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聖女候補の面接で「志望動機は?」と聞かれました【連載版】  作者: あゆと
第一章 名を呼ぶ聖女

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6/7

御業

 扉の向こうは、白かった。


 面接室の白とは違う。

 磨かれた石の白ではなく、水を含んだ布のような白だった。


 中央には、低い水盤がある。

 水盤の縁には細かな文字が彫られていて、ミナには読めなかった。

 水は動いていないのに、底の方だけが深く暗く見える。


 水盤の周りには、四つの台が置かれていた。


 水差しと白い布。

 薬草と銀の小鉢。

 灯皿と火口箱。

 小さな鐘と伝令札。


 どれも、さきほど記録廊で見た四院の現物に似ている。

 けれど、ここでは飾りではなかった。


 何かを待っているように見えた。


「御業確認の間です」


 大神官様が言った。


 眼鏡の神官が記録板を開く。

 年配の女性神官は、水差しの位置を確かめてから、静かに下がった。


 コーデリアは、ミナの半歩後ろにいる。

 けれど、その足音はもう聞こえなかった。


 ここでは、誰も余計な音を立てないのだと思った。


「聖女様。御業確認は、力を無理に引き出す儀ではありません」

「試練ではないんですか」

「試練ではありません」


 大神官様は、水盤を見た。


「御業は、呼び出せば現れるものではありません。歴代聖女様の御業も、多くは飢饉、疫病、戦のただ中で記録されました」

「では、ここでは何をするんですか」

「聖女様の祈りを確かめます」


 祈り。


 ミナは、胸の前で指を握った。


「私が村でしていた祈りも、確かめるんですか」

「はい」


 大神官様は、さきほど通ってきた記録廊の方へ目を向けた。


「祈りの反応は、人に触れます。痛みを弱め、熱を鎮め、傷の治りを助ける」

「御業とは、違うんですね」

「違います」


 大神官様の声は静かだった。


「飢えの中で麦が実り、病の中で霧が晴れ、戦の中で刃が止まりました。御業は、ただ人を楽にするだけではありません」


 大鍋。

 薬箱。

 血の跡が残った外套。


 ミナは、さきほど見たものを思い出した。


「言葉だけで覚えなくてよろしい。今は、祈ってください」


 大神官様は、水盤の前を空けた。


「まずは、普段の祈りを水盤へ向けてください。立派な言葉である必要はありません」

「はい」


 ミナは水盤の前に膝をついた。

 石の床は冷たい。けれど、村の井戸端ほどではなかった。


 水盤へ向かって、小さく息を吐く。


「痛みが、少しでも弱くなりますように」


 水面に、小さな輪が生まれた。


 それは、石を落とした時の波紋に似ていた。

 けれど、誰も石を落としていない。


 清水院の白い布の端が、ほんの少しだけ湿った。


 そこで終わると思った。


 けれど、波紋はもう一度広がった。


 水盤の縁に置かれていた水差しの水が、かすかに湯気を立てる。

 銀の小鉢の中の薬草が、ふわりと青い匂いを放った。


 部屋の端にいた年配の女性神官が、自分の指先を見て、小さく目を見開く。


「……痛みが」


 女性神官は、すぐに口を閉じた。


 大神官様は、水盤から目を離さなかった。


「祈りの反応、確認」


「はい。反応、通常候補者の水準を超過。清水院聖具、薬草院聖具に微反応。室内対象者の手指痛に軽減反応あり」


 眼鏡の神官が、記録板に素早く書き込む。


 ミナは、年配の女性神官を見た。


「痛かったんですか」

「古い手荒れでございます。お気になさらず」


 女性神官は、静かに頭を下げた。

 その指の赤みは、少しだけ薄くなっていた。


 ミナは、自分の手を見た。


 村で祈っていた時より、強い。

 それは分かった。


 でも、麦は実らなかった。

 黒い霧が晴れることもなかった。

 刃を止める白い幕も降りなかった。


 水盤は、静かになった。


 大神官様が言った。


「御業は、確認されませんでした」


 その言葉は、思っていたよりも重かった。


 ミナは息を吸った。

 うまく吐けなかった。


「……神様の声は、聞こえたのに」


 半歩後ろで、コーデリアの白手袋がかすかに動いた。

 けれど、彼女は口を挟まなかった。


 大神官様は、すぐに答えた。


「聖女様であることは、すでに示されています」

「でも、御業は」

「出ませんでした」

「……はい」

「御業は、呼び出すものではありません。ここで出なかったことも、記録です」


 眼鏡の神官が、記録板に一行を書き足す。


 祈りの反応、増幅。

 御業、未確認。


「むしろ、本日分かったことがあります」

「何が、ですか」

「聖女様の祈りの反応は、当代聖女として明らかに増しています」


 増している。


 ミナは、その言葉を胸の中で繰り返した。

 胸の奥が、少し熱くなって、すぐにひやりとした。


 嬉しいのか、怖いのか、自分でもよく分からなかった。


「強くなったのに、御業ではないんですか」

「はい」

「どうしてですか」

「人を楽にしたからです」


 大神官様は、そう言った。


「祈りは、女性神官の指を少し楽にしました。ですが、その指がまた冷たい水に触れれば、痛みは戻ります」

「冷たい水……」


 東回廊。

 湯気の弱い桶。

 赤くなった指。


 名前も顔も知らない。

 でも、あの手は覚えている。


「大神官様」

「はい」

「あの手も、楽にできますか」


 大神官様は、少しだけミナを見つめた。


「目の前で祈れば、痛みを和らげることはできるでしょう」

「よかった」

「ですが、同じ冷たさに触れれば、また痛みます」


 ミナは、言葉を失った。


 手は楽になる。

 でも、また桶を持つ。

 また冷える。

 また赤くなる。


 水仕事の後、村の女たちの指が赤くなるのを見たことがある。

 冷たい桶を持った時、自分の手も痛くなったことがある。


 祈ったら終わるものではない。


「……じゃあ」


 ミナは、小さく言った。


「桶を見ないと」


 大神官様は、何も言わなかった。


 その横で、薄い予定表が開かれる音がした。


 コーデリアの白手袋の指が、今日の予定をなぞっている。


「本日の予定には、御業確認後、大神官様への報告、祈祷本殿の案内、昼の休憩がございます」


 ミナは、予定表ではなく、自分の手を見ていた。


 赤くなった指。

 弱い湯気。

 冷たい桶。


 御業は出なかった。

 それでも、今朝の桶は消えなかった。


「東回廊を見たいです」


 ミナは言った。


「朝番の人たちが、どこから桶を持ってくるのか見たいです」


 コーデリアの指が、予定表の上で止まった。


「東回廊の朝番確認は、ございません」

「はい」


 ミナはうなずいた。


「でも、見ないと、明日も同じです」


 予定表の端が、少しだけ曲がった。


「……では、予定に入れます」


 コーデリアは銀の筆を取った。

 余白に、細い字が増える。


 東回廊。

 朝番確認。


「まずは、朝番の動きを確認します。誰が、どこから、何を、何度運んでいるのかです」

「……はい」


 ミナには、まだ『動き』の意味が分からない。


 でも、桶を見れば何か分かる気がした。


 御業は、出なかった。


 けれど、最初に見るものは分かった。


 東回廊の桶だ。

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