901:辺境の魔術師
「……よっと。」
いつも通りの転送を終え、周囲を見渡す。
異世界を転移し続けていて、一番警戒するのはこの瞬間だ。
毎回毎回、最初に身につけていたくたびれたスーツに通勤鞄、革靴に腕時計と、状況によっては全く馴染まない衣装だからだ。
<周辺状況のスキャン終了。
周囲に人間の反応無し、寄生生物や人体に影響のある害虫の存在も確認できません。>
あぁ、異世界ならではのお綺麗な世界に来たようだ、と安心する。
現実に限りなく近い異世界だったりすると、降り立った瞬間ノミ・ダニ・シラミにヒルや蚊と、警戒する事が多い。
とはいえ、大気中に漂うカビやら細菌すらも危険であることに違いはない。
現地人ならともかく、現代人の俺では対応できずに病気になることもあり得る。
「少しは安心できるが、いつも通り防御を頼む。
マキーナ、アンダーウェアモード。」
<アンダーウェアモード、起動します。>
唯一、異世界を転移するようになってから追加された持ち物、名刺サイズの金属板、“意思があり変形する鎧”のマキーナを起動させ、アンダーウェアモードに変身する。
これは下着の名の通り、俺の肌の上に、透明な全身タイツのようなものをまとう。
それを身につけている間、ありとあらゆる病原菌や害虫からの影響は受けない。
ただ、衣服までは防御の対象外だから、下手に魔法で燃やされれば丸裸になってしまう。
「それじゃ、周辺の探索と行きますかね。
どうだマキーナ?またいつもの辺りに道はあったりしないか?」
<ありますね。
舗装されていないですが、踏み固められた土の道が一つ。
馬車も通れるサイズです。
……ただ、今回は破壊された馬車の残骸等は見当たりません。>
あぁ、そりゃ結構なことだよ、とマキーナに返す。
大体の異世界と同じ場所に転移したらしい。
そして、大体の異世界ではここに襲われた少し高級そうな馬車の残骸があり、野盗の死体……状況によっては白骨死体、がある。
ご丁寧にその死体は物取りされてないことが多いので、大体の異世界ではそこで金品と使えそうな装備を剥ぎ取り、一式の装備と路銀を整えていたりする。
「結構な事は結構なんだが、それじゃいつもの偽装は無理だな。
仕方ない、また上着とワイシャツとネクタイ、それと鞄は収納しておいてくれ。」
<了解しました。>
流石にマキーナも慣れたもので、もう服を脱がなくとも勝手にスーツの上着、ワイシャツ、ネクタイ、それに鞄も溶けるように消えていく。
ワイシャツの下に着ている白のTシャツにズボンだけ、という姿になり茂みをかき分けて土がむき出しの道に出る。
ファンタジー異世界だとズボンや革靴が地味に目立つこともあるが、それでもまだギリギリ目立たない方だ。
「今回はどうすっかなぁ。
また、“東の方から貴族に遣わされてこちらに来た従者なんだけど、途中で山賊に襲われかけて身ぐるみ剥がされて逃げてきた”のシナリオで行くか?」
<この世界の文明レベルにもよりますが、まぁいつもの中〜近世西欧風世界であるならば、それで良いのではないでしょうか?
疑われた場合、それはそのままこの世界の難易度にもなりますし。>
マキーナの声にもそこまでの警戒感はない。
それなりに俺のことを信頼してくれているのだろうし、何とかなってきた自身の表れだろう。
「うーん。
……今のところ、危険な場所、には見えないかな。
いつものナーロッパ感があるぜ。」
<毎回思うのですが、その“なーろっぱ”とは何のことですか?>
山道から見える先、平地へと差し掛かる辺りに小さな村が見える。
村全体を囲む柵はあるが、防御力も無さそうでアチコチ傾いたり破損を不器用に直した跡も見える。
つまりは、外敵から襲われることもなく、穏やかな営みがそこにある、と言うことだ。
「こういう手合いなら、さっきの作り話でも何とかなりそうだな。」
<まぁ、その辺の判断は勢大に任せます。>
ある程度難易度は低めだと思った俺は、今の姿のまま村へと走り出す。
ここである程度汗をかき、必死さを演出するのもポイントだ。
そうして俺は村に入り、最初の村人に必死の形相で水を求める。
驚き慌てた村人は村の井戸まで俺を連れて行ってくれて、浴びるほどの水を飲ませてくれる。
村人達の服装や水が安定してあるところを見ても、そこまで困窮した村では無さそうだな、と、また少し安心する。
「いやぁ、そりゃ大変な目にあいましたのぅ。
まぁ、この辺はお貴族様がよく見回ってくれておりますからの、また襲われることはありませんでしょう、カッカッカ。」
山をいくつか越えた向こうで山賊に襲われた、という話を正直に信じてくれて、村長が直々に家に泊めてくれ、こうして夕餉も馳走になっている。
とはいえ、まぁこういう所ではよくありがちな“野菜やら何やらをぶち込みくたくたになるまで煮込んだ正体不明の野菜スープ”に、そのまま食べたら歯がもげるんじゃないかと思わせる固いパン、それに水で薄めすぎてもはや水なんじゃないかと思うようなワインだけだが。
「いやぁ、そうなんですよ。
私はさる東の貴族様にお仕えしているんですがね、“西の文化を見聞し、世界を学んでこい”と仰られまして。
まぁその実、ただ“美味いもの持って帰ってこい”って言ういつものワガママなんですがね。」
そう言って笑うと、村長も“そりゃ、宮仕えも大変ですなぁ”と一緒になって笑う。
その後も色々と、実際には似たような世界観を持つ異世界での出来事だが、ちょっと面白い話をしてやると、村長はまるで子供のように喜んでくれた。
「いや、お若いのに色々なところを見て回っているんですなぁ。
ワシももう少し若ければと思わなくもないですが、この村にも愛着がありますからのぅ。
……おぉ、そうじゃ、お前さん、よければ北の都に行ってみたらどうですかな?
伝え聞けば、あそこは今物凄い発展をしていて、あそこに移住したがる者も多いと聞きますでの。」
こんな薄いワインで酔ったからか、或いは楽しい話を聞けた雰囲気に酔ったからか、老人は思い出したように1つの都の話をした。
何でも、王都で名を馳せた有名な魔術師が、その才を恐れた仲間達に裏切られ、王都から北にある辺境の大地へ、開拓という名目で追放されたらしい。
普通ならそれは死罪と同等の重さなのだが、その魔術師は喜んで出て行ったらしい。
“スリューラーフができる!”と、何やら聞き慣れない言葉を口にしながら大急ぎで支度していたと、王都の侍従達が目撃したそうだ。
“スリューラーフ”が何だかわからないが、いつか王家に反旗を翻す準備を示す暗号じゃないかと、王家は警戒しているという噂だ。
その話を聞きながら、俺は何となくその魔術師というのが転生者なのではないか、とぼんやり思った。
“スリューラーフ”が何なのかは知らないが、発展した街を作っているというのなら、俺の作り話とも都合がいい。
“次の目的地はそこだな”と思いながら、俺は楽しい夕餉の時を過ごしていた。




