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聖女候補の面接で「志望動機は?」と聞かれました【連載版】  作者: あゆと
第一章 名を呼ぶ聖女

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3/7

正補佐官選考

 正補佐官候補の控室には、朝の祈りが終わる前から人がそろっていた。


 コーデリア・ヴァルムントは、白手袋の指を膝の上でそろえ、背筋を伸ばして座っていた。


 一昨日の聖女選考とは、空気が違う。


 あの場には、神の声を待つ静けさがあった。

 けれど今、この部屋にあるのは、人が人を選ぶための緊張だった。


 壁際に立つ神官が、封蝋を切った書面を広げる。

「当代聖女ミナ様の正補佐官候補は、各院からの推薦、神殿実務経験、貴族家または寄付者筋による身分保証、ならびに守秘確認を終えた者に限られます」


 控室に、紙の擦れる音だけが残った。


 誰でもよい椅子ではない。

 聖女の隣に立つ椅子だ。


「選考は、知識確認、礼法確認、実務確認、神官面接、大神官による最終面接の順に行います。最終面接通過者は、当代聖女様との確認を経て、正補佐官として任じられます」


 向かいの席には、王都神殿の儀礼に仕えてきたらしい女性がいた。

 座る姿勢に崩れがない。膝の上に置いた手の角度まで整っている。


 窓際には、清水院の司祭が立っていた。

 三十代半ばほどだろうか。控室でも落ち着いていて、神官が動くたびに、道をふさがない位置へ自然に半歩ずれていた。


 ほかの候補者たちも、皆、静かだった。

 静かで、よく整っていて、ここに呼ばれる理由を持っている者たちだった。


 弱い候補者はいない。


 当然だった。


 同情で座れる椅子ではない。

 落選した公爵令嬢に、慰めとして与えられる椅子でもない。


 コーデリアは、膝の上の指をわずかに重ねた。


 聖女にはなれなかった。

 一昨日まで積み上げてきたものに、神は頷かなかった。


 けれど、礼法を学んだ時間は消えていない。

 施療院の仕組みを覚えた夜も、寄付者名簿を読み込んだ朝も、各院の役割を暗記した年月も、消えてはいない。


 そして、消すつもりもなかった。


「では、知識確認より始めます。名を呼ばれた方から、隣室へ」


 神官がそう告げる。


 控室の空気が、わずかに張った。


 コーデリアは顔を上げる。


 正補佐官の椅子を、取りに来たのだから。



 選考は、一日では終わらなかった。


 朝の祈りの後に始まった知識確認だけで、午前はほとんど潰れた。

 礼法確認と実務確認は午後まで続き、神官面接が終わる頃には、王都神殿の窓に夕方の光が差していた。


 ミナは、そのすべてを見たわけではない。

 大神官様から言われているのは、最後の確認だけだった。


 知識や実務は、神殿が見る。

 聖女は最後に、その人と一緒に動けるかを見る。


 そう言われても、ミナにはまだよく分からなかった。


 村で人を選ぶ時は、だいたい分かりやすかった。

 足が速い人。

 字が読める人。

 荷車を押せる人。

 おばあちゃんの話を最後まで聞ける人。


 朝から夜まで一緒に動けるかどうかを、どうやって見るのか。

 それは、まだ分からない。


 翌朝。


 最終面接の前に、ミナは小さな控えの間へ通された。


 机の上には、三枚の書類が置かれている。

 それぞれの上に、候補者の名が正式に記されていた。


 リディア・オルフェン。

 マルタ・グレイン。

 コーデリア・ヴァルムント。


「知識確認、礼法確認、実務確認、神官面接は、すべて終わりました」

 大神官様が、三枚の書類を前にして言った。

「ここに残った三名は、いずれも正補佐官として必要な基準を超えています」


 ミナは、三枚の名前を見た。


 基準を超えている。

 それだけで、紙が急に重そうに見えた。


「リディア・オルフェン様、二十四歳。王都神殿の儀礼司祭補です。幼い頃から神殿で育ち、祝福式や大礼拝に多く仕えてこられました」

「マルタ・グレイン様、三十四歳。清水院の司祭です。施し湯、水場、布の支給、洗い場の人手まで、清水院の日々の務めをよく知っておられます」

「コーデリア・ヴァルムント様、十八歳。公爵家のご令嬢です。礼法、神殿制度、寄付者対応、貴族対応、各院の役割理解に優れ、総合成績では三名の中でも抜きん出ています」


 ミナは、三枚の書類をもう一度見た。


 神殿で育った人。

 清水院の司祭様。

 公爵家の令嬢。


 たぶん、三人ともすごい人なのだと思う。

 ミナよりずっと神殿に詳しくて、字も綺麗で、廊下で迷わず、外套の前合わせも間違えない人たちだ。


「じゃあ、コーデリア様で決まりなんですか」

「いいえ」


 大神官様は、静かに首を横に振った。


「知識や実務は、神殿が確認しました。ですが、正補佐官は聖女様の隣に立つ者です。最後に、本人の言葉を聞く必要があります」

「本人の言葉、ですか」

「はい。どのように聖女様を補佐するつもりなのか。それを、一人ずつ尋ねます」


 ミナは、膝の上で手を握った。


「私も、聞いていいんですか」

「もちろんです。聖女様が本当に知りたいことなら」


 ミナは、三枚目の書類を見た。


 コーデリア・ヴァルムント。


 聖女選考で、聖女になれなかった人。

 朝六時前に門の前で待っていた人。

 桶と、湯気と、指のことを覚えていた人。


 聞きたいことは、まだ言葉になっていなかった。

 でも、胸の奥に引っかかっているものはあった。



 最終面接は、一人ずつ行われた。


 部屋には、大神官様、眼鏡の神官、年配の女性神官、それからミナがいた。

 ミナの椅子は、長机の端に置かれている。中央ではない。それが少しだけありがたかった。


 大神官様は、全員に同じ質問をすると言った。


 質問は、一つだけだった。


「あなたは、当代聖女ミナ様を、どのように補佐しますか」


 最初に入ってきたのは、リディア・オルフェンだった。


 リディアは、胸元に手を当てて、深く礼をした。

 動きに迷いがない。頭を下げる角度も、顔を上げるタイミングも、見ていてきれいだった。


「聖女様が神前に立たれる場を、滞りなく整えます。祝福式、大礼拝、貴族参列の祈祷、民へのお言葉。聖女様がどの場で、どの順に進み、どの言葉をお受けになるか、私がそばで確かめます」


 綺麗な答えだった。

 声も静かで、間違っているようには聞こえない。


 けれどミナは、少しだけ膝の上で手を握った。


 人前に立つ場。

 大きな祈りの場。

 たぶん、聖女には必要なことなのだろう。


 でもミナは、あの朝の桶を思い出していた。


 湯気が細くなっていた桶。

 赤くなった指先。

 袖でこすってから、また次の桶を取りに走ろうとしていた下働きの女性。


 あれは、神前ではなかった。

 大礼拝でもなかった。

 ただの朝の廊下だった。


 二人目に入ってきたのは、マルタ・グレインだった。


 マルタは派手な動きをしなかった。

 扉を閉める時も、椅子の前に立つ時も、必要なだけ動いて、必要なところで止まる。袖口はきちんと留められていて、指先には水仕事をしてきた人の固さがあった。


 大神官様が、同じ質問をする。


「あなたは、当代聖女ミナ様を、どのように補佐しますか」


 マルタは、落ち着いた声で答えた。


「聖女様のお言葉を、神殿の日々の務めに落とし込めるよう努めます。清水院で扱う湯、水、布、洗い場、人手については、私が不足と滞りを確認します。必要であれば記録を取り、担当者へ回し、次の朝に同じ不具合が残らぬよう改めます」


 ミナは顔を上げた。


 この人なら、あの朝の不具合を直せるのだと思った。


 湯が足りないなら足す。

 布が足りないなら数える。

 人手が足りないなら、担当を変える。


 きっと、とても大事なことだ。


 けれどミナには、赤くなった指が、清水院の仕事の中へ静かに戻っていくようにも聞こえた。


 あの人の手が冷たかったこと。

 袖で指をこすっていたこと。

 次の桶を取りに走ろうとしていたこと。


 それは、どこに残るのだろう。


 三人目の名が呼ばれた。


「コーデリア・ヴァルムント様」


 扉が開く。


 コーデリアは、白手袋の指をそろえ、背筋を伸ばして入ってきた。

 聖女選考の日の控室と同じように美しい。けれど、あの日とは違う。


 あの日のコーデリアは、聖女に選ばれるためにそこにいた。

 今のコーデリアは、聖女の隣に立つためにここへ来ている。


 大神官様が、同じ質問をした。


「あなたは、当代聖女ミナ様を、どのように補佐しますか」


 コーデリアは、すぐには答えなかった。

 白手袋の指が、ほんの少し動く。


「聖女選考の前なら、私は違う答えを申し上げたと思います」


 部屋の空気が静かになった。


「聖女様が神殿の中心に立てるよう、儀礼を整え、寄付者への説明を整え、各院への連絡を整理する。おそらく、その答えは間違いではありません」


 コーデリアは、少しだけ視線を落とした。

 けれど、声は落ちなかった。


「けれど、あの朝、聖女様は桶の湯気をご覧になりました」


 ミナは、思わず顔を上げた。


「私は桶の数と、人の配置を見ました。どこへ置くか、誰が運ぶか、何が足りないか。それは必要なことです。けれど聖女様は、冷えた指を見ていました」


 コーデリアの視線が、一瞬だけミナの手に落ちる。


「ですから、私が補佐官になるなら、聖女様を高い椅子に座らせて終わりにはしません。聖女様が桶の湯気をご覧になるなら、私は湯が冷める前に人を動かします。聖女様が冷えた指をご覧になるなら、その指が明日も動くように手配します。聖女様が名前を尋ねるなら、その名が次の日の記録で消えないようにします」


 綺麗な言葉なのに、綺麗なだけではなかった。


 桶。

 湯気。

 指。

 名前。


 ミナがうまく言えなかったものが、そこに並んでいた。


 大神官様が問う。


「では、聖女様が足を止めるたび、すべてに応じるのですか」

「いいえ」


 コーデリアは、迷わず答えた。


「すべては無理です。だから優先順位を決めます。ですが、聖女様が足を止めた理由を、確認せずに流す補佐官にはなりません」


 ミナの胸の奥が、少し熱くなった。


 自分でも理由は分からない。

 でも、朝の廊下で桶を見ていたことを、誰かが本当に覚えてくれていたのだと思った。


 最終面接は、そこで終わるはずだった。


 けれど、ミナは膝の上で手を握ったまま、口を開いていた。


「あの」


 全員の視線がミナに向いた。


 ミナは一瞬だけひるんだ。

 でも、ここで黙ると、たぶんあとで後悔する。


「私も、ひとつ聞いていいですか」


 大神官様がうなずいた。


「もちろんです」


 ミナは、コーデリアを見た。


 白手袋。

 まっすぐな背筋。

 聖女選考で落選した時の、ほんの少しだけ震えていた横顔。


「……コーデリア様は、聖女になりたかったんですよね。それなのに、私の補佐官でいいんですか」


 部屋の空気が変わった。


 眼鏡の神官の羽根ペンが止まる。

 年配の女性神官が、少しだけ目を伏せる。

 大神官様は何も言わなかった。


 ミナは、自分の膝の上で手を握った。


 聞き方が悪いのは分かっていた。

 でも、上手な言い方が見つからなかった。


「私だったら、たぶん嫌です。自分がなりたかったものになった人の隣に、一日中いるなんて」


 言ってから、胸がきゅっとした。


 自分が、ひどいことを聞いている気がした。

 でも、聞かなかったことにして隣に立ってもらう方が、もっとひどい気がした。


 コーデリアは、ミナを見たまま沈黙した。


 長い沈黙ではなかった。

 けれど、聖女選考から今日までのすべてが、その短い間に入っているように見えた。


「わたくしが聖女になりたかったのは……」


 コーデリアの声は、静かだった。


「自分が積んできたものが、間違いではなかったと、証明されたかったからです」


 誰も口を挟まなかった。


「神に選ばれたかった。公爵家の娘として学んだ礼法も、施療院の仕組みも、寄付者との交渉も、民を救うために使えるのだと、一番高い場所から示したかった」


 白手袋の指が、ゆっくり握られる。


「……そこに名誉がなかったと言えば、嘘になります」


「ですが、私は選ばれませんでした。聖女様は、私が座れなかった椅子に座りました」


 責める声ではなかった。

 それでも、ミナは胸がきゅっとした。


「悔しくないと言えば、それも嘘です」


 コーデリアは、そこで少しだけ息を吸った。


「けれど、聖女様は私が見なかったものを見ました。私は制度を語り、あなたは名を覚えた。私は施療院を語り、あなたは足元を見た。あの朝も、私は桶の数を見て、あなたは冷えた指を見た」


 コーデリアの目が、まっすぐミナに向く。


「私は、その景色の先が見たいのです」


 静かな声だった。

 けれど、部屋のどの言葉より強かった。


「私が座れなかった椅子からでは見えなかったものを、あなたの隣で見たい。あなたが何を見て、何に足を止め、何を名前で呼ぶのかを知りたい」


 コーデリアは、白手袋の指をそろえ直した。


「そして、見ているだけで終わるつもりはありません」


 その言葉に、ミナは息を忘れた。


「湯が冷めるなら、温め直す方法を探します。人が足りないなら、集めます。誰かの名が消えそうなら、記録を開きます。私は聖女にはなれませんでした。けれど、私が学んだものを捨てるつもりはありません」


 コーデリアは深く頭を下げた。


「補佐官で妥協するために来たのではありません。聖女様の隣という席を、取りに来ました」


 ミナは、何も言えなかった。


 綺麗な人だと思っていた。

 強い人だと思っていた。

 でも、それだけではなかった。


 欲しいものを欲しかったと言える人だった。

 悔しいものを悔しいまま持っていられる人だった。

 そのうえで、次の席を取りに来る人だった。


 大神官様が、静かに口を開いた。


「聖女様」

「はい」

「ヴァルムント様と、朝から夜まで共に動けると思われますか」


 ミナは、コーデリアを見た。


 分かるかどうかで言えば、まだ分からない。

 神殿のことも、正補佐官の仕事も、朝から夜までどう動くのかも、何も知らない。


 でも、ひとつだけ言えることがあった。


「隣にいてほしいです」


 自分でも驚くくらい、はっきり声が出た。


 コーデリアの白手袋の指が、少しだけ動いた。


「私がうまく言えなかった桶のことを、覚えていてくれました。名誉が欲しかったことも、悔しかったことも、隠さず言ってくれました。だから」


 ミナは、少しだけ息を吸った。


「隣にいてほしいです」


 大神官様はうなずいた。

 眼鏡の神官が羽根ペンを取り直す。

 年配の女性神官が、小さく微笑んだ。


「コーデリア・ヴァルムント様」


 大神官様の声が、面接室に静かに響いた。


「あなたを、当代聖女ミナ様の正補佐官に任じます」


 コーデリアは、すぐには顔を上げなかった。

 深く、深く礼をしたまま、ほんの少しだけ息を止めているように見えた。


 それから、ゆっくりと顔を上げる。


「謹んで、お受けいたします」


 声は揺れていなかった。

 でも、あの日の悔しさは消えていない。


 きっと、消えなくていいのだと思った。


「よろしくお願いします、コーデリア様」


 ミナが言うと、コーデリアは白手袋の指をそろえた。


「こちらこそ、よろしくお願いいたします。聖女様」

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