悪徳県令
柳瑛は囲碁が強い。
俺が弱いんじゃない。彼女が強いんだ。そうに違いない。
「陸様、仕事してください」
俺に勝ったからか、柳瑛の俺への扱いがぞんざいになっている。俺は上司なのに。
「仕事っていっても、何するかも分からないじゃないか」
俺は言い張った。だって俺は職歴なしでこれが初めての仕事だ。引き継ぎも教育もなければ何もできないぞ。
「だからもう一局打とう」
負けても碁は打ちたい。俺はめげない。強い柳瑛と打ち続けたら俺はもっと強くなれる。
「……何をすればいいかは聞いておきました。こちらの書類を確認して問題なければ印を押すようにとのことです」
柳瑛はそう言って棚から1山の書類を机に持ってきた。
「確認って言ったってさ」
分かるわけないじゃん、そう言うために俺は一番上の1枚を取って見た。
『物品購入願』
ふむふむ、あ、分かるわ。分かっちゃうわ。
でも知らんぷりしよ。囲碁打ちたいし。
「何書いてあるか分かんないよ」
「陸様、まさか文字読めないとかーーー」
「読めるよ。物品購入願。鎧5つを古くなって処分したから新しいのを買うんだろ」
「分かってるじゃないですか」
柳瑛が県丞の印鑑を俺の目の前に差し出してきた。
「……はい」
俺は渋々1枚目を上から下まで読んで承認の印を押した。
「この一束終わったら一局打ちましょうか」
柳瑛のひと言で俺のやる気に火がついた。
うまく乗せられている気がするが、囲碁のためだ。1山なんてぱぱっと片付けてやる。
俺と柳瑛は、そんなことを3日続けた。
俺の上司にあたる県令とはまだ挨拶もできていない。役所に来ていないらしい。
正直羨ましい。仕事もせずにどっかの豪族と囲碁でも打ってるに違いない。ああ妬ましい。
(あれ、これおかしいぞ)
書類の山、倉庫に入るものと出るものの書類決済をするうちに俺は気づいてしまった。
様々な物品が本来の使用期限より早く処分されている。
違和感を感じて書類を見ていけば、すぐに理由が分かった。
(新品で買われた物が、いくつかすぐに横流しされてるな)
横流し。不正である。
役人として、これは上に報告などして正さなければならないものだ。
(……仕事増えるからやめよ)
俺は1秒で葛藤を終えた。
「恵華殿、次」
見て見ぬふりを決め込んで俺は次の書類にとりかかった。
翌日、やっと県令が県廷に来た。
「陸子安です。ご挨拶が遅くなり申し訳ありません」
やっと上司への挨拶ができた。
「すまないね、所用が立て続いてしまって。県廷には慣れたかな?」
県令の董粛様はにこやかだった。何日も仕事をサボって囲碁を打っていたという疑いが深まる笑顔だ。
俺だってサボりたいのに。
「はい、慣れました」
「そうかそうか、それはよかった。君は雷郡太守の友人なのだったね?」
「いいえ、違います」
俺は否定した。俺に職などという面倒なものを持ってきたあいつとはもう絶交したのだ。
「ち、違うのか? 君は郡太守の推挙だったはずだが」
「推挙についてはその通りです」
絶対許さん。あいつのせいで俺は満足に囲碁も打てない生活を送るはめになってしまった。一日に3局しか打てないんだぞ。
「そ、そうか。仕事でなにか分からないことはあるか?」
「いいえ、特には。読めば分かりますし」
あー、囲碁打ちたい。こんなデブジジイと話す暇があったら、どうやったら柳瑛と囲碁を打つ回数を増やせるか考えたいのに。
「さすが郡太守が推挙した男だな!」
董粛様が少し早口になった。もしや何か焦ってるのか?
あぁ、大丈夫だよ。
「この県は素晴らしい役人に恵まれ問題なく治められていると子龍には伝えておきますよ」
子龍とは雷辛の字である。県令がサボって囲碁打ってるとか、横流しの不正があるとか告げ口しないから安心してほしい。そんなことしたら俺の仕事が増えちゃうだろ。
「そ、そうか。陸子安、今夜君の歓迎の宴を催そうと考えているのだがどうだ?」
「申し訳ありません、県令。今夜はやるべきことがありますので」
今日柳瑛と打った碁を家で並べて研究しなければならない。最優先事項だ。
「そうなのか。明日はどうだ?」
「明日もです、申し訳ありません。その日の仕事を振り返らなくてはなりませんので」
明日は明日打った碁の研究だ。一晩だって惜しまない。
董粛は俺の返事を聞いて肩を落とした。
そんなにがっかりすることはないだろう。もしかして俺と碁を打ちたいのか?
「県令、なんでしたら今からいかがですか?」
「宴をか?」
「碁ですよ」
「ほほう、面白そうだ……だがすまんな、私にも仕事があるのだ。またにしよう」
なんだよ、俺とは打ちたくないのか。さては弱いんだな。じゃあもういいよな。
「それでは失礼します」
俺は拱手して県令の部屋を辞した。
※※※
部屋から出ていく陸寧を見送って、わしは頭を抱えた。
「なんて奴だ……」
読めばわかる、と言っていた。
奴にはもう不正がばれている。さすがは俊英と名高い雷子龍の友人というべきか。
わしが関わっていることまで見抜いているのだろうか。
歓迎の宴を、というわしの誘いを奴は固辞した。関与を疑っているに違いない。その日の仕事を振り返りたいから断る、だと。わしが関わっているかどうか、じっくり検討しているに違いない。
碁を打とう、とも言ってきた。
碁には打ち手の心が出る。優れた打ち手は碁を打つことであいての性格や心理を正確に把握してしまうという。
もしあの誘いに乗って碁を打っていたら、わしが不正を主導していたことまで見透かされてしまっていたかもしれない。
やはり、雷辛が不正を暴くために送り込んできた刺客と見るべきだ。
わしはそう考えて、柳瑛を呼んだ。
柳瑛はすぐに来た。
「頼んでいた件はどうだ?」
わしはさっそくそう尋ねた。先日、彼女には、陸寧が雷辛の子飼いとして、わし自ら捜査している部下の不正を暴き手柄を横取りに来たのではないか、と話して探ってもらっていたのだ。
「陸県丞が不正の捜査に来たとは思えませんでした」
「なぜそう思った?」
「その、職務に対するやる気が感じられませんので」
「……そうなのか?」
「はい。どの書類もパッと見るや印を押してしまいます。とても何かを疑っているようには思えません」
「むむ」
わしは唸った。
奴はその「パッと見た」で不正を見つけたのか。恐ろしい優秀さだ。
「柳恵華、お前、あいつと碁は打ったか」
「打ちました」
「そうか」
ならば陸寧は柳瑛の性格をすでに見抜き、怪しまれないようにしているのだろう。そうか、だから夜に検討しているのだ。
わしのなかで疑いが一本につながった。
「ありがとう、引き続きたのむ」
柳瑛は下がっていった。
「……」
わしは柳瑛が出ていった後の扉をじっと見つめた。
このままでは糾弾される。役人の不正は厳しく処罰される。同じように不正を働いている者が郡太守であれば逃れようはあるが、相手は清廉潔白の俊英である。まず命はない。
(先手を打つしかない)
わしは決意を固めた。




