5話 主治医さん
「はぁ、はぁっ……」
走る。走る、走る。見渡す範囲には誰もいないダンジョンをひた走る。
「はぁ……っ」
たくさん走れば息が乱れる。でもそれは、体調不良による息切れではなかった。健全に、運動に応じた酸素の消費、普通の身体反応。
「は、あは……」
かつてなく、健康に近かった。
「あはははっ」
頭痛がすぅっと引いていき、寒気もだいぶ治まっている。指先のかじかみもちょっとひんやりするくらいで、驚くほど痛みとか不調がマシだ。完全になくなったわけじゃないけど、普段に比べたらその差は雲泥。
すごい! アンプルを五本も使うとこんなに楽なんだ!
ぴょんっと助走の勢いで飛び跳ね、砂の上に着地する。体が軽い。こうして意味もなくジャンプできちゃうくらい。
なにせ今まで五本使えたことなんかほとんどない。普通に探索してて一本使い切るのすら難しいのだ。原生の魔力菌を排出し切るのって大変なのだ。
:ホリックちゃん壊れた?
:壊れちゃった
:そういえば配信中にあんなに話したのはじめて聞いた
:交流とか一切ないもんね
:ホリックちゃんはよく頑張ったよ
コメントの文字もいつもと違って読みやすい。健康万歳。
まあまだ薄ら寒いし、じわ…じわ…と頭痛はするし、寒気が引いてくると今度は『私の出番ですか?』とばかりに肌がビリビリと痺れてきた。同時に皮膚がピリピリする。麻痺症状と鋭痛症状が強くなってきたんだと思う。
自分の体ながらなんて忙しないのだろう。
「は、はぁ……っ。もっと魔法撃ちたいなぁ」
:ホリックちゃんヤバ
:さっきの今でその感想なのヤバい
:マホ中やん
:魔法中毒ってこと?
:まじもんのマジックハッピー
:トリガーハッピーの魔法版ってこと?ならアンプルハッピーの方が近くね
:より危ない…
コメントについ笑ってしまう。
そうだよ。別に今更この程度のことで自己嫌悪なんかしない。私は魔力中毒で、常に自分の体調が楽になることしか考えていないヤバい奴なのだ。
今だって、少しくらい人助けについて考えてもいいはずなのに、私はまた同じことが起こって魔法をたくさん撃てないかってことを考えている。
人が死にそうだったんだからもうちょっとなんかあるでしょう、普通。私だってそれくらい知ってるよ。
また、頭が痛くなってきた気がする。ずきずきと肌が裂けたように皮膚が痛む。指先が痺れる。
まだ私は魔法が撃ちたい。もっと楽になりたい。
「う……」
:ホリックちゃん?
:大丈夫?
:なんか様子おかしくないか
違うよ。今までの中で一番元気に近いよ。
でも元気がまだすごく遠いんだよ。
なんだか今日は涙腺が弱い。泣いてしまいそうだ。
端末が『ガオガオ』と鳴ったのはそんなときだった。今度はメッセージじゃない、お電話だ。
「……はい」
『主治医です』
主治医さんか。
当然ながら私には専門のお医者さん先生がいる。いなかったら今頃の私は生きていない。
とにかく魔法を撃って排出するしかないですねと教えてくれたのも、探索者になるための手続きをしてくれたのも、いつも持って帰った戦利品を換金してくれるのも、お手伝いさんとかを雇ってくれたのも、大体全部主治医さんだ。
「その代わり中抜きしてまぁす」と言われたことがあるけれど、私から言わなくても自動で手数料を徴収してくれるありがたい人。
私を育ててくれた人の弟さんらしい。
電話越しに偏屈そうな男性の声が聞こえる。
『今日はもう帰ってきなさい。アンプル五本も使ったし、メンタルがヘラってるでしょう』
「監視されてる……」
『普通に君の配信はいつも見てますよ。倒れたとき対応するの誰だと思ってるんですか。ああコメントはしてませんから』
なお、配信には私の声しか入っていない。
見られているのか。でもそれもそうか。配信は映像公開が義務だからやっているだけなんだけど、治療記録にも使えるからね。
気まぐれに浮遊カメラに向かってピースしてみた。
:!?!?
:エッ
:???
:なにいまの
:何が起こった!!??
:ファンサ!?
:なになになに
:はじめてのファンサービス!!!!
『はいはい可愛い可愛い。いいからもう帰ってきなさい』
「わかった……」
『あと、君は体調のせいで常に知能にマイナス五十歳のデバフがかかっていることを自覚しなさい』
「私生まれてないよそれ」
『比喩です』
「多分お母さんも生まれてない」
『比喩です』
まあお母さんとか知らないんだけど。
その会話を最後に、電話は切れた。私は通話終了の画面をぼんやりと眺める。
まだまだ寒気も頭痛も皮膚の痛みも治っていない。でも不思議と人と話すと思考が穏やかになる。気がする。気がするだけだ。
私は帰ることにした。
「今日はおしまい」
:あ
:いきなり終わった
:もう切れてるし
:お疲れ様〜もういないけど
:乙乙 もういないけど
:次回も見るよ!もういないけど
***
ダンジョンを出て、真っ直ぐ家に帰る。
実は、私は主治医さんのお家の二世帯住宅の片方を貸してもらっている。症状がつらすぎて家で動けなくなっていることもままあるので、合鍵は主治医さんも持っているという体制。
よって、お家に帰ると案の定主治医さんがいた。
主治医さんは、なんというか不健康なエルフみたいな人だ。多分、正式なお医者さんじゃなくて闇医者のたぐいだと思う。
「おかえりなさい」
「……ただいま」
「体調いかがですか?」
「ん、今は、麻痺症状と鋭痛症状が強め」
「氷の放出魔法派手にぶっ放してましたし、朝は凍結症状が強かったんですね?」
「うん」
そんな感じで軽く診察してもらった。
「アンプル五本使ったのは記録と照合すると百十七回目です。体調への影響は?」
「べつに……」
「マ、君の場合普段がヤバすぎますものね」
アンプルを使いすぎると、一般的には魔力菌が体に残って魔力中毒症状が出る。特に短いスパンで一気にたくさん使うのが良くない。一気に五本は、かなりの危険水準なのだとか。
ただ、私はその逆だ。私みたいな体質の人はもうほとんどいないため、多分私は研究対象でもあるんだと思う。
主治医さんが言った。
「いいですか、君の体質のことは知られてはいけません。絶対に真似する人が出るからです」
「……こんなに苦しいのに、そんな人いるのかな」
「います」
「変なの」
「それだけダンジョンには欲望が多いんです」
「ふぅん」
まあ、分かっているよ。だから今日会った人にも何も話さなかった。綺羅綺羅な人を治療して気絶させたあと、女の子に引き留められたけれど何も言わずに離れた。
「……でも、治癒魔法、もっと使いたいな」
「それなら救助活動をもっとしてみたらいいのでは?」
「え?」
意外なことを言われた気がする。
見上げると、主治医さんが記録紙を見つつ淡々と続けた。
「ダンジョンで死にかける人って結構多いですよ。この前も放送事故があったし」
「……主治医さんは、そういうの反対と思ってました」
「反対ですけど」
反対なんだ。
「全然反対です。救助を求めてる奴って、自己顕示欲から実力以上の場所に潜ってしまったとか厄介な奴が多いので嫌です。関わりたくねーですよ。それに、君がいろんな配信に映って露出が上がると、どうしても君の体質のことも露呈しやすい。嫌です。マジでやだ」
「まじでやなんだ……」
「でも、君が苦しんでいるのも知っていますからね」
それだけ言って、主治医さんは部屋を出ていった。




