があるからと、老人が多く慢性的な人手不足のこの村で、俺は家の補修や農耕具の修理などを行って過ごさせてもらっていた。
村長から“うちの娘と結婚して後を継がないか?”と言われた時には流石に焦った。
村長の娘さんは確実に俺より歳上で、具体的な年齢は聞けていないが絶対に60歳は超えている風体だったからだ。
それならひ孫を……と、また話を広げたが、そのひ孫の娘さんは今年6歳になったばかりだという。
流石に貴族社会でもそういう婚姻は珍しいというか、それをする時は確実に政略結婚くらいしかないだろう。
何とか“私のご主人様に怒られるので”といってかわせたが、そういった話がなければ多少強引にでも引き留める策に出ていたであろうと思えるほどには、村長は本気の目をしていた。
「本当に……本当にお前さんが何かあったらこの村に戻ってくるんじゃぞ?
お前さんはもう儂の家族みたいなもんだと思っとるからな!」
両肩をしっかりと握りしめ、熱く語る村長。
いや、あの、肩に指が食い込んでますがな……。
「あは、ははは。
その、帰り道でまた通ることがあれば、また寄りますからね……。」
「絶対に、絶対にじゃぞぉぉぉ!」
異様なほどに悲しむ村長にドン引きしながら、俺は村を後にする。
<宜しかったのですか?酷く悲しんでいたようですが?>
「いいんだよ、あぁいうのは。
確かに人情もあるんだろうがな。
実際には“従順で、村の役に立つ男”だから名残惜しんでるだけだよ。
実際に長く住んだりすると相手の嫌なところが見えてくるし、“やってもらえて当然”と感謝の気持ちも薄れていくからな。
そうなる前に立ち去るのが、どちらのためにも一番良いんだよ。」
“少し勢大はうがった見方をし過ぎなのでは?”とマキーナは訝しむが、異世界なのだからこれくらいの警戒心でちょうど良い。
“元の世界とは異なる世界”なのだ。
どこに悪意が隠されていて、どこまでが善意なのか俺には判断できない。
“引っかかった奴がマヌケ”と言われても文句は言えない、そういうモノなのだから。
<まぁ、そこまで言うなら別に否定はしませんが。
しかし無為に疑いすぎるのも、ただ疲れるだけですよ。>
きっとそれはそうなのだろう。
だが、既にいくつか渡ってきた異世界ではヒヤリとする思いもしてきた。
用心は、し過ぎたとしても十分ではないのだ。
<勢大、想定よりずっと早いですが、何か関所のような物が見えてきましたね。>
マキーナに言われ、遠方を見渡すと道の先に小さな砦?のようなものが見える。
「本当だな。
これまで通ってきた宿場町でも、あんなのがあるなんて聞いて無かったよな?」
あの村から出て1〜2週間くらいは経つと思うが、道中の宿場町で聞く噂は最初の村と大差が無かった。
曰く、“1人の魔術師が興した”や“王都でも見たことがない設備”や“住むだけで幸福になる理想郷”だのと、その噂は“王都を追放された魔術師”という話題を見事にかき消していた。
誰もが口をひらけばあの街に移住したいと言う、理想都市のような扱いの話題ばかりだ。
「まぁ、ここがその街、って訳じゃないだろうさ。
……すいません、こちらは普通に通り抜けて大丈夫でしょうかぁ?」
あまり人気が無さそうな砦に向かい、声をかける。
道をふさぐような門が出来ているが、人間1人くらいであれば通り抜けられそうな隙間が開いている。
「ん?あぁ、旅人さんか。
ちょっと待ってな。」
ガチャガチャと門の隣の小屋から音が聞こえ、小屋の窓が開くとベルトを締め直している軽装の兵士らしい男が現れる。
「あ、ごめんねぇ、トイレ行ってたから誰もいないと思って心配しちゃったよね。
えーと、旅人さんはこの先に何かご用?」
普通に気の良さそうな中年が、小屋の席に座ると棚から書類を取り出して何かをメモし始める。
「あ、ええ。
何か、色々な所で噂になっている国だと聞いたもんでして。
観光がてら、少し滞在できないかなと思いまして。」
中年兵士はうんうんと頷きながら書類に何かを書き込むが、ふと視線を上げて俺を見る。
「……あー、まぁそれなら大丈夫だと思うけど、観光の場合は最大7日間までの滞在が許可されるだけだから。
もしも移住を考えている場合は、ちょっと面倒な事になるからね、あんまりお勧めはしないよ。」
「理想都市なのに?
移住すると辛いんですか?」
俺の疑問に、中年兵士は凄く困った顔をしていたが、最終的には“きっとこれからの光景を見れば納得するよ”と言われ、先ほど中年兵士が書き写していた書類の控えと、そして青いリボンを渡される。
「ここね、実は入国審査前の整理所みたいなモンなんだよ。
今君に渡したその青いリボン、右腕でも左腕でもどっちでも良いけど、よく見える位置に着けて、言われたらすぐ見せられるようにして、この先に進んでくれる?
赤いリボンをつけている人達は移民希望の人達の列だから、そっちに並んじゃダメだよ。」
何を言われているのかピンと来ず、俺は生返事をしてしまうがリボンと書類を受け取り、門を通り抜ける。
書類に目を通すと、俺の名前が空欄になっているだけで、来訪目的や滞在期間などは先ほどのやり取りの通りが記載されていた。
どうやら、読み書きができない人間もあそこを通るのだろう。
書類云々は、あそこで先に代筆してくれたのかと改めて感心する。
些細なことだが、こういう小さなところからシステム化されているのは素晴らしい。
<……勢大、先ほどの兵士が言っていたのはあの列の事でしょうか?>
書類に目を通していた俺に、マキーナが話しかけてくる。
ふと目を上げると、道の右側に行列が出来ている。
道の先にはまだ何も見えない、というのにだ。
「……皆赤いリボン、つけてるな。」
俺も慌てて右肩に青いリボンをつける。
赤いリボンをつけた行列から、殺意に似た視線が俺に突き刺さる。
「疲れたよおかぁちゃん。」
「もう少しの辛抱よ、良い子だから我慢してね。」
「この行列はいつまで続くんだ。」
「もう2日待ってるから、そろそろ食料もヤバいぞ……。」
通り抜ける人々の苛立ちや雑談が漏れ聞こえてくると、“こりゃ相当な人数が並んでいるんだな”と、ゲンナリする。
門番の言う通りだ。
移民としてここに来ていたなら、俺もあの行列の一番後ろに並ぶ事になったのか、と、少しゾッとしながらも横を見ないよう、前だけを見て早足で進む。
20分も歩けば城壁が見えてきていた。
急ぎ足だったとはいえ、この20分の道に数日並ぶのかと、改めて肝が冷える思いだった。




