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聖女候補の面接で「志望動機は?」と聞かれました【連載版】  作者: あゆと
第一章 名を呼ぶ聖女

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2/7

初出勤、朝六時

 その夜、ミナは候補者用の宿舎に泊められた。


 聖女に選ばれたからといって、いきなり神殿の奥へ連れていかれるわけではないらしい。白い壁の小さな部屋には、寝台と水差しと洗面器があり、窓の外には王都神殿の鐘楼が黒く見えた。


 大神官様は、明日の手続きについていくつか説明してくれた。

 祈祷本殿。

 聖印の確認。

 担当神官への挨拶。

 候補者宿舎の朝食。

 たぶん、ほかにも何か。


 けれど、ミナの頭に残ったのは一つだけだった。


 明朝六時。


 神様がそうおっしゃった。

 あの場にいた者は、みな聞いていた。大神官様も、神官たちも、落選したばかりの公爵令嬢様も。


 それからもう一つ、公爵令嬢様の声も残っていた。


「あなた一人では初日に迷子になりますわ」


 その時は、そんなに迷うだろうかと思った。


 けれど、部屋に戻ってから、ミナは宿舎の廊下で一度迷った。

 たぶん、公爵令嬢様は正しかった。



 明朝六時。


 ミナは、王都神殿の正門前で足を止めた。


 正門は開いていた。

 門の前には大神官様がいて、眼鏡の神官と、昨日の年配の女性神官も控えていた。門番神官も左右に立ち、朝の冷気の中で背筋を伸ばしている。


 きちんと、迎えがあった。

 だからミナが足を止めた理由は、そこではない。


 門の脇に、すでに公爵令嬢様が立っていたからだ。


 朝の石畳は夜の冷たさを残している。吐く息は白い。村なら鶏が鳴き終えて、台所の火が入り始める時間だ。

 そんな時間に、公爵令嬢様は昨日と同じように背筋を伸ばし、白手袋の指をそろえ、朝焼けの前で一筋も乱れていない髪をしていた。


「おはようございます、聖女様」

「……本当に、いらっしゃったんですね」

「昨日、そう申し上げましたので」

「まだ補佐官に採用されていませんよね」

「存じております。本日は見学です」


 見学。

 その言葉のわりに、公爵令嬢様は誰よりも準備が整っているように見えた。


「大神官様には、門前で待つ許可だけいただいております」

「許可だけで、朝六時前から待っていたんですか」

「採用されたわけではありませんので、それ以上の場所には入れません」


 そこは、はっきりしているらしい。


 ミナは改めて、公爵令嬢様を見た。

 昨日、大神官様が名前を呼んでいた気がする。けれど、神様に聖女として認められたあたりから、ミナの頭はほとんど真っ白だった。


「あの、公爵令嬢様」

「その呼び方ですと、王都では該当者が多すぎますわ」

「す、すみません」

「コーデリア・ヴァルムントです」


 名乗り方まで、まっすぐだった。

 ミナは少し背筋を伸ばした。


「では、コーデリア様、とお呼びしてもいいですか」

「聖女様が、落選した候補者に様を付ける必要はございません」

「でも、急に呼び捨てにはできません」


 コーデリアは、一瞬だけ黙った。

 白手袋の指が、ほんの少しだけ動く。


「……では、それで結構ですわ」

「ありがとうございます、コーデリア様」

「それから、失礼いたします」


 コーデリアが、ミナの肩元へ手を伸ばした。

 ミナは思わず固まる。


「前合わせが浮いています」

「どこか変ですか」

「外套です。このまま歩くと、階段で裾を踏みますわ」


 コーデリアの白手袋が、ミナの外套を直した。

 布を押さえ、留め具をひとつ下げ、浮いていた襟元を整える。動きが静かで、手早い。


「分かるんですか」

「礼装を崩さず歩く訓練だけは、多すぎるほど受けました」

「礼装にも訓練があるんですね」

「あります。転ばないための訓練です」


 ミナは、直された外套を見下ろした。

 さっきより軽い。布が肩にきちんとのって、歩いてもずれない気がする。


「ありがとうございます」

「見学ですので。手を出したことには、しないでくださいませ」


 コーデリアはそう言って、半歩下がった。

 見学という言葉の使い方が、ミナの知っている見学と少し違う。


 大神官様が、小さく咳払いをした。


「では、聖女様。参りましょう」

「はい」

「まずは祈祷本殿へ向かいます。その途中で、朝の神殿もご覧ください」

「昨日とは違うんですか」

「ええ。かなり」


 大神官様は正門の内側へ歩き出した。

 ミナはその後に続く。コーデリアは、ミナの半歩後ろについた。


 昨日の王都神殿は、白くて静かな場所だった。

 高い天井、磨かれた床、祈りの声。ミナが知っている礼拝堂より、ずっと遠くて、ずっと大きい場所。


 けれど、朝六時の神殿は違った。


 石の回廊の先で、桶を抱えた下働きが足早に通り過ぎる。木箱を運ぶ神官見習いが、壁際で道を譲る。奥の扉からは湯気が流れ、粥の匂いがした。灯りの油を替える年配の女性が、手早く古い芯を外している。


 祈りより先に、人が動いていた。


 神様が六時とおっしゃった理由は、たぶんこちらだった。

 床に置かれた木札が、朝の人の流れの中で揺れている。


 清水院。

 灯火院。

 薬草院。

 鐘風院。


 ミナには、まだどれが何をする場所なのか分からない。

 けれど、桶の重さと、湯気の薄さは分かった。


 廊下の端で、若い下働きの女性が桶を置いた。

 湯を入れてあるらしい。けれど、表面の湯気はもう細くなっている。女性は赤くなった指先を袖でこすり、それから次の桶を取りに走ろうとしていた。


 ミナは、思わず足を緩めた。

 コーデリアも足を緩める。


「気になりますか」

「桶の湯気が、もう弱くなっています」

「どこを見てそう思われたのです」

「表面です。使う人を待っている間に、冷めてしまいます。冷たい湯で手を洗うと、指が動かなくなるので」


 コーデリアは桶を見た。

 それから、ミナの手を見た。


「……そこですのね」

「変なところを見ていますか」

「いいえ。私なら、桶の数と運ぶ人の配置を見ます」

「それも、大事だと思います」

「ええ。ですが、冷えた指までは見ませんでした」


 さらりと言われて、ミナは返事に困った。

 コーデリアはもう一度、湯気の細くなった桶を見た。


「覚えておきます」

「桶のことをですか」

「桶と、湯気と、指のことを」


 その声は、昨日の控室で聞いたものより少し低かった。

 何かをしまっておくような声だった。


 ミナはもう一度、赤くなった指先を袖でこすっていた女性を見た。


 聖女になった。でも、何をすればいいのかは、まだ分からない。

 ただ、あの手は冷たいだろうと思った。



 祈祷本殿の扉が開いた。


 昨日の選考で見た水盤が、奥に置かれている。朝の光を受けて、静かな水面が白く光っていた。


 ミナは、大神官様に促されて水盤の前に立った。


「聖女様。聖印の確認を行います」

「はい」


 水盤へ手をかざす。

 指先が少し震えた。昨日、神様の声を聞いた時のことを思い出す。


 水面に光が広がった。

 淡い白が、ミナの手の下で揺れる。大神官様が深く頭を垂れ、眼鏡の神官が記録を取った。年配の女性神官は、ほっとしたように目元を和らげている。


「確認いたしました。当代聖女ミナ様です」


 当代聖女。

 また背中にうまく乗らない言葉が来た。


 大神官様は水盤の前から一歩下がり、ミナへ向き直った。


「聖女様。続いて、補佐官についてご説明いたします」

「はい」

「当代聖女には、正補佐官を一名置きます。聖女様が迷わず、届くべき場所へ動けるよう支える役目です」

「そんな大事な人を、昨日決まったばかりの私が見てもいいんですか」

「最後の確認だけです。選考は神殿が行います」

「神様が選ぶんじゃないんですね」


 大神官様は、穏やかにうなずいた。


「聖女様の隣に立つ者ですから、神殿が慎重に見ます」

「私に分かるんでしょうか」

「知識や実務は神殿が見ます。聖女様は、隣に立たせてもよい相手かを見てください」


 ミナは、急に自分の隣を見たくなった。

 でも、隣にはまだ誰もいない。

 半歩後ろに、見学中のコーデリアが立っているだけだ。


「候補者は、もういるんですか」

「おります。昨日の選考後、補佐官候補として残る意思を確認しております」


 大神官様の視線が、コーデリアへ向いた。


「ヴァルムント様」

「はい」

「あなたも、候補者として扱ってよろしいですね」


 コーデリアは、一歩前に出た。

 落選した候補者としてではなく、次の選考を受ける者として。


「もちろんです」


 声は静かだった。

 けれど、昨日の悔しさが消えたわけではないことを、ミナはなんとなく感じた。

 消えたのではなく、形を変えて残っている。


「では、一次選考は明日、朝の祈りの後に行います」

「承知いたしました」

「聖女様には、最終確認の場で同席していただきます。それまでは、神殿の選考をご覧ください」

「はい」


 ミナには、まだ難しかった。

 けれど、たぶん大事なことだった。


 コーデリアが、ミナの方を向いた。

 白手袋の指をそろえ、深く礼をする。


「選考では、よろしくお願いいたします」

「私、面接で桶の話をした人ですよ」

「承知しております」

「何を見ればいいのかも、分かっていません」

「それは、選考の中でお分かりになるかと」


 コーデリアはそこで、ほんの少しだけ目を伏せた。


「私も昨日、それを学びましたので」


 ミナは言葉に詰まった。

 慰めるべきなのか、謝るべきなのか、分からなかった。

 たぶん、どちらも違う。


「……では、一緒に見てもいいですか」

「見学者と候補者が一緒に見てよろしいのでしたら」

「大神官様、いいですか」


 大神官様は少しだけ困った顔をした。

 眼鏡の神官が、手元の羊皮紙をめくる。


「規定上、選考前の候補者が聖女様の側につくことは推奨されません」

「過度とは、どのくらいですか」

「明確な距離の規定はありません」

「では、半歩後ろはどうでしょう」


 コーデリアがすぐに言った。

 眼鏡の神官のペンが止まる。


「半歩」

「聖女様の歩行を妨げず、必要時に衣装と進路を確認できる距離です。会話は、大神官様の許可がある場合に限ります。記録の妨害もしません」


 眼鏡の神官が大神官様を見た。

 大神官様は、なぜか少し笑いそうな顔をしていた。


「半歩後ろであれば、許可しましょう」

「ありがとうございます」


 コーデリアは礼をした。

 ミナは、半歩後ろという距離が急に心強くなった。


 その時、祈祷本殿の奥から、小さな鈴の音がした。

 年配の女性神官が顔を上げる。


「朝の施療受付が始まります」

「施療受付?」

「神殿へ助けを求めに来た方々を、清水院、薬草院、祈祷室へ振り分ける時間です」


 大神官様がミナを見た。


「聖女様。本来なら今日はご挨拶だけの予定でした。ですが、神がお決めになった初出勤です。朝の受付をご覧になりますか」

「見ます」


 返事は、自分でも驚くほど早く出た。


 コーデリアの白手袋の指が、少しだけ動いた。

 大神官様は静かに頷いた。


「では、参りましょう」



 施療受付の広間には、すでに人が並んでいた。


 咳をする子ども。

 肩を押さえた荷運びの男。

 杖をついた老婆。

 目元を腫らした若い母親。

 神官見習いたちが順番に声をかけ、木札を渡し、奥の院へ案内している。


 ミナは入口で足を止めた。

 昨日まで、自分は村で助けを求められる側だった。

 けれど王都神殿では、助けを求める人が列になっていた。


 多すぎる。そして、誰も大声を出していない。

 疲れている人は、怒る力も泣く力も残っていないのだと、ミナは知っていた。


 受付台の向こうで、神官見習いが困った顔をしていた。

 目の前には、五歳くらいの男の子を抱えた母親がいる。子どもは眠っているように見えるが、頬が赤い。母親の手は、男の子の背中を何度もさすっていた。


「熱はいつからですか」

「昨日の夜からです」

「咳は」

「少し」

「では、薬草院へ」

「でも、この子、昨日からおしっこが少なくて」


 神官見習いの手が止まった。

 木札は薬草院のものを取りかけている。

 でも、母親の目は神官見習いではなく、子どもの口元を見ていた。


 ミナは、一歩だけ前に出た。


「すみません」


 神官見習いが振り向いた。

 大神官様も、眼鏡の神官も止まる。


 ミナは母親へ向き直った。


「お水は飲めていますか」

「少しだけです。飲ませても、すぐ嫌がって」

「唇、乾いています。薬草院の前に、清水院で口を湿らせてもらった方がいいかもしれません」


 母親の顔が、少しだけ崩れた。


「やっぱり、そうですよね。私、そう思ったんです。でも、熱なら薬草だって」

「薬草も必要だと思います。でも、先に少し飲めるようにした方が、たぶん楽です」


 ミナは神官見習いを見た。


「清水院へ行ってから、薬草院へ回せますか」

「え、あの、順路が」

「順路が変わると困りますか」

「記録が、二枚になります」


 神官見習いは本当に困っていた。

 悪い人ではない。たぶん、決められた通りにしないと怒られる側の人だ。


 ミナは後ろを見た。


「コーデリア様」

「はい」

「記録が二枚になるのは、どのくらい困りますか」

「今の段階では、記録が二枚になること自体より、誰の判断で順路を変えたかが曖昧になる方が困ります」


 コーデリアは一歩も出なかった。

 半歩後ろから、まっすぐ受付台を見ている。


「聖女様が判断し、大神官様が確認し、受付が清水院から薬草院への連携札を切る。これなら記録は残せます」

「連携札というのがあるんですか」

「あるはずです。緊急時、複数院で対応するための札です」

「どこにありますか」

「受付台の右下です」


 神官見習いが、はっとして棚を開けた。

 赤い線の入った木札が出てくる。


「あ、ありました」

「使ったことは?」

「ありません」

「では、今日覚えましょう」


 コーデリアの声は厳しくなかった。

 けれど、神官見習いの背中が自然に伸びた。


 ミナは母親に言った。


「清水院へ行きましょう。私も途中まで一緒に行きます」

「聖女様がですか」

「はい。私も、場所を覚えたいので」


 母親は泣きそうな顔で笑った。


 コーデリアが半歩後ろにつく。

 今度はミナが先に歩いた。


 清水院へ向かう途中、さっきの湯気の弱い桶がまだ廊下の端に置かれていた。

 下働きの女性が、次の桶を運んで戻ってくる。指先はさらに赤い。


 ミナは立ち止まった。


「大神官様」

「はい」

「あの桶、置く場所を変えてもいいですか」

「理由を聞いても?」

「廊下の風が当たります。あそこだと冷めます。扉の内側に置けば、少しは温かいままです」

「通行の妨げには?」

「端に寄せれば、大きな箱は通れません。でも人は通れます」


 大神官様が考えるより早く、コーデリアが廊下を見た。


「箱を運ぶ経路は左側です。桶を右のくぼみに置けば、下働きの動線も短くなります。ただし、くぼみの前に古い燭台があります」

「どかせますか」

「許可があれば」

「大神官様、どかしてもいいですか」

「一時的に許可します」


 ミナはほっとして、下働きの女性に声をかけた。


「すみません。その桶、少しだけ場所を変えてもいいですか」

「え、でも、決まった場所が」

「今だけです。冷めにくいところに置きたいんです」

「……冷めにくいところ」


 女性は、桶を持ったままミナを見た。

 その目が、ミナの胸に少し刺さった。


 今まで誰にも聞かれなかった、という顔だった。


 コーデリアが静かに言った。


「聖女様の確認により、仮置き場を右側くぼみへ変更します。後ほど正式に通行記録を確認します」

「は、はい」


 女性は桶を運び直した。

 右側のくぼみに置くと、たしかに風は当たりにくい。湯気が少しだけ上に伸びた。


 下働きの女性が自分の指先に息を吹きかけて、小さく笑った。


「こっちの方が、手が楽です」


 ミナは胸の奥が熱くなった。


「よかったです」


 コーデリアが、半歩後ろで小さく息を吐いた。

 その音は、笑いではなかった。


「コーデリア様?」

「いえ」


「祈りの前に変えられることが、こんなにあるのですね」


 ミナは返事をしようとして、できなかった。

 それはたぶん、自分も今、初めて知ったことだった。



 清水院で子どもの口を湿らせ、薬草院へ送るころには、朝の祈りの鐘が鳴り始めていた。


 大神官様は、何も叱らなかった。

 眼鏡の神官は、ずっと何かを書いていた。

 年配の女性神官は、清水院へ向かう母親の背中を見送ってから、ミナへ静かに頭を下げた。


「聖女様。朝の祈りへ」

「はい」


 ミナは歩き出そうとして、ふと横を見た。

 コーデリアはまだ半歩後ろにいる。

 朝焼けの中で整っていた髪は、少しだけ風で乱れていた。白手袋の指先には、さっき動かした燭台の煤が薄くついている。


「コーデリア様」

「はい」

「手袋が汚れています」

「見学ですので」

「見学って、汚れるんですね」

「本日の学びですわ」


 コーデリアは、ミナへ顔を上げる。


「聖女様」

「はい」

「明日の補佐官選考ですが」


 コーデリアの声は、まっすぐだった。

 昨日の悔しさとも、今朝の礼儀正しさとも違う。


「私は、勝ちに参ります」

「はい」

「ただし、昨日までの勝ち方ではありません」


 ミナは、うまく返事ができなかった。

 けれど、その意味は少しだけ分かった気がした。


「私、面接で桶の話をした人ですよ」

「承知しております」

「何を見ればいいのかも、分かっていません」

「それは、選考の中でお分かりになるかと」


 コーデリアは、半歩後ろで静かに礼をした。

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