あぁ、碁を極めるためなら
それから5日後、俺は董粛様に呼び出された。
「すまないが、糺単村に行ってきてくれないか」
「どのような用件でしょう?」
俺は、行きたくないな、という直感に従って目的を質した。
「糺単村の昨年の税収に不審が見つかってな、村長に確認を行ってほしい」
「村長を呼び出せばよいのでは?」
むしろそうするべきだ。なぜならこちらの方が偉いのだから。
「そうではあるのだがな。陸子安よ、君はまだこの県の地理に明るくないだろう、この機会に学んできたらどうかと思ったのだ」
「なるほど」
一理ある。残念なことに。
「でしたら、条件があります」
俺がそう伝えると、董粛様は明らかに身構えた。
「恵華殿を同行させてもよろしいでしょうか」
そうすれば道中も囲碁が打てる。むしろ書類仕事をしなくていい分、普段より囲碁が打てるのではないだろうか。我ながら名案だ。
「いいぞ、君の補佐役だしな」
「ありがとうございます。では早速行ってまいります」
「待て」
俺が今すぐ出発しようとすると、董粛様が引き留めてきた。
「何を確認しに行くのか、書類を見てから行かなくていいのか?」
そうだった。囲碁打ち道中で頭がいっぱいになって忘れていた。
「もちろん、拝見させていただきますとも」
俺は董粛様から関連する書類束を受け取って、自室へと戻っていった。
書類をぱぱっと眺めれば、董粛様が何を疑っているのかはすぐに分かった。同じくらいの規模の村と比較して収穫量が不自然に少ない年があるのだ。収穫量がごまかされている結果なのか、他に何か理由があって収穫が少なかったのか、そういうところだろう。しかもこれまで不自然な収穫減が起こっている周期から考えて、今年減る可能性がある。原因の究明と予防を兼ねて顔を出して来いということなのかもしれない。
(ただ、これが不正だと仮定して、しかも横流しの主犯が董粛様だとすると、当然これにも関わってるよなぁ)
その場合、これは俺が不正を暴きに来た奴じゃないかと疑われているってことだ。この件をお土産として手柄をやるから、村長の首までで我慢しろという意味も含んでいるかもしれない。
俺何もする気ないのに。
手柄なんていらない。囲碁だけ打っていたい。もしかして仕事したくないアピールが足りていないんだろうか。
どうかこれは不正ではなく別の原因であってほしい。
俺はそう願いながら柳瑛と馬車に乗って出発した。
糺単村までは馬車で5日の道のりだ。
俺は柳瑛と馬車の上で囲碁を楽しみながら村へと向かった。幸せな時間である。
だがその幸せな時間は長くは続かなかった。
「県丞様、お逃げくだ―――ぐあっ!」
馬車の外で護衛の兵の悲鳴が聞こえた。
「え、何?」
「賊です!」
俺が事態を把握できていない間に、柳瑛は馬車の中に置いていた剣を取って外に飛び出していた。
賊?
山賊?
嘘だろおい。この馬車に金目の物がないことは、馬車につけてある役所の旗を見ればわかるだろ。それとも何か、役人絶対許さないマンの賊なのか。
俺は戦闘技術を持たない。だって知識人だ。そんな野蛮なものを習うなんて発想はなかった。
兵士たち、柳瑛、がんばれ!
俺は馬車の中で祈った。
外から兵たちが戦う剣戟の音がする。
どれくらい時間が経ったか、外が静かになった。
ぎい、と少しきしんだ音を立てて馬車の扉が開いた。
「よぉ、お役人様」
髭を生やしたいかにも山賊という顔をした男が笑顔を浮かべていた。
「あ、降参します」
俺はすかさず両手を挙げた。
「あんたが陸子安か?」
「いや、俺は陸田安だよ」
「県丞様だろ?」
そういえばさっき兵士が叫んでしまっていたな。偽名作戦失敗だ。
「そうだね」
「じゃあ陸子安じゃねぇか!」
「そう呼ばれることもある!」
俺は開き直った。
「こともある、じゃねえよ! 外出ろ!」
俺は素直に馬車から降りた。
周囲では何人かの兵が倒れている。すでに死んでいるのだろうか、確認したくはない。愛すべき我が囲碁仲間、柳瑛はどこだろう。
いた。
縄で縛られて猿轡まで噛まされている。だが大きなけがはしていないようだ。
良かった。
いや、女性ということを考えると良くはないかもしれない。
参ったなぁ。
どうしようこれ。
賊は全部で10人ほど。多い数ではないが、非力な俺一人でどうにかできるわけもない。
「この馬車には金目のものはないよ?」
一応主張してみた。
賊たちはニヤニヤしている。金目当てではないようだ。
「お前さんを殺すよう頼まれててなぁ」
ああ、これ依頼者は董粛様、いや董粛だ。
いきなりこんな過激なことしてくるか。俺、悪いことも良いこともしてないのに。
「へぇ、いくらで?」
「言ったらそれより多い金くれるのかい?」
「無理だな。手持ちほとんどないし、あっても君ら、俺を殺してそれを奪って報酬ももらうだろ?」
「正解!」
賊たちは笑った。
ひとしきり笑ってから、馬車の扉を開けた例の髭面が真顔に戻った。
「最後になにか望みはあるかい?」
なんてこった。こいつら仕事をちゃんとやる気だ。賊の癖に俺より真面目なのかよ。
仕方ないな。
「君たちに一つ忠告をしておく」
俺は静かに声を出した。こういう時は焦ってはだめだ。囲碁と同じだ。相手にいい所に打ちこまれても、慌てずにこちらも妙手を考えればいいのだ。
「俺の友人は郡太守をしている雷子龍だ。俺が殺されたと知ったら、このあたり一帯山狩りにあうぞ」
「な、なんだと」
動揺した。意外とちょろいな。
「だが君たちの出現は俺にとっても好都合だ。実は俺は、仕事をしたくないんだ」
「は?」
賊たちは、いきなり何を話し出すんだろう、という顔をした。
わかる、わかるよ。君たちの心理が手に取るようにわかる。
「俺は仕事なんて一切せずにただひたすら碁を打ちたいんだ。なんならこのまま君たちに殺されたことにして、どこか遠くに逃げて碁を打ち続けていい生活を作りたいと思っている!」
「……」
賊たちは沈黙した。混乱している。
「……お前、囲碁強いのか?」
賊の一人が聞いてきた。
「あぁ、強いぞ」
俺は断言した。
その瞬間柳瑛が猿轡のままむーむー言い出したが知ったことではない。俺は確かに柳瑛よりは弱いが、一般的には強いはずだ。
「頭目が、たまには囲碁打ちてぇのにお前らときたら打てやしねえ、って言うんだ。頭目と打ってやってくれねぇか」
「おま、何言いだしてんだ!?」
他の賊が驚いている。
「だってよう、囲碁が打てるって言うんなら今すぐ殺さなくてもいいじゃねぇか。頭目に任せようぜ」
賊たちはしばらく頭を悩ませた末、
「そうだな」
と意見がまとまった。
こうして俺はひとまずこの場で殺されることを回避したのだった。囲碁すげぇ。
山賊が根城にしている古く小さな砦跡で、俺は賊の頭目と囲碁を打つ羽目になった。
「まいった」
頭目が頭を下げた。
「いい碁だったな」
会心の碁だった。賊の頭目は、俺が繰り出した秘技「初手天元」の突破力の前に各所で石を分断され大きく石を取られてしまうことになったのだ。
「強いな、あんた!」
「ふふ、そうだろう。人生をかけてやってきたからな」
「そうなのか。ならもう一局!」
「いいだろう、やろう!」
素晴らしい時間だ。こんなにも碁を愛する男がまさか山賊の頭目だとは。縁というのは分からないものである。
2局目は俺が負けた。1局目の勝ちの分を譲ってやった形だ。
「くそ、あの隅の石が生き残っていれば俺の勝ちだったのに」
「あぶねぇあぶねぇ」
「もう一局!」
「いいぜ!」
最高の時間だ。
俺は頭目と思う存分囲碁を打ち、頭目と意気投合したのだった。
「あんた、囲碁バカだな」
「まぁね」
頭目から酒を注がれ、俺は杯をぐいっと空にした。
「あんたたちに俺を殺すよう依頼したのって、県令の董粛だろ?」
「そうさ」
頭目はそのことについて隠す気もないようだった。
「あぁあぁ、そんなに蓄財したいかねぇ。碁を打つ楽しみに比べたら金なんてどうでもいいっていうのに」
「そりゃ囲碁バカのあんただからだろ」
「子安。そう呼んでくれ」
「そうかい、俺は武安だ。名前にも妙な縁がありやがるな」
「そうだな」
「子安、俺はあんたを殺す気にはなれねぇ。だが、わかるな?」
「そうだな、手紙を2通残そう。1通はなんとかして郡太守に送って、もう1通はいざというときのためにお前たちで持っていればいい。俺は死んだことにするが、それがあれば子龍は俺が実は職場放棄して逃げたんだと分かるだろう」
「わかった」
頭目は頷いた。
「あっちの女は?」
俺は縄を巻かれたまま隅に置かれている柳瑛を指さした。
「あっちは、囲碁バカじゃなさそうだしな。解放したら県廷にもどって俺たちの討伐を主張しちまうだろうなぁ」
頭目はぼやいた。山賊として当然の思考だった。むしろ囲碁バカだからと俺を除外してくれるのが異常だ。
「殺すしかねぇ」
「そうか」
俺は短く答えた。
「一応知り合いなんだ、俺が出てった後にやってくれないか」
「しょうがねぇな」
「この外道!」
柳瑛から言葉が飛んできた。
「恥知らず!」
罵倒をわめきだした柳瑛に対して、山賊の一人が猿轡を噛ませ直した。
「誰だって自分の命の方が大事だからよぉ!」
「殺す前にかわいがってやるから楽しみにしてなぁ!」
などと口々に言っている。
俺は冷笑を浮かべて杯を傾けた。頭目の杯が空になっていたので、俺はそこに酒を注いでやった。
「あんたも、意外とワルだね」
「碁を極めるためには犠牲はやむを得ないのさ。飲もうぜ、我が友武安よ」
俺はそう言って杯を掲げた。




